『贋作の存在意義とは』

 ここに、二体の彫像がある。

 一体は名のある彫刻家が精魂を尽くして作り上げた本物。

 もう一体は、精魂尽くして作られた彫像を模して作られた贋作。

 材質は同じ。本物から奪い取った技術にて作られた偽物は、その道のプロと呼ばれる人間であろうとも、念入りな鑑定をしなければ見抜けない程の力作だとする。

 要は真贋の違い。本物か偽物かの違いである。

 どちらが本物でどちらが偽物か。それによって変わるものはたった一つ。

 価値だ。

 尊さにしろ、単純な値段設定にしろ、真贋の差で大きく、彫像の価値は変動する。

 無論、言うまでもなく、本物の方が価値は高い。

 作者がゼロから作り上げた作品は、その人がなければ作られる事のなかった未知の産物だ。その人が作ろうとしなければ、一生誰も作る事がなかったかもしれないし、ずっと先の遠い未来にてようやく生れ落ち、時代錯誤と罵られる事になったかもしれない。

 作られ、生れ落ちたその日、その時、その瞬間に作られた意味を持ち、価値を持つ。本物とはそういう物だ。

 では、贋作の存在意義とは。

 贋作、偽物は、真作、本物より価値が低い。

 何せ、すでにこの世に存在している物だ。すでに多くの人が価値を認めている物であり、最初に作り上げたその人の作品として、認知されている物だ。

 故に贋作で以て、真作と同じ評価を得る事は卑怯とされ、同じ価値、同じだけの名声を得ようとする者達は等しく蔑まれ、罵倒と非難の対象となった。

 だが、人は問う。

 本物と偽物。真作と贋作。どちらがより価値があるのか。

 本物を推す者は、本物があるからこそ物の価値が定まる。そもそも本物があるからこそ、真贋の概念が生まれたのだから、本物の方が価値があると言う。

 偽物を推す者は、偽物が本物を超える事さえある前例を示す。実際、真贋の有無さえ理解出来ない素人からしてみれば、真作よりも価値の劣る贋作は、同じ似姿を取っている上、本物の代用になるのだからこれ以上に嬉しい事はない。

