第二章

14.花音、シェアハウスの内見に出かける

 まさか、このタイミングで家を出ることになるとは。


 母には言い過ぎたかなと思ったし、一人暮らしを決めるにはずいぶん衝動的だったかもしれない。

 でも、いま実行に移さなかったら、私はずっとこのまま「自立」を知らずに年を取ることになる気がした。



「うーん、この予算だとご希望の物件はなかなか厳しいですねえ」


 翌日、横峯不動産。

 私があれこれ理想の物件について話した後、山際さんはうめいた。私を担当してくれる営業さんで、おそらく同じくらいの年齢かな。中肉中背で温和な好青年、という感じの人だ。


「私、もう六年以上、横峯不動産のファンなんです。ウェブサイトで個性的なお部屋ばかり紹介されてますよね。大好きなんです。自分の部屋を探すときにはこちらで、と思っていました。だから何とか」


 せっかくの一人暮らしだもの。面白いお部屋に住みたい。


「なるほど……」


 山際さんは、腕組みをしてしばらくの間考え込んだ。


「『個性的な物件』がお好きなわけですね?」


「はい」


「ちょっと待っていてください」


 山際さんは一度奥に引っ込み、間取り図を手に戻ってきた。


「初めにお伝えしておきますが、来年の三月までしか住めない物件です。シェアハウスで、キッチン・バス・トイレは共用。入居者は退去し始めていて、もう、一人しか住んでいません。それでもよければ、詳細をご説明します」


「シェアハウスですか」


 キッチンはともかく、バス・トイレ共用はきついな。


「期間限定の代わりに、家賃が格安で、月五万円です」


 五万円! でも……。


「初めての一人暮らしで、知らない人と一緒に住むってどうなんですかね……」


「ご心配ですよね。ですが、家具や家電を揃えなくていいという利点があります。一人暮らしの感覚を掴むにはいいかもしれません。それに」


 それに?


「飯倉さんのお話を伺った感じだと、きっと気に入って下さると思うんです。僕としては、イチオシです。まずは内見してみませんか?」


 山際さんは、爽やかな笑顔を見せた。



 シェアハウスは、大きな池のほとりにあった。

 池の周囲は大きな公園が取り囲んでいる。都内でこれほどの自然があるのは贅沢だ。公園に隣接する住宅街も緑が多く、樹々の間にひっそりと邸宅が点在している。古くからのお屋敷町だ。


(こんなところにシェアハウスが?) 


 山際さんについて公園を抜け、住宅街をしばらくいくと、立派なレンガ造りの門が出現した。


「ここです」


 山際さんが門扉を開けてくれ、私は中に入った。


 石畳のアプローチ。両脇にはアジサイの茂みがあり、淡い黄緑色の蕾を沢山つけている。満開になったらさぞかし美しいだろう。そして十メートルほど向こうに、趣のある二階建ての洋館が建っていた。驚いた。もっと普通のアパートみたいな建物を想像していたから。


「――素敵」


「でしょう?  昭和二十年代に、アメリカ人のご夫妻が建てました。何度か改装はしていますが、基本的に当時のままの作りです」


「贅沢ですね。でも取り壊し予定なんですか」


「ええ。ここ数年はシェアハウスとして使っていましたが、老朽化が進みまして。もう限界だそうです」


「そうなんですか」


 こんなに素敵な建物なのに、もったいないな。


「今住んでいる方は、三十代の男性です。これから会えると思います。さっき電話したら、いらっしゃるとのことでしたので」


 山際さんは、インターホンを鳴らした。


『はい』


「お電話差し上げた、横峯不動産の山際です。今、よろしいでしょうか?」


「もちろんです。ちょっと待っていてください」


「僕もカギは持っているので、住人が不在でも管理上必要があれば入るんですが。シェアハウスとはいえ二人きりで住むとなると、お互い気になるかなと思いまして。会っておいた方が良いかなと」


 その時ドアが開いた。

 玄関に、Tシャツにデニムシャツを羽織ったすらりとした男性が立っていた。首にタオルをかけていて、少し癖のある髪が水気を含んでいる。シャワーを浴びた直後だろうか。


「どうぞ」


 私たちを招き入れてくれようとした彼を見て、私は不思議な感じがした。


 誰かに似ている――ああそうだ、三田村さんに……っていうか。


「三田村さん?」


「……飯倉さん?」


 洋館シェアハウス、唯一の賃貸人は、バリサックス担当の三田村さんだった。



(続く)

 注記:不動産会社、「東京不動産」から「横峯不動産」に変更しました。

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