36.12月のライブ(その2)

 ビヨンセの『クレイジー・イン・ラブ』でライブは始まった。KSJCは一曲目、聴けば多くの人が「ああ、この曲知ってる!」となるものを選ぶことが多い。


 最初から全力疾走で、客席もあっという間に盛り上がる。間奏部分、歌っている人が何人も見えた。


 次は『雨上がりの夜空に』。1980年の歌だが、私でも知っている有名ナンバー。これはサビの部分、ステージも観客も大きな声で歌いまくった。すごい歌詞だけど、曲にぴったり合っている。楽しい。


 さらにテンポが速めの『オリジナル』で盛り上げ、その次は『アンパンマンのマーチ』でほっと一息ついて、玄人受けするアレンジの『イングリッシュマン・イン・ニューヨーク』をしっとり聴かせる。


『ソウル・ボサノヴァ』(オースティンパワーズの曲、といえば伝わりやすいだろうか)でブラスの音をたっぷり響かせつつ会場を軽やかな空気で満たし、『ニュー・シネマ・パラダイス』で感動を。係長が情感たっぷりにゆったりと吹くトランペットに、客席はもちろん、ステージにいる私たちも聴き惚れた。係長のトランペットには、心地よい揺らぎがある。


 そしていよいよクライマックスへ。これまでにも演奏して好評だった激しい『オリジナル』。ここまでずっと、フロント三人の演奏は比較的大人しかった。その反動だろうか、この『オリジナル』は瀬戸さんが派手なアドリブと猛烈な速さの演奏をし、そうしたら萩岡係長が応じ、もちろん夏目先生と三田村さんが調子に乗らないはずはなく、ハチャメチャになった。でもお客さんは楽しそうだ。テーブル席なのにまたも総立ちになり、笑顔で、フロント三人の動きに合わせてジャンプしながら聴いてくれた。


『オリジナル』が終了した直後、私の横に来た黒田社長が、ぼそっと「みんな、やりすぎだよな」と、苦笑いした。でもこういう演奏の方が、KSJCらしくて好きだ。ワクワクする。


 そして最後のベートーベン、『交響曲第七番第二楽章』


 プレストのベートーベンに合わせ、フロントの三人、そして客席が揺れた。会場の熱気がどんどん膨らむ。最前列の左側にいたミズモリケントが、私たちに向かって「最高!」と叫んだ。歓声にかき消されたけれど、口の動きでわかった。


 演奏が終了し、盛大な拍手が巻き起こる。それはやがて手拍子に変わり、私たちはアンコールに応える。そのタイミングで、ミズモリケントが客席から前に出て、ステージに上がった。


 客席には戸惑った空気が流れた。ざわついている。だが私たちは、打ち合わせの通り、そのまま演奏を開始した。


 ミズモリケントの名前だけなら、知っている人は多いだろう。でも、誰の曲だとか、歌だとか、そういうことは気にせず、先入観なしで聞いて欲しいのだ。『好き』は名曲なのだから。


 これまでより少し控えに目なったブラスの音にのるミズモリケントの歌声。低音が心地よい少しハスキーな声が、KSJCの男っぽいブラスと絡み合い、会場を包み込みこんでいく。


 鍵盤ハーモニカのソロが始まるころには、客席はしんと静まり返っていた。ミズモリケントは、最初こそ鍵盤ハーモニカを嫌がったが、そのあとは覚悟を決めて猛練習した。完成したその音色は、アコーディオンのような哀愁を帯びたものとなった。 


 またボーカルが始まり、ミズモリケントの心地よい歌声が流れていく。


 だが曲の終わりに差しかかっても観客の反応はなく、私は不安になってきた。大丈夫かな。右横の萩岡係長が会場の様子を気にして、そわそわ落ち着かない様子なのがわかる。


 あと二小節。


 シンバルを手で押さえてミュートして、『好き』は終了した。


 一瞬の静寂の後、大きな拍手と、「ケントー!」という声が、会場から沸き上がった。ミズモリケントは手を上げて応え、少しして私たちを振り返って、安心したような笑顔を見せた。



「えー、ミズモリケントです。皆さん。KSJCは好きですか?」


「好きー!」


 会場が応えた。


「ですよね。僕もです。偶然、KSJCの皆さんが僕の『好き』をカバーして演奏している動画を観て、感動しました。すごくいい演奏だった。それで無理にお願いして、コラボさせてもらいました」


「実は先日、新曲をKSJCの演奏で録音しました。編曲はトランペットの萩岡さんです。大人の事情で今日はお聴かせできないんですけど、明日、僕のラジオで流すので良かったら是非! 聴いてください。夕方四時です」


「わかったー! 聴くー!」という声が、あちこちから返ってきた。


「では最後にもう一曲。『Sing sing sing!』」


 ミズモリケントが言い終わらないうちに私はドラムを叩き、三田村さんのバリが入り、萩尾係長のトランペットが重なって――ミズモリケントの歌声が響いた。


『Sing sing sing』が終わってもアンコールの声は止まず、本当の最後に『この素晴らしき世界』を演奏し、私達は拍手に包まれながらステージを降りた。


 私の目の前で、ミズモリケントが萩岡係長に駆け寄る。


「萩岡さん、ありがとうございました! やっぱり『好き』、いいです!」


「いやあ、原曲がいいからですよ。これで『好き』が注目を浴びたら、僕も嬉しいです」


 二人は立ち止まった。会話はまだ続きそうだ。


 私はいつも、萩岡係長と話しながら舞台袖から楽屋に戻っていたのだけど、今日はミズモリケントに取られてしまった。二人を追い越して少し先まで歩いた時、夏目先生に後ろから声をかけられた。


「お疲れ様」


 いつもの優しい雰囲気。


「はい。夏目先生もお疲れ様でした」


 そうだ、私には夏目先生がいるのだ。


「ここを通るとき、いつも考えることがあって」


 夏目先生が、歩く速度を落とした。舞台袖から楽屋に抜ける通路は細く、十メートルほどの間、かなり暗い。


「何をですか?」


「キスできそう」


 思わず立ち止まった。


 夏目先生はステージの方を振り返った。


 私も先生の肩ごしに見える萩岡係長とミズモリケントは、まださっきの場所で話し込んでいる。


「させて」


 私が返事をする間もなく、夏目先生は私の腰を引き寄せた。そして、唇を重ねた。



(続く)


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 ◇十二月のライブ

 https://www.youtube.com/playlist?list=PL0-g9V4B-03LXVEt382tAm0VIix3CJ8PB

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