47.早朝に

 その日の帰り道。


 駅までの道を、夏目先生と並んで歩いた。少し前に瀬戸さんと萩岡係長がいたが、私たちが点滅する信号で立ち止まったため、離れてしまった。黒田社長と三田村さんは仕事に戻った。


「瀬戸さんのこと、驚いたね」


「はい。でも仕方ないです」


 私達にできるのは、暖かく送り出すことだけだ。


「またスカウトか」


「心当たりの人、いますか?」


「社内診療所に来る人の中には、いないなあ。いちいち『楽器弾きますか?』ってきかないし」


 少しの間、沈黙が流れた。さっきのことを謝った方がいいかな。


「連弾、すみませんでした」


「……なんで謝るの?」


「三田村さんと土曜日一緒に過ごしていた頃に練習した曲で」


「いいよ別に。付き合う前のことだし」


「……」


「それより明後日、予定通りで大丈夫?」


「もちろんです」


 私たちは週末の夜を一緒に過ごす約束をしていた。この間約束した通り、夏目先生は勤務日程を調整し、都心のホテルの予約をしてくれたのだ。


 今度こそ、逃げ場なしだ。最後までいってしまう。




 翌朝目を覚ますと、部屋はまだ薄暗かった。夜明け前だ。


 喉が渇いていたので、お水を飲もうと廊下に出た。するとバルコニーのサッシが少し開いていて、外に三田村さんが立っていた。青白い空気の中に佇む三田村さんは、いつにもまして端正に見えた。


 三田村さんは、庭から伸びる桜の枝に手を伸ばしている。


 何をしているんだろう。


 様子を見ていると、三田村さんが振り向いた。視線を感じたのだろう。


「おはようございます。ずいぶん早起きですね」


「終電で帰ってきて、目が冴えて眠れなかった」


「じゃあ、これから眠った方が」


「そうする。……瀬戸さん、残念だったな」


「はい」


「次のメンバーに心当たりは?」


 三田村さんがまだ話したそうなので、私もバルコニーに出た。早朝の湿気を含んだ冷たい空気が心地よい。


「ないです。夏目先生もないそうです。……三田村さん、ここで何してたんですか?」


「桜の蕾を見てた」


 三田村さんは、手近にあった枝を引っ張った。


「ほら」


 枝にびっしり並んだ蕾が、少し膨らんできていた。まだ硬そうだが、中には春が詰まっている。


「今年は開花が早いかもしれない。この家を出る前に、見られるかも」


「そうですね。ここでお花見します?」


「いいね」


 意外だった。断られるかと思って言ったのに。


「引越しはいつですか?」


「三月最後の日曜日」


「私も同じです。三田村さん。一緒に住めて楽しかったです。あと少しになっちゃいましたけど、引き続きよろしくお願いします」


「こちらこそ」


 三田村さんは、穏やかにほほ笑んだ。



(続く)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る