52.タイミング

 夏目先生には、すんなり会えた。


 電話をしたら、夏目先生は病院にいた。私との予定がなくなったので出勤し、雑務を片付けていたそうだ。


 私たちは、夏目先生が勤務している大学構内の図書館の前で待ち合わせをした。


「泣いてたの?」


 会うなり、夏目先生は心配そうな顔をした。あれだけ泣いたのだ、泣きはらした目をしていたのだろう。


「はい。バーンスタインがあまりに良くて」


 先生は少し戸惑った笑顔を見せた。


「バーンスタイン?」


 日曜日の夕方、人気のない構内。図書館前のベンチに座って、私はさっきのコンサートの話をした。


「それで、最後の曲を聴きながら気付いたんです」


「うん」


「夏目先生、ごめんなさい。私は三田村さんが好きみたいです」


 ごめんなさい、今まで気付かずにいて。


「それをわざわざ伝えに?」


「はい」


 非難されて当然だと思った。でも夏目先生は、いつも通りの穏やかな表情で淡々と答えただけだった。


「わかった」


「すみません」


「謝らなくても。僕も強引だったから」


「そんなことは」


「何となく気付いてた、飯倉さんの気持ち。抱けば変わるのかなと思っていたけど、できなかった。未経験なのが重かったわけじゃないんだ。それは気にならない。でもあの時ふと、このまましたらお互い後悔するんじゃないかと思って――三田村君は、何て?」


「何も。まだ話してないですから」


「……飯倉さんのそういうところが、一番好きだった。計算とか駆け引き、しないよね」


 夏目先生は優しいままで、私は何も言えなかった。


「最後だけ妙にタイミングが合ったね」


 その通りだ。先生の部屋でも、ホテルでも、邪魔が入ったりタイミングが合わなかったりした。こういう時だけスムーズに事が運ぶとは、皮肉なものだ。


 夏目先生の「じゃあ、また練習で」という言葉を最後に、私たちは別れた。


 あっけない終わりだった。




 電車を降り、駅前のスーパーに寄ってアイスを二個買った。商店街を抜けて池沿いの道に出る。日が落ちた春の道を、シェアハウスへと急いだ。


 三田村さんに、どう話したらいいだろうか。


 玄関を開ける音で気づいたのだろう、靴を片付けていると、三田村さんが降りてきた。私は買ってきたアイスを見せた。



 三田村さんと私はダイニングのテーブルに向かい合って座り、アイスを食べた。


「この味、初めてだ」


 パイナップル&ココナッツを手に、三田村さんは嬉しそうだ。


「用事は? 無事済んだ?」


「はい」


「そう」


 私はスプーンを動かし続けた。本当は、色々と話したいことがあるのだけれど。こうして二人きりになってみると、何も言えないのだった。



(続く)

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