六重奏:地味OL、ジャズ(?)バンドに加入してハウスシェアして恋をする。
10.私のお気に入り(My favorite things), Sing sing sing, テイクファイブ(Take five), トルコ風ブルーロンド(Blue Rond à la Turk)
10.私のお気に入り(My favorite things), Sing sing sing, テイクファイブ(Take five), トルコ風ブルーロンド(Blue Rond à la Turk)
ひとしきり話した後で、萩岡係長は五線紙とペンを出し、ピアノに向かった。そしてポロンポロンと、リラックスした感じで短いフレーズを弾いては、五線紙に音符を書き連ねていく。
「編曲ですか?」
「うん」
「なんていう曲ですか?」
どことなく懐かしさを感じさせる旋律だが、聴いたことのない曲だった。
「ミズモリケントっていう歌手の『好き』っていう歌」
ミズモリケント? 知らないな。
「去年出したシングルだけど、ほとんど売れなかったんだ」
「へえ」
「萩岡さんは、評価してるんですよね」と瀬戸さん。
「そう。僕はすごくいい曲だと思うんだ。声質も好み。だけどアレンジがいまいちかな。そう思ったら、自分で編曲したくなっちゃった。楽譜ができたら、みんなで演ろう」
その夜、私はミズモリケントの『好き』をダウンロードした。シンプルな恋の歌で、片思いの気持ちを淡々と歌っている。そしてところどころ、切ない。ミズモリさんが失恋した後に書いた曲かも知れない。
アレンジがいまいち、という萩岡係長のコメントはもっともだった。
キーボードを多用していて、なんだか軽い。ミズモリケントの少し低くてハスキーな声とのバランスが悪い。なんでこうなってしまったのだろう……。曲と歌詞がいいのだから、いっそのことギターかピアノだけの伴奏が良かったかも知れない。
私は毎日、お昼休みに二十分、終業後に一時間、ドラムの練習をするようになった。
練習を始めてしばらくたった木曜日。終業後に、黒田社長と三田村さん以外の四人が集まった。
瀬戸さん、夏目先生、萩岡係長、そして転勤した高林さんの四人は、木曜日の終業後は必ず一緒に練習するようにしていたそうで、高林さんの代わりに私が加わった、というわけだ。
「黒田社長と三田村君は、早い時間には練習に来られないんだ。忙しくて。せめて彼ら以外の四人はってことで、週一回、集まることにしてた。ところで飯倉さん、できるようになった? 課題曲」
夏目先生がトロンボーンを組み立てながら、私にきいた。
「うーん、どうですかね……」
自信がない。
「大丈夫だよ、飯倉さんは上手だよ。まずはやってみよう。『My favorite things』から」
萩岡係長に促され、みんなが定位置についた。
楽器を手にリラックスした様子で立つ瀬戸さんと夏目先生。二人並ぶと、すごく絵になる。
私はシンバルを二回、ゆっくり叩いた。
二メートルほど前に、夏目先生の後姿。
先生の肩が上がる。大きく息を吸い込んだのがわかった。直後、夏目先生のトロンボーンがソロで入り、主旋律を奏でる。
心地よい揺らぎが部室を満たしていく。
サビの部分で、それまで控えめだったテナーサックスとトランペットが、トロンボーンの主旋律に重なり、クレシェンドでたっぷり盛り上げて――曲はまた静かに、夏目先生のソロに戻る。
最後は大音量で曲をぐっと膨らませ、そこで終了。
ジャズアレンジだが、三分弱の演奏に収めてあった。
「短いですね?」
「休憩用の曲だから」
萩岡係長によると、バンドのメンバーが動きすぎて疲れた時に、一息入れるための曲なのだという。
「三拍子だから、お客さんも新鮮な気持ちで聴いてくれて、意外と好評なんだ」
夏目先生がにこっと笑った。先生はよく笑う。
次は「Sing sing sing」。今日は、夏目先生のトロンボーンが入って厚みが増している。ドラムと手拍子の掛け合いのところは、三人で手を叩いてくれウキウキした。
五拍子のTake five
トランペットがメインで、萩岡係長が哀愁を帯びたメロディをしっとりと吹いていく。「大人のジャズ」だ。この間のライブで飛んだり跳ねたりしていた人たちと同じとは思えない。
「いいんじゃないですか? どこも問題なし」
演奏を終えると瀬戸さんは、スマホを出して電話をかけた。
「三田村君? 今ちょっといい? 飯倉さんと合わせてみたけど、上手だよ。どうする? 九拍子。あのピアノ、ちゃんと弾いたことあるのは三田村君だけだよ。来られる?」
タタ・タタ・タタ・タタタ、タタ・タタ・タタ・タタタ……という、九拍子の軽やかな和音を、三田村さんのピアノが奏でる。
九拍子というと、凝っていて難解な曲を想像するかもしれない。だけど「ロンド風ブルーロンド」は、気の利いた小品という感じの雰囲気で、おしゃれだ。気にしなければ、九拍子には気付かないかも知れない。
私は、なんとか大きなミスなしで最後まで到達した。
そして見てしまった。ツンとすました顔がデフォルトの三田村さんが、曲の最後で楽しそうに笑ったのを。
こうしてその夜、私の入部は正式に認められた(黒田社長は、そのへんは若者たちに任せているそうだ)。
(続く)
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◇私のお気に入り(My favorite things), Sing sing sing, テイクファイブ(Take five), トルコ風ブルーロンド(Blue Rond à la Turk)
https://www.youtube.com/playlist?list=PL0-g9V4B-03J39D2jyKdfZCHa-4Lcgl8d
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