9.花音、萩岡係長と”Sing sing sing”を練習する

 デスクに戻ると係長は、周りに人がいないのを確認し、ささっと大判の封筒を渡してくれた。私もすばやく中を確かめる。カギが一つと、楽譜が四部、入っていた。


 My favorite things(私のお気に入り)

 Sing sing sing

 Take five

 Blue Rond à la Turk(トルコ風ブルーロンド)


 どれもジャズの有名なナンバーだ。それぞれ拍子が違い、Take fiveは五拍子、トルコ風ブルーロンドは(とても珍しい)。さすが課題曲。


 高林さんのメモが付箋で貼ってある。


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 飯倉さん


 部室のカギです。使ってください。いつでも自由に入れます。

 入部しない場合は萩岡さんに返却をお願いします。


 楽譜は、三田村さんより指定の課題曲です。偉そうですみません。

 そういえば僕も入部当時、やらされました。

 知っていると思いますが、それぞれ拍子が違います。。


 Sing sing singは、萩岡係長がアレンジして、通常版よりドラム部分が多くなっています。

 これが弾ければ、飯倉さんの演奏技術は問題ないでしょう。

 あとは、他の曲でも上手くバンドをリードできれば、三田村さんも納得すると思います。


 高林

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 気になって思わず、Sing sing singの楽譜を開いてみた。


 予想よりはるかに、ドラムのソロが多い。


「いいでしょ、それ。思い切って編曲しちゃった。高林君、いつも目立てなくて気の毒だったからさー。どの楽器にも、見せ場は必要じゃない。ちなみに、ソロの部分はそれほど楽譜に忠実じゃなくていいよ」


「でもこれ、通常版の倍くらいドラムじゃないですか。あと、手拍子?」


 楽譜には、「観客の手拍子をリードする」という書き込みが、複数個所にあった。


「うん。面白いでしょ! ドラムソロに合わせて、お客さんに手拍子させるの。瀬戸君と夏目先生が煽るの上手くてねえ。すごいウケいいんだよ、その曲。ライブでやると楽しくて」


 萩岡係長は笑い、


「今日の帰り、僕は練習して帰る予定だから、良かったら飯倉さんも一緒に」


 とヒソヒソ声で誘ってくれた。


「ありがとうございます」


 私もヒソヒソと返事をし、その後は二人とも、仕事に集中した。


 ワクワクしてきた。


 冷たそうな三田村さんは気になるが、係長と一緒なら大丈夫な気がする。



 終業後。係長と私は、駐車場を足早に抜けて練習室に向かった。


「なにからやる?」


 萩岡係長は楽器ケースからトランペットを出した。


「Sing sing sing、やってみたいです」


 これなら何度も弾いたことがある。


「じゃ、僕は主旋律を弾いちゃう」


「他の楽器のパートもですか?」


「うん、適当に弾くよ。メロディーあった方が楽しいでしょ?」


 ドラムの印象的な前奏を何度か繰り返し、係長のトランペットが入ってくる。他の楽器のパートを無理やり吹いて、主旋律をつないでいく。


 仕事ではゆったり目で、やや要領の悪いところもある係長だが、音楽に関しては俊敏だ。体をフワフワとリズミカルに動かし、演奏はキレキレ。


 メロディーがやがて消え、ドラムのソロに。


 ここから長い。


 係長はトランペットを置き、手拍子を始めた。


 楽譜に「観客の手拍子をリードする」が書き込んである部分だ。


 あはは。かっこいいなあ。


 二人で弾いていると、ドアが開いて、瀬戸さんが入ってきた。


 私が一瞬戸惑った顔をしたのだろう、


(そのまま続けて)


 というように、手で合図をしてくれた。


 二回目のドラムソロが終わって、このテンポならたぶん二分くらい弾いて曲の真ん中にさしかかったところ。


 急いで楽譜をめくるとそこには。


「最初のメロディーに戻る。観客の反応を見て、歌った方が盛り上がりそうなら歌う」の指示書きが。


 なんだこれ、と思ったすぐ後、瀬戸さんが萩岡係長と私のちょうど真ん中に立ち、マイクのスイッチを入れた。


 そして歌い出した。


 瀬戸さんがワンコーラス歌って、その後は最後の盛り上がり部分を係長が吹いて、曲は終わった。


「……いいんじゃないですか?」


 瀬戸さんが振り向いた。笑顔だ。


「うんいいね、テンポが正確だし、瀬戸君が歌い出しても動じないし。いいよ、飯倉さん。やっぱりドラマー向きだよ。僕が見込んだだけのことはあるなあ」


 ご期待に沿えたようで良かった。私はほっと、胸をなでおろした。瀬戸さんに質問してみようという、余裕も出てきた。


「瀬戸さんは、何課ですか?」


「営業三課。コーヒー担当」


「いつからKSJCに?」


「二十五の時から。もう八年になる」


 三十三歳なのか。


「バンドとかやってたんですか」


「それよくきかれる。うん、ボーカルとギターやってた。あとはピアノとブラバンと……」


 瀬戸さんの音楽歴は多彩だった。


「俺の名前、演奏の奏と書いて『そう』って読むんだけど、両親が中学と高校の音楽教師で、男三人兄弟で俺は末っ子。みんな音楽関係の名前だし楽器好き。実家にいろんな楽器があるよ」


 なるほど。恵まれた音楽環境で育ったんだな。


「飯倉さんも名前に『音』がついてるよね」


「うちは母親がクラシック好きで。ピアノだけでしたけど、ずっと習わされていました」


「三田村君は『響(ひびき)』っていうんですよね、萩岡さん」


「うん。彼の家も音楽教育に熱心で、中高は音大付属だったんだ。本人は堅い仕事に就きたかったから、大学は相当頑張って経済学部を受験したそうだ」


「三田村さんは何課ですか?」


「財務課。公認会計士の資格を持っていて、優秀だよ」


「いつからメンバーに?」


「入社直後だから、七年前だね。新入社員の履歴書を見た社長が、高校名でピンと来て、何の楽器が弾けるのかきいて、直々にスカウトしたってわけ」


 三田村さんの自信ありげな態度には、ちゃんと裏付けがあるんだな。


「すみません、皆さんのお名前と所属、メモしてもいいですか?」


「うん、いいよ」


 萩岡係長が、一人ずつ、フルネームと担当楽器、所属を教えてくれた。


 KSJCメンバー


 黒田 雄一ゆういち(45) チューバ、社長

 萩岡 いさむ(40) トランペット、総務係長

 瀬戸 そう(33) テナーサックス、営業三課

 夏目 れい(32) トロンボーン、嘱託医(K大附属病院より派遣)

 三田村 ひびき(30) バリトンサックス、財務課



 (続く)


 ――――――――――――

 ◇Sing sing sing

 https://www.youtube.com/playlist?list=PL0-g9V4B-03KfwtYgGJt9bryK73_lec-o


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