53.一週間

 その日の夜遅く。電話をかけてきた瑠璃は、私の話に驚いた。


『えっ⁉ 別れちゃったの⁉』


 また叱られるだろうな、と覚悟していたのだが、瑠璃の反応は意外なものだった。


『こればっかりは、仕方ないか……花音の気持ちの問題だから。花音が決めたなら、何も言わない』


「いつもみたいに叱らないんだね」


『だって、もう結果出ちゃってるし。どうしようもできないでしょ』


 そう言われれば、そうだ。


『それにね、花音。よく思い出してみて。私があれこれ口出ししたくなるのは、花音が答えを出せずにうじうじ悩んでる時だったと思うよ』


「……うん」


『ね? 三田村さんの気持ちを確かめる前に、あんなに素敵な夏目先生を振ったんだもの。その心意気はすごいわ。ほんともったいないけど』


「瑠璃、夏目先生のことよく褒めるよね。いつも、十歳以上年上じゃないと魅力を感じない、って言ってたのに」


『……そういえば。夏目先生は三十二歳だっけ? 三歳差か……。どうしてだろう、落ち着いているからかな』



 月曜日、私は恒例の萩岡係長ランチに出かけた。

 言いたくはなかったが、夏目先生と付き合っていると思われ続けていたら、あとで気まずい事態になりかねない。伝えておかなくてはと思った。


「萩岡係長。驚かないで聞いてくださいね。私、夏目先生と別れたんです」


「んむほっ⁉」


 係長は激しくむせた。この日のランチはグリーンカレーで、スパイスが係長の喉を直撃してしまったらしい。落ち着くのにしばらくかかった。


「ちょっとー、びっくりしたよ。急に」


 係長はナプキンで口の周りと額の汗を拭いた。


「予告しましたけど」


「そうだけどさ。いや、驚いたなあ。夏目先生、すごく良かったのに。優しいしかっこいいし。しかもK大附属病院のエリート医師だよ? もし僕に娘がいたら、嫁がせたいタイプ。何か隠れた問題でもあったわけ?」


「いえ、全く」


 問題があったのは私の方だ。


「……じゃあ原因は、三田村君?」


「はい。私、三田村さんが好きだって気付いたんです」


「三田村君に気持ちは伝えたの?」


「まだです」


「そう……。飯倉さんは、大人しくて堅実そうに見えて、衝動的なところがあるよね。シェアハウスに住むって決めた時とか」


「はあ」


 そうか、私は衝動的な女なのか。


「でも、いいんじゃない? 飯倉さんの人生だから。そうやって、思うように進んでいきなよ」


「……ありがとうございます」


 係長も、優しかった。



 火曜日。朝、電車に乗っていると、夏目先生からメールが届いた。KSJCの全員宛てだ。


 ――――――――――――

 件名:異動のご報告


 黒田さん、萩岡さん、瀬戸さん、三田村君、飯倉さん


 急な報告ですみません。

 四月から、しばらく東京を離れることになりました。

 京都の病院に一時的に移籍します。昨日決まりました。

 黒田食品の嘱託医は三月末までとなり、KSJCの活動ができなくなります。

 瀬戸さんも抜けるタイミングで、大変申し訳ありません。


 取り急ぎ、ご報告させて頂きます。


 夏目

 

 ――――――――――


 息を呑んだ。瀬戸さんに続いて、夏目先生まで――。



 二人同時にメンバーが抜けるのは、萩岡係長が知る限りでは初めてのことだという。


「まずいよ、あの二人が抜けたら。今のKSJCのスタイルを維持できない」


 ところが動揺する私達とは対照的に、黒田社長はあっさりしたものだった。終業後に練習室に集まった萩岡係長、三田村さん、そして私を前に社長は言った。


「仕方がないだろう。人数が六人に満たなくても、廃部になるまでには半年の猶予期間がある。その間に、瀬戸君と夏目先生の代わりを探そう。見つかるまでは、四人で活動すればいい」


 社長の言うようにするしかないのだろう。これまでもこうやって、KSJCは続いてきた。私だって、フランスに転勤した高林さんの代わりに加入した。でも。瀬戸さんと夏目先生の抜けたKSJCは、私には想像できない。彼らが抜けることを考えると、胸が締め付けられる。



 水曜日。

 瀬戸さんと夏目先生が抜ける件は、黒田社長から、ミズモリケントとマネージャーの宮本さんにも伝えられた。


「KSJC、解散しちゃうんですか⁉」


 それがミズモリケントの第一声で、社長は「解散するわけではない。メンバーが代わるだけ」と説明したそうだが、ミズモリケントは社長の話を聞きながら何度も、KSJCが変わってしまうことを残念がっていたそうだ。



 そして木曜日。ミズモリケントからメールが届いた。


 ―――――――――――


 KSJCの皆様


 瀬戸さんと夏目先生が脱退されるとのお話を、黒田社長から伺いました。


 非常に残念です。正直僕には、今のKSJC以外の姿は考えられません。それほど、素晴らしいバンド、魅力的なメンバーです。


『待ってて』と『好き』の二曲でコラボできたことは、僕の音楽人生にとって大きなターニングポイントになるでしょう。実際に今、『待ってて』のヒットにより、活動の幅が大きく広がろうとしています。皆さんには、いくら感謝しても足りません。


 最後に一緒に何かできないかと、考えました。昨日の今日なので、あまり詰めてはいないのですが。


 もしよろしければ、来週の土曜日に、僕のラジオ『音楽の時間』に出演して頂けませんか?


 エス・ミュージックには、KSJCについての問い合わせが多く寄せられています。

 皆さんの音楽を大好きな人が沢山います。

 ラジオというごく限定的な媒体ではありますが、皆さんの生の声を聴かせてあげてもらえませんか。


 勝手なお願いで大変恐縮ですが、良いお返事をお待ちしております。


 ミズモリケント


 ―――――――――――



 金曜日。KSJC・黒田社長からミズモリケントへの返信。


 ―――――――――――


 ミズモリケント様


 暖かいお言葉を頂き、ありがとうございます。


 こちらこそ、ミズモリさんとのコラボでは貴重な経験をさせて頂きました。

 何より楽しかったです。


 瀬戸君と夏目先生が抜けるのは残念ですが、今後も、私たちなりの形でKSJCを続けていければと考えています。


 ご提案頂いたラジオ出演の件、お受けする方向で調整させて頂きます。

 生放送との理解でおります。


 以上ご確認のほど、よろしくお願いいたします。


 黒田


―――――――――――



 私は目を覚ますと、目まぐるしい一週間をベッドの中で振り返った。KSJCが変わってしまうことの喪失感は、澱のようなものとなって胸の中を漂っている。どうにもできないのが、残念でたまらない。でも前を向いてやっていくしかない。

 

 カーテンを開けた。朝日がまぶしい。今日は土曜日。やっと、三田村さんと向き合える日が来た。



(続く)

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