30.告白

 ミズモリケントは、明るかった。


 木曜日の午後七時。KSJCのメンバーが通された会議室に、マネージャーの宮本さんと入ってきた彼は、朗らかに挨拶をした。


「はじめまして、ミズモリです。この度は色々とありがとうございます」


 丁寧な物腰、感じの良い笑顔。モノトーンでまとめたセンスの良い服装。売れない歌手の悲壮感は全くない。


(ちょっと、意外だね)


 こちらを見た萩岡係長の目が、そう語っていた。


(ほんとですね)


 私は頷いて気持ちを伝えた。


「次のライブはいつですか? 僕、皆さんの動画にはまってしまって。ぜひ生で観たいと思っているんです」


「ありがとうございます。おそらく十二月です。確定したら、チケットをお送りします」


 黒田社長が答えると、ミズモリケントは嬉しそうに笑った。


「ありがとうございます。楽しみです。ところで皆さん、ライブの時とはずいぶん感じが違うんですね」


 私以外は全員、スーツ姿だ。社長は三つ揃いで、醸し出す雰囲気はまさにエグゼクティブ。瀬戸さん、三田村さん、夏目先生も、「仕事のできる若手社員」といった風情で、萩岡係長は何を着ていてもあまり印象が変わらないが、KSJC全体として見ると、「商談をまとめに来た上司とその部下」という感じだ。


「黒田さんのお名前を拝見して、まさかと思っていたんですが。黒田食品の」


 さすが元広告マン。ミズモリケントは情報通だ。


「ええ、社長です。そして彼らは社員で、一名だけ外部からの嘱託医です。みんな名刺持ってる? 差し上げて」


 ミズモリケント、そして宮本さんと名刺交換をした後、私たちはテーブルにつき、今後のことを話し合った。ミズモリケントは何度かさりげなく、自分の前に並べた名刺と私達の顔を交互に見比べていた。



 エス・ミュージックからの帰り道、私は、夏目先生と駅までの道を歩いた。係長は反対方向にある駅、他の三人は会社に戻るというので、エス・ミュージックのエントランスで別れた。


「良かったね、上手く進みそうで」


「はい。ミズモリさん、きちんとした方でしたね」


「うん」


 話しているうちに、いつの間にか駅に着いた。夏目先生は違う路線なので、ここでお別れだ。


「あのさ、飯倉さん」


 夏目先生が何か言いかけたので、私は焦って挨拶をした。


「今日はお疲れさまでした。また来週」


「……うん、じゃあまた」


 速足で、改札を抜ける。


 大学で付き合っていた須藤君に、「なんで別れ際、そんなに急ぐわけ?」ときかれたっけ。あの時は、「門限があるからだよ」と答えたし、そう思い込んでいた。

 だが改めて考えてみると、「大きな女が別れ際にいちゃいちゃしているのはみっともない」と潜在意識にあったのではないだろうか。百六十七センチの身長が昔からコンプレックスだった。


 須藤君と別れてからは、誰とも付き合う機会がなく二十九歳になり、そうしたら処女であることが重くなってきて、告白されることすらも怖くなってきた。


 もしや。これが巷でよくいわれる「こじらせている」ということなのだろうか。


 ホームで電車を待つ間、スマホで「こじらせ女子」を検索してみる。

「恋愛に消極的」、「ネガティブ」、などの基本情報に加え、様々なタイプ別のこじらせ分類など、ネットには「こじらせ女子」の情報が溢れていた。恐る恐る、読みやすそうなページを開いて読んでみる。


(うーん……当てはまっているような、いないような……)


 せっかくミズモリケントとKSJCのコラボの話をしてきたというのに。その帰りに調べるキーワードがこれか。自分にがっかりだ。


「深刻そうな顔して、どうしたの?」


 突然後ろから話しかけられ、私は驚いてスマホを落とした。誰なのかは、声ですぐわかった。


「眉間に皺、寄ってたよ」


 夏目先生は屈んでスマホを拾ってくれた。


「……自分が女をこじらせているんではないかと、調べていたところです」


「で、調査結果は?」


 夏目先生は楽しそうに笑っている。ここ、笑うところじゃないのに。


「こじらせ『かけ』、でしょうか……」


 完全にこじらせているとは、認めたくなかった。


「そう。まだ大丈夫だと思うけど」


「ありがとうございます。ところで夏目先生、どうされました? 忘れ物でも?」


「うん、言いそびれたことがあって」


 夏目先生が何か言ったが、ホームに入ってきた電車の音でかき消された。


「え?」


 きき返すと、夏目先生は私と体が触れ合うくらいに近づき、耳元ではっきりと言った。


「好き。付き合って」


 その時、電車の発車メロディが鳴った。ホームにいる人たちが、電車の乗車口に向かって動き出す。


「……すみません、乗らなくちゃ」


「待って。返事を聞きたい、今。付き合ってくれる?」


 夏目先生が、私の腕を掴んだ。思いつめたような表情だ。


 どうしよう。


 その時、さっき読んだ「こじらせ女子」についての解説が頭をよぎった。


『告白されたら、必要以上に相手の好意を疑うのはやめましょう。自分の気持ちに素直に。恋愛経験がないとか処女だとかその他諸々、細かいことを気にしちゃだめ』


 そうだ。答えは。




「はい」


 夏目先生に、笑顔が戻った。



(続く)

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