32.KSJCとミズモリケントの初セッション

 十一月初旬の金曜日、午後七時。ミズモリケント、宮本さん、そしてKSJCのメンバーは、エス・ミュージック本社ビル地下一階のリハーサルスタジオに集合した。


「早く一緒に演奏してみたくてウズウズしていました。萩岡さん、素晴らしい編曲をありがとうございます」


 ミズモリケントがマイクの前に立ち、私たちも定位置に着いた。宮本さんは、ガラスの向こうからこちらを見ている。様々な機器の置いてある部屋だ。音質のチェックをするには、あちら側が良いらしい。


 ミズモリケントは売れていはいないとはいえ、さすが芸能人、その立ち姿からは、オーラみたいなものが漂っている。だがKSJCのみんなだって負けてはいない。スーツ姿で楽器を携えて音楽スタジオにいる、というアンバランスさが、彼らをとても魅力的に見せていた。


「じゃあ、やってみましょうか」


 スタジオを包む静寂。そしてKSJCのブラスが響か――ない。


「……すみません、誰が開始の合図を?」


 前列中央に立っていたミズモリケントが、私たちを振り返った。


「ミズモリさんでは?」


 すぐそばにいた夏目先生。


「いや、それはちょっと違うかも」


「なぜですか?」


「なんとなく。KSJCのノリに、僕が合わせていく感じでやりたいと思ってて」


「なるほど。でしたら、僕です。曲によって違うんですけど、前奏なしで一斉に入る場合は、僕がちょっと大げさに息を吸って、みんながそれを見て合わせます」


「じゃあ僕も、夏目先生を見るようにしますね」


 夏目先生は、ミズモリケントの注目まで浴びてちょっと照れくさそうだったが、いつものように息を吸った。


 次の瞬間スタジオに響く、ミズモリケントの声、そしてKSJCの音。



 初回セッションは上出来だった。曲の終了直後、ガラスのむこうの宮本さんが嬉しそうに手を叩くのが見えた。



「思いがけず早く終わったな。つばめ、空いてたら寄ろうか」


 黒田社長が、スマホを取りだした。


「何人行ける?」


 KSJCは全員が手を上げた。


「ミズモリさんと宮本さんは? よろしければ、ご一緒されます?」


「いいんですか?」


「ちょっと、ミズモリ君」


「大丈夫ですよ、先客がいないそうなので、貸し切りにしてもらいます。プライバシーの守られる店です」


「ありがとうございます」


 宮本さんは、ほっとした様子を見せた。マネージャーは大変だ。



 ビールで乾杯して、次は焼酎へ。つばめは、種類こそ日本酒より少ないが、とても美味しい焼酎も取り揃えているのだ。早朝に出勤する予定の夏目先生以外は、いいペースで飲んだ。


「ミズモリさんの声、やっぱりブラスによく合いますね!」


 萩岡係長は興奮気味。


「ええ、ほんとに。職業柄多くのアーティストを見ていますが、今夜のようなセッションは初めてです。新曲も『好き』も、どちらも良かったです」


 冷静な口調ながらも、宮本さんが高揚しているのがわかる。


 新曲のアレンジとバックバンドだけでなく、以前から演奏している『好き』も、KSJCの演奏で録音しなおすことになっている。『好き』は萩岡係長アレンジのキーをミズモリケントに合わせ、みんなが――ミズモリケントも――即興も交えて演奏し、歌とブラスが入り乱れてすごくエネルギッシュだった。


「KSJCは、順番にソロがあるのがいいですよね」


「実はそこが結構大変で。全員に見せ場を作り、かつ違和感ないアレンジっていうので苦労してます」 


「そうなんですね。……すでにアレンジが完成されていて、しかも来週レコーディング予定なのに大変申し訳ないんですが」


 ミズモリケントが手にしていたグラスを置き、改まった口調になった。


「僕にも、何かの楽器でソロパートを作ってもらえませんか? 新曲の方だけでいいんですけど」


 その場にいた全員が固まった。


「ちょっと、何言いだすのよ。ミズモリ君は、ソロでずっと歌ってるんだからいいじゃない」


「そうだけど。僕も何か楽器を弾きたい」


「……ミズモリさん、得意な楽器は?」


 黒田社長がきく。


「ピアノとギター」


「今回のアレンジには合わないと思います」 


 三田村さんが即座に却下したが、ミズモリケントは粘った。 


「そこを何とか。萩岡さんのセンスで、僕でも演奏できそうな楽器でソロパートを」


「ええ? そんなあ、難しいですよ。もうアレンジ、仕上がっちゃってるのに」


 萩岡係長は嫌がっている。当然だろう。


「ミズモリ君、いい加減にしなさい」


「やれることは全部やっておきたいんです。僕がソロで何か弾けば、聴き手をあっと驚かせられるし、話題作りになると思います。だめですか、黒田社長?」


「……でしたら、ライブ用だけ、ミズモリさんソロありのアレンジを作るのはどうですか? レコーディングは正直、今のアレンジを崩すのはリスクが高いと思います。萩岡君、それならどう?」


 さすが社長、敏腕経営者。折衷案を出して交渉をまとめにかかった。


「はあ、できると思いますが……」


「ミズモリさんと一緒にライブする予定なんて、ありましたっけ?」


 私は思わず、質問してしまった。


「ないけど。予定は作ればいい」


「いいんじゃないですか、面白そうです」


 瀬戸さんが賛成すると、夏目先生も笑って頷いた。三田村さんは無表情だったが何も言わないので、反対ではなさそうだ。


「わかりました。では、少しお時間頂けますか。楽器のことと編曲と、両方考えるので……」


「ありがとうございます!」


 ミズモリケントと宮本さんが、頭を下げた。



(続く)

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