 例え偽物だろうと、本物に成り代われるだけの価値がそこにあるのなら、むしろ偽物にこそ、価値があるのではないかと語る。

 一方で、真贋に差異は無く、どちらも等価値であると言う者もいる。

 だが、この議論はおそらく、芸術的価値を求める際に問われる物であり、他の物ごとに関してはあまり意味を持たぬ話し合いだ。

 それが本物であろうと偽物であろうと、同じ成果が得られるならば、特別議論するような事ではないのだから。


  *  *  *  *  *


 理想を胸に。夢を両手に。

 心に描ける心象を、魔力に変えて、広げる。

 “オープン・マイ・ユートピア”。魔女族の秘術にして最終奥義。魔術の先、世界を塗り替える魔のおきてにして、理たる魔法へと至らんと編み出された極地。

 本来、一人の魔女が自らの生涯を掛けて、ようやく一つの具現化に至るのだが、“橙の魔女サンセット・プリンセス”エスタティード・オレンジは、これを複数所持する。

 奇しくも、【外道】の魔術師と共に巡った多くの土地、国、世界、人々が、オレンジの作り上げる心象に多くの色彩を与え、数を与えていた。

「“序曲イントロダクション孤立無音パレード・オブ・ソロ”」

 暗転。広がるのは果てしない闇。

 熱源は存在せず、光源もない。ただひたすらに暗く、冷たく、重く圧し掛かるような黒が五感を奪う。

 観る物はなく。聞こえる物はなく。味わう物もなく。臭う物もなく。触れる物もない。

 が、突如として耳にだけ、旋律が与えられる。

 五感のうち四つを奪われた体、鋭敏に発達した聴覚に向けてぶつけられる旋律は、さながら鼓膜に向けて放たれる破壊兵器。

 聴く者の脳を揺さぶり、思考回路に誤作動を生じさせる自爆誘導魔術。

 一体、どのような心象を描けば至るのか。誰の理解も及ばない、無慈悲な世界。

 ある者は幾億もの花が咲く色鮮やかな花畑を想像し、ある者は白いさざ波を打ち付ける焼けるように熱い白浜を描き、ある者は有名な絵画が幾万と飾られた美術館を創る。

 各々が各々の世界を構築する中、何もない世界を構築し、成立させたのはオレンジ以外にいなかった。

 何もないのに、世界として成立させる。虚無なる世界を心象として描き切る事は、限りなく無理難題に等しい。

 真っ白なキャンバスに黒いインクをぶちまけて、これこそアートだと金を取るようなものだ。

 本来ならば、成立などするはずがないにも関わらず、成立してしまえる不思議。喰らった者でさえ形容する術を知らず、どのようにして構築し得たのか、想像もつかない。

「見事! エスタティード・オレンジ、おまえはもう、魔女族の秘術を完璧に会得している! と、“魔婆まばあ”様は仰っておいでだ! 今後もより一層の魔術の会得、及び魔女族の発展のため、精進するように! 以上!」

 本来ならば感謝の意を込めて言葉を添えるべきなのだろうが、オレンジは静かに両手を重ねて、深々と頭を下げて済ませる。

 魔術の発展も魔女族の発展も、オレンジにとっては興味のそそるところではない。

 他の魔女からの反感を買ったかもしれないが、未だ底知れぬオレンジを相手に喧嘩を売る相手もいない。

 魔眼の双生を返り討ちにした噂は未だ深く伝播しており、その双子が彼女に師事している事で、真実味を帯びた噂を信じた魔女達は、誰も歯向かおうとしなかった。

 さながら、魔女の王だ。

 当人はまるで無自覚だが、他の追随を許す事なく、我が道を真っ直ぐに進み、意を唱える者あれば力で以て排除する彼女の姿が、まるで自分の我儘を通し、権力を振りかざす王女のように見えた者から派生したのが、プリンセスの通り名であるが、最早それを超えている。

 何せ彼女が揮う力は、他人から預かった力ではない。エスタティード・オレンジと言う魔女が持つ、彼女が生まれ持ち、鍛え上げた性能だ。

 最初は憎み、ひがみ、妬んでさえいた魔女の中にも、彼女に憧れ、尊敬の念を抱く者達が現れ始めている。

 そんな周囲の環境の変化さえ、彼女には知らぬ存ぜぬ些事たる差異。

 魔術の発展も魔女の発展も興味は希薄ながら、魔女の秘術の精度を高める事には、執着とも執念とも言える感情で以て、濃厚な時間を費やしていた。

「い、五つ?!」

「五つも、心象の具現化を……?」

「現段階では、これが限界です。あと一つだけ、どうしても上手くいかなくて……」

 独奏ソロ

 重奏デュエット

 三重奏トリオ

 四重奏カルテット

 そして、五重奏クインテット

 絶対と言う訳ではないが、本来一つしか持ち合わせないはずの心象風景とその具現化の術を、五つも持っているのは例外中の例外だ。

 【魔導】の魔術師でも、それだけ持っているかわからない。

 なのにオレンジは更にもう一つ。足したい心象があり、まだ足りないと言う。

 だが、興味や好奇心と言った周囲のそれとはベクトルが異なるようで、魔眼の双生はオレンジが何故そこまでして、第六の心象具現に挑んでいるのかがわからなかった。

 魔術師という人種は、大方自身の興味と好奇心とで動く生き物だが、オレンジは例外だ。彼女もまた、興味と好奇心を持つ人ではあるが、魔術師のそれとは少し種類が異なる。

 魔術師とは、一つの分野に対して深く狭く知的好奇心を満たす者。彼女のように何でもかんでもあれやこれやと興味を示し、浅く広く見聞を広めようとする者は、魔術師にしては珍しい。

