37.ミズモリケントの戦略

 夏目先生は、たまに押しが強い。

 いつも穏やかで優しいけど、ここぞという時には強引だ。さっきのキスは突然でびっくりした。思い出すと顔が赤くなる。


「酔った? 花音、顔が赤いよ」


 ほら。瑠璃が気付いた。


「うん、ちょっと酔ったかも」


 私達はライブの後で会社に戻って楽器を置き、つばめに再集合した。ミズモリさんと宮本さん、由香さん、結衣さん、総務の佐山さんと片岡さん、瑠璃、それにKSJCのメンバーだが、残念なことに夏目先生は、ナインを出たところで病院から電話で呼び出されてしまった。



「新曲の『待ってて』、明日のラジオで流すってライブの最中に仰ってましたよね」


 社長がミズモリケントに話しかけた。


「ええ。観客の反応が良かったですし、このタイミングで発表して、少しでも口コミで広まったらと思っています」


「なるほど。年末年始で時間のある人も多そうですしね」


「はい。それと、もう一つ理由があって」


 なんだろう?


「『KSJC大好き』さんの動画です。これまでと同じだとしたら、今日のライブ画像は今夜中にアップされるはずです。明日、僕のラジオを聴いた相当数の人は、KSJCに興味を持って検索し、動画サイトに行きつくでしょう。今日のライブは最高でした。KSJCの動画はきっとバズる。結果的に、『待ってて』の注目度も上がると思います。KSJCにおんぶに抱っこで申し訳ないんですけど」


 ミズモリケントは苦笑した。


 さすが広告代理店出身、したたかなマーケティング戦略だ。


「これまでKSJCの動画が公開されても広まらなかったのは、単にネームバリューがなかったからです。僕の名前と一緒になれば、相乗効果でアクセスが伸びる可能性が高い。一応芸能人ですので。KSJCの方が、人気が出るかもしれません」


「そんなに上手くいきますかね」 


 三田村さんが訝しがったが、宮本さんは断言した。


「いくと思います。もしKSJCが広く世間に認知された時、皆さんどうします?」


 この質問には、誰も答えなかった。




 翌朝、夏目先生から電話をもらった時に、私はこの話をしてみた。


『KSJCの人気が出たら、どうするか?』


「はい」


『そうだなあ。CDが売れてお金が入ってきたら嬉しいけど。かといって、医者を辞める理由にはならないかな。飯倉さんは?』


「私も会社は辞めないと思います。好きなんですよね、黒田食品」


『ああ、それわかる。他のみんなも、そんな感じするよね』


 安定した業績に加え福利厚生が整っており、女性でも勤続しやすいと評判の会社なのだ。食品の専門商社なので、部署によっては、国内外の出張や転勤が多いくて大変ではあるのだが。


『話は変わるけど、昨日のあれ、突然ごめん。怒ってない?』


 キスのことだ。


「大丈夫です。びっくりしましたけど」


『またしていい?』


「……はい」


 きっと、今度はもっとちゃんとしたキスをして、お互いに慣れてきたら、さらに次に進もうとするだろう。その時もきいてくれるんだろうな。


 夏目先生は誠実だ。私がどう思っているか気にしてくれる。優しいし、今のところ欠点は見当たらない。だから告白された時は嬉しかったし、今だってその気持ちは持続中だ。けれど、キスより先のことを考えると気が重い。かといって今更あとには引けない気がする。どうしたら良いのだろう。



「どうした? ぼんやりして」


 三田村さんに声をかけられ、私ははっと我に返った。


 キッチンでお湯を沸かしながら、物思いにふけって佇んでいた。


「いえ、別に」


 コーヒー豆をペーパーフィルターに入れた。パサッと軽い音とともに、香りが広がる。ふと、三田村さんにも分けてあげようかと思った。お湯は三杯分沸かしてある。


「三田村さん、飲みます?」


 三田村さんは、驚きと嬉しさが半分ずつ混ざったような表情をした。


「うん、飲む。ありがとう」



 三田村さんと私は、久しぶりにラウンジで一緒に過ごした。私は窓際の揺り椅子、三田村さんはソファー。静かな室内。三田村さんは文庫本、私は雑誌のページをめくるかすかな音がたまにするだけだ。そうしてしばらく過ごすうちに、ミズモリケントの『音楽の時間』になった。


 ラジオの中のミズモリケントは、番組の開始早々、昨日のライブのことを楽しそうに語った。


『僕、昨日アマチュアバンドのライブにゲスト出演させて頂きまして。KSJCというバンドです。アルファベット大文字で、ケーエスジェーシー。今回のライブ出演は、KSJCに新曲のバックバンドを頼んだ兼ね合いでなんですが。すごく楽しかったです』


『KSJCは六人編成のブラスバンドで、楽器は、トランペット、テナーサックス、トロンボーン、バリサックス、チューバ、それにドラム。メンバーは普通に会社などで働いている方達です。それが、ライブになるとかなり激しくてですね、ちょっと会社員には見えないんですよね。まあつまり、カッコイイわけですよ。ドラムだけ女性ですが、彼女はとても落ち着いていて、常に淡々としてます。またそれが、いいんですよねえ』


『これから昨日のKSJCのライブを少し流しますが、気に入った方はぜひ、ライブに行ってみてください。聴くのもいいけど、観た方が何倍も楽しいバンドです。ケーエスジェーシですよ、覚えました?』


「KSJC、連呼だな」


 三田村さんが少し笑った。


 ミズモリケントは続ける。


『できるだけ多く聴いて頂きたいんで、急ぎますね。ライブ終盤の四曲です。一曲目はベートーベンの『交響曲第七番二楽章』をアレンジしたもの。これは、好きな人が多いんじゃないかな。ブラスやってる人は真似して弾きたくなると思う』


『そこからアンコールで、僕の『好き』をKSJCバージョンで演奏してます。途中、鍵盤ハーモニカのソロは僕です。お願いして作ってもらいました。そして三曲目がジャズのスタンダード『Sing, sing, sing』、最後に『この素晴らしき世界』で、両方とも僕が歌ってます。では、どうぞ!』

 

『好き』と『待ってて』だけ流すのかと思ったら、こんなに沢山。嬉しいな。


 三田村さんが、ラジオの音量を上げた。


 昨日のライブは、ナインの機材を使って録音したので音がすごくいい。自分たちの演奏をこうして聴くのは、不思議な感じだ。ミズモリケントの歌声は、私達の音楽にいい感じで寄り添っていた。


『えー、どうだったでしょうか。次はいよいよ新曲、『待ってて』です。演奏はKSJC。発売は二月下旬の予定です。ぎりぎりですが、フルコーラス出かけられます。じっくり聴いてください! 皆様、今年もありがとうございました。来年もよろしく。よいお年を!』


 最後は駆け足で、ミズモリケントはものすごい早さでしゃべった。そして三秒間ほど空白の後で『待ってて』が流れた。


(続く)


 ―――――――――――――――――――――――――

 ◇十二月のライブ

 https://www.youtube.com/playlist?list=PL0-g9V4B-03LXVEt382tAm0VIix3CJ8PB

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る