38.KSJCとミズモリケントの動画アクセス、好調

 年末年始は長かった。実家にいたのは三日半だけだが、久しぶりに会った母は以前に増して私への依存を強めている気がした。ずっとそばにくっついて、ご近所や親戚のことを話し続けている。さらに参ったのは、私のお見合い相手を見繕っていたことだ。


「まずはこの人に会ってみましょ? 一月最後の日曜日、空けてもらってるから」


 母がテーブルに乗せたお見合い写真を、私は差し戻した。


「会えないよ。その日はもう予定があるから」


 嘘をついた。


「花音のことが心配なの。結婚のあてもないのに一人暮らしなんかして、一体どうするつもりなの! 将来のためにお見合いした方がいいわ」


 結局、母と私は口論になり、私は予定を一日繰り上げて二日の午後にシェアハウスに戻った。


「あー疲れた」


 たっぷりの泡が溢れそうなバスタブに、体を沈める。ぬるめのお湯と、泡の弾けるかすかな音が心地良い。この家で暮らすのもあと三か月を切った。もっとお風呂を楽しむ回数を増やそう。アロマキャンドルもあったら素敵だな。



「ちょっと、飯倉さん。信じられる? 三十万アクセス超えたよ」


 テーブルをはさんで座る萩岡係長が目を丸くした。手にはスマホ。映っているのは「KSJC大好き」さんがアップした私たちのライブ画像。


「私もさっき見ました。すごいですよね」


 まさか本当に、ミズモリケントの予測したとおりになるとは。


 ちなみに私たちは、週一ランチの最中だ。記念すべき新年第一回目は、海鮮ちらし寿司。ここは高級店なのだが、ランチは破格の千三百円。やや高いけれど、コスパは最高だ。たっぷりの寿司飯の上に、二センチ角に切られた寿司ネタ――マグロ、はまち、のどぐろ、いくら、エビ、イカ、卵、キュウリ――がびっしり敷き詰められている。そして、芍薬の花のように盛られたガリ。重箱の中はまるでお花畑のようだ。重箱に入っていることも上品さを引き立てている。味はもちろん素晴らしい。


「ミズモリさんの『好き』も、同じくアクセス増えてるかな」


 先に食べ終えた係長は画面を操作し、ミズモリケントの公式ページに飛んだ。そこにはスタジオ録音した『好き(KSJCバージョン)』へのリンクが貼られており、クリックすると、演奏を聴くことができる。


「うわっ、六十万アクセスだって」


 KSJCの二倍だ。ちゃんと注目されて良かった。


「僕が一番嬉しいのは、『KSJC大好き』さんがアップした動画のコメント欄に『このベートーベンの楽譜欲しい。演奏してみたい』っていう書き込みがいくつもあることなんだ」


「私も嬉しいです。係長のベートーベンのアレンジ、本当に素晴らしいと思います」


 よくもこんなに大胆に、そして原曲の美しさを残して編曲したものだなと、演奏するたびに感じる。


「ありがとう。それでさ、みんなさえ良ければ、楽譜を公開たいんだけど。飯倉さんはどう思う?」


「どこで公開するんですか?」


 現在KSJCの動画が公開されているのは、「KSJC大好き」さんのチャンネルだ。そこに私達が楽譜をアップすることはできない。


「KSJC独自のサイトを作ってそこで、なんてどうかな」


「なるほど、いいと思います。楽譜の価格は?」


「えっ? いや、お金は取らないよ。無料! みんなに演奏してもらえたら、それで満足」


 萩岡係長は、無欲の人なのだった。



「公開しちゃうの? タダで?」


 夏目先生が驚いた。私は営業への届け物のついでに、医務室に立ち寄った。看護師さんは有休だと、夏目先生からのメールで知っていたのだ。


「そうなんです。『有料にしたところで、ブラスの楽譜はそれほど多くはダウンロードされないでしょ? 入ってくる金額は微々たるものだろうから、それなら無料がいいと思うんだ』って。『みんなに相談してから』とは言ってましたけど、公開する気、満々です」


「そう。まあ、いいんじゃない? 沢山の人に演奏してもらうのが何よりだし」


 診察用の椅子に座っている夏目先生は、ネクタイに白衣で、物静かな雰囲気。ライブの時とは別人のようだ。この人が私を好きでいてくれる――自分はなんと幸運なのだろうと思わずにはいられない。



(続く)

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