12.初ライブの練習始まる & Crazy Crazy(星野源)
五月中旬の金曜日、私はKSJCのメンバーと一緒に「つばめ」に行った。
今日は六人全員が揃っている。五月下旬にライブをやることになって、その練習をした帰りだからだ。
店に着いたのは九時。六席あるカウンターはすべて埋まっていて、私たちはテーブル席に落ち着いた。これで店内はほぼ満席。
「では、今日は飯倉さんの歓迎会ということで」
社長がビールの入ったグラスを軽く掲げる。
「えっ、あっ、すみません。気を遣って頂いて」
「誰かが入ったら必ずするから。気にしなくていいよ」と萩原係長。
「三田村君が厳しいことを言ったので心配しましたが、入ってくれて良かったです。よろしくお願いします。では、乾杯」
「乾杯!」
この間と同じように、おまかせのお料理がどんどん運ばれてくる。ミョウガ入り海鮮サラダ、セロリとベーコンのきんぴら、新じゃがのおかか和え、カツオのたたき。乾杯の後に出された冷酒と、よく合った。〆はざる蕎麦。
よく話すのは萩岡係長と瀬戸さん、それに社長。夏目先生と三田村さんは聞き役だ。同じ聞き役と言っても、夏目先生が頻繁に相槌を打ってよく笑うのに比べ、三田村さんはあまり笑わず、自分の意見があればしっかり主張するタイプだった。
話題は音楽のことがほとんどで、居心地が良かった。内気な私も、音楽の話ならかなりついていけるのだ。
「基本的に上下関係はないんですが。支払いだけは、私が持つことが多いです。社長ですので、その点は」
その言葉通り、支払いはいつの間にか済んでいた。
クラブ活動とはいえ、社長にここまでしてもらうとは……。私は恐縮して丁重にお礼を言ったが、社長は「気にしないでください」とダンディな笑みを浮かべるのだった。
これでお開きだろうと思ったが。
「もうちょっと演りたかった」
と瀬戸さんが言いだし、部室に戻ることになってしまった。明日は休みだし酔い覚ましにいいか、とみんなの意見が一致した。
「せっかくだから、面白いのにしよう」
萩岡係長が出してきた楽譜は、星野源の『Crazy crazy』
「これはさあ、夏目先生加入直前の、メンバーが五人になっちゃったときにやった曲なんだ。瀬戸君お気に入りの曲で、『俺も生演奏で歌ってみたいです!』って言うから。はい、飯倉さんは初見で頑張って。原曲そのままのコピーだよ」
係長は私に楽譜を渡すと、自分はピアノの前に座った。その隣に三田村さんも。連弾なのか。社長はベースギター(部室には色々な楽器が置いてある)。瀬戸さんはボーカル。夏目先生はパイプ椅子に座って楽しそうに鑑賞。
お酒が入っていたので、みんなはじけた。私もちょっとだけはじけた。
そして二曲目はミズモリケント。萩岡係長以外の全員が初見で、KSJCにしてはずいぶん慎重な演奏だった。
「いいなぁ、このアレンジ。萩岡君、上手に作ったね」
社長はご機嫌だ。
「ありがとうございます。原曲の良さあってこそです」
「黒田さん、意外と若者向けの曲、好きですよね」
「瀬戸君が中森明菜を好きなのも、意外じゃないか」
「ミズモリケント本人に聴かせてあげたいですね」
みんなの後に、三田村さんがぼそっと一言。
「ドラムが安定していて弾きやすい」
あれ、褒められた?
「でも、高林君みたいに、たまにぶっ飛ばしてくれたらもっといい」
やっぱり注文があるのか。三田村さんは要求水準が高い。
私はライブに向け、順調に練習を重ねた。
そうすると不思議なもので、仕事にも張り合いが出てきた。練習仲間の萩岡係長が定時きっかりに上がれるように、彼のサポートに力が入るようになったのだ。もちろん、自分の担当業務は速やかに終わらせている。
「飯倉さん、最近明るくなったわよね」
備品発注のデータを入力していると、同じ係の片岡さんが話しかけてきた。
「そうですか?」
「うん。服装もちょっと変わったし。前はスカートが多かったけど、今の方が似合ってる。背が高くて、スタイルいいものね」
私は最近、毎日のようにクロップドパンツをはいている。理由は単純で、ドラムを叩くときに足を開くから。ボトムスの変化に伴い、トップスも自然とシンプルなものを選ぶようになった。
髪は後ろで一つにまとめて、アクセサリーは小さなピアスだけ。最近の私のコーデ、すっきりして良くなった――自分でもそう思っていた。
KSJCに入ったおかげだ。
一人での練習も、みんなとのセッションも、とても楽しい。毎日に張り合いができた。感謝せずにはいられない。
萩岡係長、私をスカウトして下さってありがとうございました。
(続く)
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◇星野源
https://www.youtube.com/playlist?list=PL0-g9V4B-03Iv5dysq2RSPlTHcxqDEAq8
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