57.「音楽の時間」(その1)
「皆さんこんにちは、ミズモリケントです。『音楽の時間』、今日はゲストにKSJCの皆さんをお迎えしてお送りします。KSJCというのは、皆さんご存知だと思うんですけど、新曲の『待ってて』、そして録音し直した『好き』のバックバンドを担当して下さった皆さんです。編曲を担当してくれたのは、トランペットの萩岡さんです。おかげさまで、『待ってて』がリリース以来絶好調でして、感謝してもしきれません。皆さん、ありがとうございます!」
ミズモリケントが頭を下げた。
「いやそんな、ミズモリさん、頭を上げてください」
社長が声をかけた。私達は今、ラジオスタジオでミズモリケントを囲んで座っている。ミズモリケントは、またマイクに向かって話し始めた。
「このタイミングでKSJCの皆さんをお呼びしたのは、実は理由があるんですよ。テナーサックスの瀬戸さんと、トロンボーンの夏目先生――大学病院から黒田食品に派遣されている嘱託医の先生です――が、仕事の都合でKSJCを抜けることになって。最後に一緒に何かさせてもらいたい、という僕の勝手な希望で、無理を言ってお越し頂きました」
瀬戸さんと夏目先生は、にこやかにミズモリケントの話をきいている。この二人が並んでいる姿を見るのは、今日が最後だ。これからは、黒田社長、萩岡係長、三田村さん、そして私で活動を続けていく。そのうち瀬戸さんと夏目先生の後任が見つかるだろう。
ミズモリケントが上手に質問をしてくれ、みんなはリラックスして答えた。どうやってスカウトされたか、会社ではどんな仕事をしているのか、思い出の曲は、趣味は、などを。
知らない話が色々聞け、私も楽しかった。例えば、黒田社長の趣味は筋トレで、腹筋が割れていること。どうりでスーツ姿がビシッと決まっているはずだ。
「ではこの辺で、セッションに移りましょうか。まず一曲目は、瀬戸さんと夏目先生で、『All the Things You Are』です」
ミズモリケントの曲紹介に、萩岡係長が反応した。
「えっ、そうなんですか? 聞いてないけれど」
「おい、萩岡君」
「黙っていてすみません。皆さんに内緒で、僕からお二人にお願いしたんです。何かサックスとトロンボーンで演奏してくれませんか、と。瀬戸さん、これはどんな曲ですか?」
「『All the Things You Are』はジャズのスタンダード・ナンバーです。今日演奏するのは、テッド・ナッシュが彼の父親と共演した画像をたまたま知ってすごく良かったので、同じ曲を僕らもアドリブで。彼らの楽器はサックスとトロンボーンなんです」
「このために今日は、アルトサックスも持ってきました。演奏するのは最初の部分だけ、三十秒くらいです。サックスとトロンボーンの魅力を感じて頂けたら、嬉しいです」
(Jazz at Lincoln Center Opening https://youtu.be/g2BDlwb-uVY?t=59)
瀬戸さんと夏目先生が楽器を手に立ち、演奏を始めた。途端に、まろやかな音色がスタジオを満たす。あっという間の三十秒。私達は生放送なのを忘れ、盛大に拍手した。
「やった! 成功」
瀬戸さんはガッツポーズをして笑うと、夏目先生と握手した。夏目先生も満面の笑顔だ。
「ありがとうございました。この音色の魅力、伝わりましたよね⁉ 生で聴くと、さらにすごいんですよ。音に包まれる感じで。じゃ、次行きましょう。今度はKSJC全員です」
これは事前に打ち合わせをしていた。みんなが楽器の準備を始める。私はドラムの前に座った。
「ベートーベンの『交響曲第七番第二楽章』です」。
ミズモリケントの曲紹介を合図に、私達は演奏を始めた。レパートリーの中で、一番人気のある曲だ。楽譜を無料で公開して以来、全国のブラスバンドがコピーして演奏してくれている。
ベートーベンの次は『好き』と『待ってて』。もちろん、ミズモリケントのボーカル付きで。『好き』は鍵盤ハーモニカも。
ああ、やっぱりこのメンバーで作る音楽はいいな。瀬戸さんと夏目先生が抜けてしまうのは、本当に残念だ。そう思ったら、涙が出た。
三田村さんが気付き、演奏が終わるとすぐにハンカチを渡してくれた。
「……飯倉さん、大丈夫ですか? 涙が。あっ、ごめん放送中……」
心配して私に声をかけたミズモリケントが、焦った。
「いえ、いいんです。気にしないでください。最後だと思ったらつい……」
私は鼻をすすった。ズズッと大きな音がした。これも全国放送だろうか。
「ちょっと飯倉さん、鼻水。……あっ、まずいこの声も」
萩岡係長まで。
「泣かなくてもいいじゃないですか。またみんなで集まれば」
ミズモリケントが飄々とした調子で話し始めた。
(続く)
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◇Jazz at Lincoln Center Opening
https://youtu.be/g2BDlwb-uVY?t=59
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