 だからこそ、オレンジが五つもの心象を具現化していながら、更に一つの心象具現に挑もうとしているのは異質な事で、本来、一つの心象の具現を究極にまで極めるのが普通だ。

 魔術師は器用貧乏よりも、一つの事を集中して極める事が良いとされる傾向が強い。

 双生の魔眼然り、家によって独自の発展を遂げた魔術を主体として、自身の魔術を磨くのが一般的な魔術上達の近道とされる。

 魔女の血筋ながら、そう言った下地が無いオレンジはまず、自分の中で基礎、基本、基盤となる魔術の選択からしなければならなかった。

 が、良くか悪くか、明確な基盤こそないものの、不安定かつ未確定の基盤が彼女にはあった。

 世界が外道と認めた、世界指折りの魔術師。彼と言う、誰も憧れない基盤が。

「私は、お二人のように、特別秀でた才能がありませんから……」

「にしても、六つは凄過ぎると、思い……ますが」

「まぁ、もうすでに五つ実現している時点で凄過ぎますけれど……」

 不安定故に未確定。故に、規格外ならぬ規格無し。

 もはや、魔術師としての上限、下限を逸脱したイレギュラー。オレンジといると、驚く事ばかりでまったくきない。

「では、二人も魔眼の扱い方を……その、もっと勉強……しましょうか。私の心象が、お相手、します」

「は、はい!」

「で、出来ればもう反射されるのはゴメンなんですけど……はい、やります」

 妹はすっかり、オレンジの心象具現がトラウマらしい。

 が、良くも悪くもオレンジの課す特訓メニューに、妥協の二文字はない。オレンジに師事した時点で、姉妹がしごかれる事はほぼ確定していた。

「では、参りましょう……か」

「「はい、よろしくお願いします(!)」」

 魔眼の姉妹を従え、闊歩する橙の魔女サンセット・プリンセス

 今や学園でも指折りの有名人を、見下ろす人は少なくないが、敵視する者は数える程。

 数少ない一人である魔女族の青年は、傍に控える少女に一瞥を配り、再び、橙色の髪をなびかせて歩く少女を見下ろした。

――言うまでもないかと思います。

 はぐらかされたが故に納得なんて出来ていなかったが、なるほど、言われるまでもなかった。

 言われるまでもなく、向こうが上でこちらが下だ。今の立ち位置はまさに分不相応。自分達の理想的形態を、ただ立ち位置で表しただけに過ぎない。

 まるで、今の自分だ。

 偉大なる魔女のひ孫。貴重なる彼女の血統と持ち上げられ、大き過ぎる誇大広告が自分の本来在るべき位置と、持っていかれた位置とを反転させた。

 ならば、本来の位置を目指す。今そこにいる人間を引きずり落として、自分こそがそこにいるべき人間だと示す。

 彼女はそのための生贄だ。怨みも無ければ関係さえ無いが、真贋の是非と優劣を比べるのに、因縁の有無を問う必要はない。

「唾をかけられたものと、諦めて貰う他ないな」

 少女はドレスの裾を持ち上げ、脚を交差させて会釈する。

 さながら、応急の舞踏会に招かれた貴族の令嬢が如く。そう見えるように、動かしている。

「シトラス。おまえは、僕の最高傑作だ。僕が心血を注いで作った、僕の作品だ。ただの魔女なんかに負けるものか。おまえを倒せるのは、ひい婆様くらいだ。そう、作ったんだから」

 顎を持ち上げ、顔を覗く。

 少女は一切瞬きをする事無く、青年の顔を見つめている。

 青年に、色欲はない――つもりだ。魔術師に限らず、色と金と欲が破滅を齎す。故に捨てた。そんな事は出来ないと知りながらも、捨てたつもりである。

 だが、男とはどうも厄介な生き物らしい。自ら作った作品を見ながら、青年は思う。

「シトラス。おまえの方がより優れた作品である事を、僕に証明してくれ」

 言葉を返さぬ少女に問う。

 少女は未だ、瞬きする事無く青年を見つめていた。

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