孤立無音――音心不通

 締め切られた夜の帳。

 普段はたくさんの星々が張り付いているが、今夜は闇が深いせいか、よく見えない。

 机を照らす蝋燭の火のせいだろうかと思いもするが、蝋燭の火がそんなに強いはずはない。

 指先で摘まめば消えてしまいそうな小さな火種を頼りに、オレンジは自分の求める魔術の極限を目指して、古い魔術書を読み耽っている。

 捲る指の力加減を間違えば、瞬く間に破れてしまいそうな程ボロボロなページの中に、今となっては使われていない古代文字が配列された魔術書は、図書室の人曰く、ここ数年、借りて行った生徒はいないらしい。

 最後の貸し出し記録は十三年も前。本と同じ文字で、貸出人の名前が記されている。本が読めるから名前も読めたが、十三年も前だから、当然ながら知らない人だった。

 相当に難しい本だ。古代文字が扱えた点も含めて考えれば、只者ではあるまい。

 まぁ、だからと言ってその人に何かしらの興味がある訳ではないが。

「……はい」

 ドアがノックされたから、遅れながらも返事を返した。

 が、向こうからの返事がない。

 気になってドアを開けてみる。自信過失気味で、いつも不安そうにしている双子の片割れが、物静かに立ち尽くしていた。

 双眸には光が無く、唇は如何なる形にも歪まず、言葉も発しない。

 あの人が見たら、随分と古い手を使うネ、とでも言いそうな軽い暗示が、双子の片割れに掛かっていた。

 解術は簡単だ。だが、それは向こうの用事が済んでからでも問題はない。簡単な暗示故、複雑な命令はこなせない事がわかっているからだ。

「……」

 手に持っていた小さな紙を取る。

 日時は今から三〇分後。場所は、魔女族専用の教室。

 呼び出しなど幾度も、幾人からもされたが、指定された場所は初めてだった。記憶違いでなければ、そこは魔女族だけが使える封印魔術で、硬く施錠されているはず。

 となれば、相手は少なくとも魔女族に関係する誰かと言う事になるが、思い当たる人物に心当たりはない。

 しかしこの場合、相手が誰かなど然したる問題ではない。呼び出しに双子の姉が使われている以上、妹の身を案じる必要がある。

 相手の目的が何であれ、自分のために他人が巻き込まれているのならば、躊躇の必要性は無に等しい。

「すぐに」

 人差し指で眉間を小突く。

 暗示の魔術が解け、崩れ落ちる赤い髪の後輩を抱き留めたオレンジは、彼女をベッドに寝かせると、ベッド脇に立て掛けていた儀礼剣だけを持って、早々に指定場所へ向かった。

 夜の学校と言うのは、オレンジでさえ不気味に感じる。

 普段人がいるのが当たり前の場所に、人がいない。まるで一つの文明が、夜と共に呑まれて滅ぼされてしまったかのよう。

 大袈裟なながら、オレンジの中では一番的を得た例えであった。彼女は同年代の生徒達より多く、命が生まれる瞬間と喪われる瞬間とに立ち会って来たからだ。

「……来てくれてありがとうございます。“橙の魔女サンセット・プリンセス”。この手の呼び出しには、もう慣れている様子ですね」

 教室に行くと、扉が開いていた。

 中では青年が壁に寄り掛かっていて、彼の前にはオレンジより少し薄い橙色の髪をした少女が立ち、青年へと行かせまいとしていた。

「安心してください。コナン・アーティ・ジュエリアを人質に、何てしていません。今頃、自室で眠っているはずです。そこまで強力な催眠でもないので、もしかしたらいなくなっている姉を探し回っているかもしれませんが」

「私を、呼び出した理由を聞かせて頂いても?」

「それも、難しい話ではありません。そこにいる彼女と、力比べをして頂きたいだけです。決闘、と言えば、更にわかりやすいですね」

「何故、この教室なのですか」

「……そうですね。特に理由はない、と言えば嘘になります。しかし、説明するのは難しい。強いて言うなら――そう、決別が近しい」

「決別……」

「……あぁそうか。まだちゃんと、名乗っていませんでしたね。失礼しました」

 普段だと、名乗る前から顔なんて知られているから、失念していた。

 青年はふと、自分から名乗った最後の記憶を辿るが、鮮明には思い出せない。幼少期――それも物心付く前まで遡ったが、結局、いつだったかはわからないままだった。

「初めまして。名を、オルドローズ・ブラヴァスキー。かの“魔婆”様のひ孫、と言えば、より、わかりやすいでしょうか」

「……エスタティード・オレンジです」

「知っていますよ。だからこそ、あなたにこうして来て頂いているのですから」

「名乗るには名乗って返すのが礼儀だと、義姉あねが言っていました。それに、その……プリンセスなどと大層な異名で呼ばれるのは……どうにも、慣れていないもので」

「……そうですか。では改めて、勝負を受けて頂けませんか、オレンジ先輩」

「私は構いません。ですが、彼女の意思確認は、必要ないのですか?」

 話の最中、ずっとオレンジを見つめたまま、不動で立ち尽くす少女を見やる。

 オルドローズは少し驚いた様子で目を丸くすると、ここに来て初めて、声を出して笑った。

「貴女ほどの人が、気付いていないはずもないですよね。魔術に関しての概念が深い証拠、と言えましょうか」

 少女の前髪を掻き分ける。

 前髪に隠れた額には第三の目を模した形の魔水晶が埋め込まれており、明かりのない教室で唯一の淡い光源を湛えていた。

「そう、彼女――シトラスは、と名の付く五〇〇以上の素材を元に僕が造り上げた魔導傀儡。ホムンクルスの技術が裏の世界で確立された最中さなか、表の世界で確立された、今となっては廃れた魔導技術。彼女は、僕の長年の集大成が詰まった、傑作なんです」

