54.週末に(その1)

 キッチンでコーヒーを淹れていると、三田村さんが降りてきた。なんとなく来るような予感がしていて、コーヒーは四杯分作ってある。


「飲みます?」


「うん。夏目先生も残念だったね」


 コーヒーカップを手にテーブルの向かいに座った三田村さんは、いつものように淡々と話す。


「そうですね」


「京都にはついて行くの?」


「行きません」


「遠距離で続けるの?」


「いいえ」


「いいえ、って……」


 三田村さんが私を見た。どうして、と問いかけるような視線。


「別れたんです。先週の土曜日。コンサートの後に」


 やっと言えた。


 三田村さんは視線をカップに落とし、それからコーヒーを一口飲んだ。そして、少ししてまた私の顔を見るときいた。


「今日の予定は?」


「何も」


 二人でゆっくりコーヒーを二杯ずつ飲んで、三田村さんと私は、それぞれの洗濯と掃除を始めた。


「片付いたら外に出て朝食にしよう。そのあと食材を買いに」


 三田村さんの言葉は、ああ今日は一緒に過ごせるんだなと、私を安心させた。



 朝食は、以前二人で入ったことのあるファミレスで食べた。二人ともモーニングセットにした。カリッと焼けたトーストに溶けるバター、半熟の目玉焼き、香ばしいベーコン、それにオレンジジュース。とても美味しかった。まだ八時、店内にはほとんど人がいない。


 三田村さんは、以前の土曜日と同じように、あまり話さずきれいに食べた。私も同じだ。夏目先生は沈黙が続くと何か話してくれたが、三田村さんはそういう気遣いはしない。


 私はオレンジジュースを飲みながら、目玉焼きをナイフとフォークで切り分けている三田村さんを眺めていた。すっかり見慣れてしまっていたが、改めて見ると、よく整った顔立ちとスタイルだ。モテるに違いない。


 あれ?


 そういえば、三田村さんに彼女がいるかどうか、今まで聞いたことがなかった。KSJCで話題に出たこともない。土曜日は家にいることが多いが、日曜日はよく外出する。


 急に不安が頭をもたげた。どうしよう、私の知らないところでもし彼女がいたら――。彼女でなくても、誰か好きな人がいたら――。


「何?」


 三田村さんが私の視線に気付いた。


「えーと、その、三田村さん。好きな」


「好きな?」


「作家って誰ですか?」


「中谷宇吉郎。昔の人だけど。物理学者で随筆家」


「へえ。知らないです」


「雪の話を書いた人。面白いよ。あとで貸そうか。飯倉さんは?」


「幸田文」


「同じくらいの時代の作家だね」


 意外な共通点が一つ、見つかった。だが肝心なことはきけなかった。


 買い物をしている間も、シェアハウスに帰る道中も、私は三田村さんに好きな人がいるかどうか、ききそびれた。「好きな人はいますか」――単刀直入にきけばいいのに、いつもの優柔不断が出た。


 好きな「映画」、好きな「場所」など無難な質問をしてしまって、そのうち、今日の私はこういう会話をしたいのだと思われたらしい。三田村さんまで、好きな「作曲家」、好きな「ランチのお店」などを私にきいてくれたのだった。


 帰宅後は、直ちに夕食の準備に取りかかった。メニューはビーフシチュー。ワインをたっぷり使う贅沢なレシピだ。


「いま十一時だろ、牛肉を四時まで赤ワインに漬け込んで、その後で三時間煮込むから、食べられるのは七時」


「なるほど。ちょうどいいですね」


 話しながらも、三田村さんと私はせっせと手を動かしている。几帳面な三田村さんの指示により、人参とジャガイモを丁寧に面取りしているのだ。


 昼食は作るのが面倒だったので、宅配ピザにした。前も同じことをしたな。そして午後は、お互いの部屋に戻った。「夕方になったらチェスをしながらミズモリケントのラジオを聴いて、鍋を見張ろう」と約束していた。


 その時こそ、好きな人がいるかどうかきくチャンスだ。好きな人がいなかったら、告白しよう。優柔不断はなしだ――私は決意を新たにし、自室のベッドで、三田村さんが貸してくれた『雪』を読み始めた。



(続く)


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