4.編曲担当は萩岡係長。花音、加入依頼をなかなか断れず。
翌朝出勤すると、萩岡係長がヒソヒソ声で話しかけてきた。
「どう?」
「どうって、何がでしょうか?」
「またまた。楽譜。どれが好きだった?」
「……どれも。原曲とかなり変えてあるのに、良さはそのまま残っていて」
「ほんと? 一番いいと思うのは、どれ?」
「……『ルパン三世のテーマ'78』です。すごいなって思いました」
「うんうん、どこが?」
係長が斜め横の席から、身を乗り出してくる。
「おしゃれなジャズ調でありながら途中から激しく盛り上がる、疾走感あふれる編曲でした」
係長の顔は、ぱぁっと輝いた。
「そう! それ、僕も一番よくできたと思ってるんだ! おっと急に失礼、編曲は基本的に、僕が担当なの」
驚いた。萩岡係長、華麗にトランペットを吹くだけでなく、編曲の才能もあったとは。もしや、あのバンドの中心メンバーなのだろうか。
午後、私は営業二課に楽譜を返しに行った。
「高林さん。これ、ありがとうございました」
高林さんは昨日と同じく、私と一緒に廊下に出て自販機のところへ。
「楽譜、どうでした?」
「とても良かったです。びっくりしました。アレンジが多彩で」
「じゃあ、僕の後任、引き受けてくれますか?」
爽やかな笑顔。そして期待している口調。
「いえ、すみません。それは私」
できません。そう言いかけたとき。
「高林君」
白衣を着た男性が、私たちのところに近づいてきた。
「あっ、夏目先生。萩岡さんから連絡が?」
「うん」
「じゃあ僕はここで失礼します。これから外回りなんで。続き、お願いします」
「えっ、ちょっと高林さん? 私もこれで」
焦ってその場を去ろうとした私を、高林さんは制した。
「飯倉さんは、少し夏目先生と話していって」
先生。そうか、社内診療所の嘱託医の先生か。
「初めまして、夏目です」
先生は、感じのいい笑顔を私に向けた。優しそうだしハンサムだ。それに若い。まだ三十代前半くらいだろうか。モテるだろうな、この先生は。ここにこうしてやってきたということは、この先生もバンドのメンバーか。どの楽器? 私は先生の顔をまじまじと見た。そうだこの雰囲気は。
「トロンボーン!」
真ん中にいた人だ。
「当たり」
先生は笑った。
「ライブの時と全然違うので、わかりませんでした」
あの時は、髪を無造作におろしていた。トロンボーンを振り回して、演奏はなかなかの激しさだった。今は、髪はきちんと整えられ、ネクタイに白衣。物腰は穏やか。
「先生、社員なんですか?」
「いえ、違います。大学病院から週一回、派遣されています。もう二年になるかな。他の曜日は違う医師が来ています」
「先生は」
「夏目です」
「……夏目先生は、どうしてバンドに入ったんですか?」
「一年前に萩岡係長がぎっくり腰で診療所に来て――ちなみに僕は内科医ですけど――その時に『先生、きれいな指してますね。何か楽器を?』と」
その時も係長がスカウトとして活躍したのか。
「やはり、前任が抜けたタイミングで?」
「そう。僕は前任を知らないんですけどね。半年間、社内で後任が見つからなくて、それで困り果てているときに僕を見つけたと」
「楽しいですか?」
「うん。ストレス発散になるよね。みんなうまいし、何より編曲がいい。楽譜、見たでしょう? 演奏しがいがありますよ」
「……」
「だからもう一度、考えてみて下さい。トロンボーンなしでもなんとかなるけど、ドラムがないと困るので。今度、高林君の壮行会を開くので、そこでゆっくり話しましょう。それでだめなら、僕たちも諦めますから」
「でも……」
「ああそうか、男ばかりの中に女性一人じゃ緊張しちゃうかな、この間ライブに一緒に来ていたお友達も一緒にぜひ」
優しく諭すような話し方。そして気遣い。断れなかった。だが壮行会には瑠璃も一緒に連れていける。その時こそ、しっかり断ろう。
(続く)
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