2.とんかつ
ここはオフィス街のとんかつ屋さん。
「あのさ、金曜日のあれ」
料理が運ばれてくるのを待っていると、係長がおもむろに向かいの席から身を乗り出し、ヒソヒソ声で話し始めた。
「はい」
「黙ってて欲しいんだ」
「はい」
「……理由、きかないの?」
「会社で禁止されている副業をなさっているのかと」
「禁止? 副業?」
「ライブでお金を稼ぐのは、まずいんじゃないですか?」
「ああ。その点は大丈夫。ちゃんと申請してるから」
「ライブ活動、オフィシャルに許可もらってるんですか?」
「うん。人事課に伝えたらあっさりOKだったよ」
「じゃ、私が黙っている必要はないのでは」
「だって、ちょっと照れくさいじゃない? 僕のもう一つの姿」
「おまちどうさまー。ロースカツ定食とヒレカツ定食です」
ランチが運ばれてきて、話はここで中断。
「熱々のうちに食べないとね!」
係長は嬉々としてヒレカツを口に運んだ。サクッ、と美味しそうな音。私も箸を伸ばす。軽やかに揚がった衣にやわらかなお肉とジューシーな脂身。それを濃厚なソースが包み込む。急いでご飯も一口。
「……美味しいですね。ソース・衣・お肉が絶妙に合いますね」
「でしょ? トンカツはこのお店が一番だと思うよ。ヒレもロースも、それぞれ素晴らしい。僕は交互に頼むことにしてるんだ。あと、秋になったら牡蠣フライも美味しいよ」
そうなんだ。私はロース派だけど、今度はヒレも頼んでみようかな。
「次のライブはいつですか?」
また聴きに行きたい。
「未定」
「え?」
「ドラムが抜けちゃうんだ。フランスに転勤で」
「そうなんですか」
ドラムは、目立たないけれど演奏を支える重要なパートだ。息の合ったバンドだったのに残念。
「でさ、相談なんだけど」
「相談?」
まだ話があったのか。
「飯倉さん、僕たちのバンドに入らない?」
「は?」
何を言い出すのだ、急に。
「履歴書に書いてたでしょ、『趣味・音楽、楽器・ドラム。ブラスバンドをやっていました』。女の子なのに意外だなーと思って、覚えてたんだよ。あの通り、フロントの三人は派手でよく動くけど、後ろの三人は地味にしてていいから、っていうか、あいつらとかち合わない大人しめのキャラがいいんだ。だから飯倉さんなら適任!」
「『適任!』って……。係長、私がどのくらい叩けるか、知らないじゃないですか。それに履歴書って、入社試験の時に提出したものですよね? あの時はブラバンに入ってましたけど、ここ数年、ドラムは叩いていません」
「でも、大学はN大でしょ? あそこのブラバンは有名だから、そこそこ叩けるでしょ? すぐ思い出せるよ。金曜日は楽しそうに聴いていてくれてたし、職場でいつも落ち着いてて仕事も正確だから、きっといいドラマーだと思うんだよねー」
萩岡係長は、最後のとんかつをパクつき、こちらを見て「ウフフ」と笑った。
(続く)
――――――――――――――――
◇作中登場する曲で原曲のオフィシャルな動画のあるものや、関連楽曲で面白い動画のあるものは、下記URLに順次追加していきます(2019年1月3日時点で、最終話までの関連動画がすべて入っています。ネタバレ注意です)。
https://www.youtube.com/playlist?list=PL0-g9V4B-03ILHnkX1Jm-sGp745f4m5Aw
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます