34.仕事納めの日

「今年もあと数日だねえ」


 すき焼きがぐつぐつ煮える鍋から豆腐を小鉢によそいながら、萩岡係長がふっとため息をついた。


 今日は十二月二十八日、仕事納めの日。この日は毎年、すき焼きランチを食べるのが総務係の恒例となっている。


「その台詞、毎年言いますよね。しかも、豆腐をすくう時なのも一緒です」


「ほんと⁉ 片岡さん、よく覚えてるなぁ」


「営業と違って僕たちは異動や転勤が少ないから、毎年同じことが続いていきますね」


 佐山さんは牛肉を溶き卵に浸した。


「そうだよねえ。でもいいじゃない、気心の知れた者同士、毎年平和に過ごせてさ」


 萩岡係長のコメントに、私たちは頷いた。


「ところで今日は、佐山君と片岡さんにお伝えすることがあります。驚かず、落ち着いて聞いて下さい」


「なんですか? 改まって。まさか退社……」


「違うよ。会社には定年までお世話になるつもり」


「では一体何のお話ですか?」


「うん、僕と飯倉さんはね、KSJCというバンドのメンバーで、ミズモリケントという歌手とコラボすることになりました。社内のクラブ活動なんだけど、ここ十年ほどは、社内でその存在を知っている人はほとんどいない状態だった。でも今回はさすがに、広まってしまうかなと」


「係長と飯倉さんの入っているバンドがプロデビューするということですか?」


「うーん、まあ、そうとも言えるかな。サポートだけど。スタジオミュージシャン的な感じ。でも、KSJCの名前や動画は出ちゃうと思う。積極的にミズモリさんのプロモーションに関わる予定なんだ。ライブ映像の公開とか。だから見る人が見れば、僕たちってわかっちゃう。それで、二人には事前にお伝えしておこうと思って。はいこれ、二十九日のライブのチケット。前日にごめんね。もし都合が良かったら」


 萩岡係長は、内ポケットから出したチケットを二人に手渡した。


 佐山さんと片岡さんは、チケットをしげしげと眺めていたが、やがて片岡さんがきいた。


「どういうジャンルのバンドなんですか?」


「うん、基本はジャズ。KSJCっていうのは、『黒田食品ジャズクラブ』の略だから。でも最近、わけわかんなくなってきちゃって。ミズモリケントはポップスだし、面白ければ何でもありって感じ」 

 

「へえー。面白そうなバンドですね」


「飯倉さんまでメンバーだなんて、驚いちゃった。そういえば夏くらいから、なんだか感じが変わったなって思ってたのよ。明るくなったというか」


「しかも社長が部長だなんて、やりますね。僕、明日必ず行きますよ」


「私も」


「ありがとう。ところで、ミズモリケントとのコラボは本人から発表があるまでは秘密だから。その点だけは、どうか漏らさないでね」



 ランチの後は、大掃除と総務課の納会で、後片付けをして会社を出たのは、九時過ぎだった。


 ほとんどの社員が退社した後で、エレベーターホールには私一人。少し待つと、チン、とチャイム音が鳴りドアが開いた。


「あ」


 乗っていたのは三田村さん一人で、私たちは、同時に声を出した。




 帰り道、久しぶりに二人でスーパーに寄った。


「三田村さん、アイスクリーム安くなってますよ」


「アイス半額」と書かれた札を指すと、三田村さんは黙ってアイスを六個、かごに入れた。冬でもアイスのストックを切らさないのだ。


 買い物を終えて家までの道を一緒に歩く。三田村さんは何も話さない。冷たい風が吹いて、ビニール袋がカサカサと音を立てる音がやけに大きく感じられる。


 池の畔に差しかかった時、やっと三田村さんが口を開いた。


「年末年始はどうするの?」


「三十日から二日まで、実家に戻ります」


 母とは冷戦状態が続いていたが、正月には戻って来いと連絡が来た。親戚が挨拶に来るのにあなたがいなかったら恥ずかしいから、と。何が恥ずかしいのかよくわからないが、これ以上揉め事を増やすのは嫌なので、私は大人しく従うことにした。


「三田村さんは?」


「同じ。……夏目先生とは?」


「はい?」


「夏目先生とは、まだ続いてるんだよね?」


 ああそうか。クリスマス前後は私がいつもと変わらず部屋にいたし、お正月も実家に帰るから、気になったの思ったのかな。


「はい、続いています。夏目先生が忙しすぎて、ほとんど会えないですけど」


「そう」


 三田村さんはそう言ったきり、また黙ってしまった。



(続く)

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