59.桜(その1)

「花音、こっち持って」


 三田村さんは私にメジャーの端を持たせると、自分は本体を持って壁際を移動した。


「音楽の時間」に出演した翌日。私たちは、引越し先の一軒家で採寸の最中だ。


「二百三十センチ、と」


 三田村さんは測った長さを用紙に書き込んだ。山際さんにもらった間取り図を拡大コピーしたもの。さすが、秩序と正確さを愛する三田村さん。引っ越すにあたって事前準備に抜かりはない。


「揃えるもの、意外と多いな」


 三田村さんが、がらんとした室内を見渡す。


「そうですね。シェアハウスと違って、家具が備え付けじゃないですもんね」


 そう、この家は「シェア用の物件」とはいえ、家具付きではない。あるのは家主が置いていったピアノだけ。だから私たちは、家具、食器、家電など、一通りの生活道具を揃える必要がある。しかもできれば、今日一日で。引越しは一週間後に迫っている。



「さて」


 休憩のために入ったカフェで、三田村さんは間取り図を広げた。


「花音はどの部屋を使いたい?」


 一階 リビング(ピアノの置いてある六畳間)、浴室、トイレ、洗濯機置き場

 二階 キッチン・ダイニング(八畳)、洋室(四畳半)

 三階 洋室二室(各六畳)、トイレ


「三階の洋室」


「そうだよな。景色いいもんね」


 引越し先の家は敷地が狭い。庭はなく、隣家と密接している。だが三階に上がれば、視界が開けるのだ。


「三田村さんは?」


「俺も三階」


「じゃあ、三階の二部屋を一人ずつ使えばいいですね」


「うん」


「二階に一部屋、余りますね」


「余らないよ」


「三田村さん、もう一部屋使うんですか?」


「ここは寝室にしよう。東向きだしちょうどいい」


「……引っ越したら、一緒に眠るんですか?」


 まさか急にそんなことを言いだすなんて。

 三田村さんは図面から視線を上げた。少しだけ、笑っている。


「嫌?」


 断らないのを知っているきき方だ。そうか、「初々しいお付き合い」は引越ししたら終わるのか。


「したくなければ、しなくていいし」


「……ほんとに?」


「今のところは。でも気持ちが盛り上がったら、夏目先生みたいに直前で止められる自制心はないけど」


 三田村さんは正直だ。


「わかりました。寝室は一緒にしましょう」


 どのみち、近い将来にことになるのだろうから。



 次に三田村さんと私は、郊外の街まで出かけた。百貨店を中心に、センスの良い家具や家電のお店が点在している買い物に便利な街だ。


「一日で全部揃えるのは難しいかも知れないから、優先度の高いものから決めていこう」


「はい」


 冷蔵庫、お鍋、フライパン、最低限の食器とカトラリー。私たちは次々に購入し、配送を手配した。決めたのは三田村さんがほとんど。優柔不断な私とは反対に、三田村さんは決断力がある。


「あのさ、時間がないから急いで決めちゃってるけど、気に入らなかったら嫌だって言って。考える時間とるから」


 でもちゃんと、私の気持ちにも配慮してくれる。


「ありがとうございます。今のところ問題なしです」


 昼食がてら休憩して、その後はいったん別れてそれぞれが必要な雑貨類を買いに。一時間後にまた合流して、家具店へ。四人掛けのダイニングテーブルを二人で選び、いよいよ緊張の寝具売り場だ。


 いくつかマットレスの感触を確かめた後、三田村さんがきいた。


「マットレス、硬いのと柔らかいのどっちが好き?」


「柔らかめです」


「ふーん」


「三田村さんは違うんですか?」


「硬めが好み」


 どうするんだろう。


「じゃあ、シングルを二つ買おう。フレームは同じものにして」


 ダブルとかキングじゃないのか。一緒に眠るイメージがちょっと崩れた。



 こんな感じで、私達は沢山買い物をした。一日でずいぶん散財したが、まあいいだろう。どれも必要な物だし、ミズモリケントの臨時ボーナスがあるのだから。代金は、各自の物以外、すべて割り勘にした。



(続く)

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