46.変化の兆し

 ミズモリケントの『待ってて』は、売れた。


 発売から数日後のシングル売り上げランキングでは十位に入り、その後も順位を上げ、一週間後には三位に。雑誌や新聞には続々と好意的なレビューが掲載された。


『ミズモリケントの新境地』、『ボーカルとブラスの絶妙なバランス』、『大人の音楽』、『見事な編曲』等々。


 黒田食品の社長が参加している、というのも話題になった理由の一つだ。黒田食品株式会社は専門商社としては業界最大手で、それは現在の社長の手腕による。チューバ担当の黒田社長は以前から財界で、「三代目なのに敏腕」と有名だったのだ。

 この話題に食いついたのが某経済新聞で、黒田社長のインタビューを掲載した。内容はずばり、「仕事と趣味の両立について」。その記事を読んだ財界関係者、つまり今はさほど音楽を聴かなくなっていた大人も、『待ってて』に興味を持ち購入してくれた。



 三月上旬の木曜日。


 忙しい年度末だが、木曜自主練組(萩岡係長、瀬戸さん、夏目先生、私)は全員集まった。ミズモリケントの件でみんなウキウキしており、感動を分かち合いたかったのだ。


「いやー、まさかこんなに売れると思わなかったよ! 一位、いっちゃうかな⁉」


「どうでしょうね。一位となると厳しいかな」


「俺は、案外いけるんじゃないかと思う」


 萩岡係長、夏目先生、瀬戸さんが楽しそうに話しながら楽器を組み立てている。


「そういえば飯倉さんは、新しい部屋、決まったの?」


 瀬戸さんがきいた。KSJCのメンバーはみんな、私が三田村さんと一緒に住んでいること、三月末には退居しなくてはならないことを知っている。


「はい、おかげさまで。同じ駅のワンルームにしました」


 山際さんが紹介してくれたシェアハウス用の一戸建ては、諦めた。


「さて。何を演奏しようか?」


「もちろん、『難破船』」


 瀬戸さんは中森明菜が大好きだ。世代的にはずれているのだが、「明菜さんはいい」と常々言っていて、だから萩岡係長はたまに中森明菜の楽曲をブラス用にアレンジする。『難破船』は、最近仕上がったばかりだ。


「いいですね、まだみんなで演ったことないし」


「せっかくだから三田村君も呼ぼう」


 

 数分後、電話で呼び出された三田村さんは渋々練習室にやって来た。そして、


「年度末で忙しいのに」


 と文句を言った。財務課はこの時期、いつにも増して業務量が多いらしい。


「悪い。みんなで合わせたくて」


 瀬戸さんは口だけ謝った。


「せっかくだから、黒田社長にも声をかけますか? 僕、電話しますよ」


 夏目先生が提案し、久々にKSJC全員が揃った。


 まず最初に、中森明菜の『難破船』をみんなで合わせてみる。主旋律はもちろん瀬戸さん。思い入れのある曲だけあって、さすがに聴かせる演奏だった。アレンジは渋くて玄人受けする感じ。いつもながら、萩岡係長はいい仕事をする。


「かなりいいと思います」


「うん。でもやっぱり、明菜さん本人の歌にはかないませんね」と瀬戸さん。


「まあ、それはそうですけど」


「三田村君まで……。せっかくアレンジしたのに……」


「次は?」


「ジェイソン・ムラーズの『アイム・ユアーズ』、どうですか?」


 また瀬戸さんだ。瀬戸さんは一番最初に意見を言うことが多いが、空気を読むタイプで、二回続けて主張するのは珍しい。


 萩岡係長の柔らかいトランペットが響く。原曲のシンプルさを生かし、KSJC版も凝った編曲はしていない。私達の曲にしては珍しく、ゆったりのんびりと音楽が流れていく。


「これ、いいですよね」


 これまた珍しく、三田村さんがリラックスした笑顔を見せた。


 その後は『L.O.V.E.』(ナット・キング・コール)、『We Can Work it Out』(ビートルズ)など、洋楽のレパートリーをどんどん弾いて、あっという間に一時間たった。「そろそろ終わりにしよう」と社長が言い、みんなが楽器を片付け始めた。


「三田村君、引っ越し先決まった?」


 今日の瀬戸さんは本当によく話す。


「はい。C駅のワンルームに」


 三田村さんは、隣駅か。


「そういえば、今住んでるシェアハウス、ピアノ付きだったんだよね? 三田村君、いつだったか飯倉さんと連弾練習したって話してたでしょ。えーとなんだっけ、『魔女の宅急便』のジャズバージョン」


 瀬戸さんったら余計なことを。その話は夏目先生にはしていなかったのに。 


「そうなのか? 面白そう。弾いて」


 社長まで。


「いえ、お聞かせするほどのものでは。ですよね、三田村さん?」


 だが意外にも三田村さんは、


「いいですよ。減るものじゃなし」


 と、すたすたとピアノの所に行って蓋を開け、椅子に座ってしまった。


 夏目先生を振り返るといつもの穏やかな笑みで、私が三田村さんとピアノを弾くことをどう思っているのか、その表情からは読み取れなかった。


 ここで断るのも大人げないか。


 思いなおして、私もピアノの前に座った。


 左に三田村さん、右に私。


 三田村さんの左手から軽やかに始まる『海の見える街』。


 七月の梅雨の晴れ間に、二人で楽譜の再現に熱中した曲。

 この曲を弾いてから、三田村さんと親しくなった。

 毎週土曜日を一緒に過ごした。


 十月に夏目先生とお付き合いするようになってからは、三田村さんは、私を避けるようになってしまったけれど。


 その三田村さんが今、すぐ横でピアノを弾いている。


 途中、私の右手のさらに右を三田村さんが弾く箇所があり、そこでは二人の距離がぐっと近づいた。


 私の体は緊張でこわばった。


 ただピアノを弾いているだけなのに、いけないことをしているような気がした。



「すごい、上手い!」


 弾き終わると、瀬戸さんが大げさに褒めてくれ、みんなも拍手してくれた。


「良かった、最後の練習で面白いものが見られて」


「最後?」


 三田村さんがきき返した。


「そう。四月から海外駐在が決まって」


 黒田社長以外の全員が固まった。



 瀬戸さんは、春からブラジル支店に駐在するのだという。期間は三年。


「黒田さん、ご存じだったんですか?」


 夏目先生がきく。


「少し前に人事課長から報告が。でも瀬戸君、ブラジル行ってみたかったんだろう?」


「ええ。以前から希望は出していたんです。海外で暮らすって、普通はできないじゃないですか。興味があって」


 そうか。自ら望んだ結果なのか。


 でも素直に喜べない。


 フロントの三人が激しく動いて演奏する、という現在のKSJCのスタイルは、瀬戸さんが中心になって作り上げた。穏やかな夏目先生とクールな三田村さんを引っ張っているのは、瀬戸さんだ。その彼がいなくなってしまったら――。


 KSJCはどうなってしまうのだろう。



(続く)


 ―――――――――――――――――――――――――

 ◇『難破船』中森明菜

 https://www.youtube.com/watch?v=PB-tIu1Kb8E&feature=youtu.be&t=105


 ◇三月に部室で

 https://www.youtube.com/playlist?list=PL0-g9V4B-03JIIYcQ9Ca3VTsGv4QXWcXx

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