 魔導傀儡。

 おそらくは、彼の言うホムンクルス製作技術の確立者だろう男と一緒にいたせいで、一度も出会う機会のなかった存在だが、知識として知ってはいた。

 生身の人間が活動出来ない場所で代行して活動したり、人の代わりとなる労働力として使われるために、魔術によって作られた傀儡人形を差して言う。

 ただ、魔術の発展と共に魔術師の可動域は広がっていき、皮肉な事に魔術師の根本的な実力の向上によって、魔導傀儡は存在意義を失っていった。

 今では使っている人などほとんどなく、物好きが収集品コレクションにしていたり、幼稚園児相手の人形劇で使われいたり、或いは暗殺のための暗器として使われたり。本来の存在意義を失いながら、辛うじて人々の記憶の片隅にこびり付いているような存在である。

 人間の代用品と言う意味合いでは、ホムンクルスとは競争相手と言ったところ。だから距離を置かれて来たのだろう事は、想像に難くない。

 だが、本来の用途からしても、オルドローズが造った魔導傀儡は機能性よりも芸術的価値が高そうに見える。

 遠目から見れば己が目を疑い、暗闇で見れば最早疑う余地さえ無いほどに、彼女――シトラスは本物の人間の少女の様だった。

 乳白色の肌の部分も、ガラスの目玉の美しさも、ビロードのような橙色の頭髪も、両手の甲に施された魔術刻印も、まるで本物の人間だ。

 彼の作るホムンクルスとは、また違う異質さを孕んだ、人間ならざる人間。いや、もはや目の前のそれは人型ながら生物ですらなく、息もしなければ瞬きさえもしないと言うのだから、なかなかに信じ難い。

 今までに様々な種族の人達と出会い、学び舎を同じにして早一年。それでも出会わなかった存在が今目の前にいて、自分と対峙しているこの事実。

 因果など良くはわからないが、そんな、運命めいたものを感じてならなかった。

「そのような傑作を、壊してしまうかもしれませんが……」

「大丈夫。僕は信じていますから、彼女を」

「……そうですか」

 共に、教壇に上がる。

 オレンジは儀礼剣を抜き、鞘を落とすように捨てて構える。

 一方、人形シトラスに構えは無い。代わりに、背後に立つオルドローズの両手に刻まれた魔術刻印と彼女の刻印とが輝き、魔力を同調。彼女を構築する五〇〇の素材に魔力が通って、彼女を動かす原動力に変わって、双眸に鋭い光を宿らせた。

「では、よろしくお願いします」

 風を切る駆動音。

 繰り出された手刀は本物の刃と大して変わらぬ速度と鋭さでオレンジの毛先を斬り裂き、回避直後に繰り出された儀礼剣の一撃を受け切って、身動き一つしなかった。

 脚を掴まれ、右に左に振り回され、投げ飛ばされる。着地したところに拳が振り下ろされて、何とか体を捻ったオレンジの頬を掠め切った。

 距離を置いたオレンジは儀礼剣を突き立て、両手を結んで印を組む。

 詠唱は不要。魔力の蓄積はすでに済んでいる。魔術の発動まで、三秒も掛からない。

「“序曲イントロダクション孤立無音パレード・オブ・ソロ”」

 人形は探す。

 ただでさえ暗かった暗闇の教室で、搭載されていた魔力探知機能を使ってオレンジの位置を割り出していたが、濃密な魔力の海に沈められて探すべき魔力を見失った。

 それどころか、徐々に周囲に向けていた機能が逆回転を始めて、すべて人形自身に返って来る。奇しくも初めて探知する自分自身の情報が錯綜し、彼女の行動を制御する思考回路に、微量の誤作動を連鎖的に起こし始めた。

「魔女の秘術ですか。さすが、二つ名が付くだけの事はある。ただし……相手が魔導傀儡だと、少々勝手が違いますよ」

 心象風景の具現化は、術者が指定した対象に限られる。

 腕に覚えのある魔女ならば、一定範囲内にいる人間全てを強制的に心象の中に引っ張るが、五つもの心象を発現出来るオレンジでさえ、そこまでの力はない。五つの心象も、対象を一人に限定した場合に限られる。

 よって、今のオルドローズにはオレンジの具現化した心象は見えておらず、人形を介して具現化された心象の内容と齎す効力を理解しつつ、打開策を考案できる第三者と言う唯一の立場にあった。

「寂しい心象ですね。誰も無く何も無く、在るのは自分自身と孤軍奮闘する憐れな敵一人。故にすべての言動が自分自身に返って来る。何とも、皮肉めいた心象だ」

 だからこそ、破る術はある。

 すべての言動が自分自身へと返って来るのなら、放出した魔力を上乗せしながら反芻する形で自分自身へと返しつつ、具現化された心象を破壊出来るまで魔力を蓄積し、増大させて行けばいい。

 並の魔術師ならば、蓄積された魔力に体が耐え切れず、意識を途絶させてしまうだろうが、人形に途絶える意識はない。何より魔力を増大するための炉心は、良質な物を用意してある。

 何せ、魔女の秘術――心象具現の神秘を破るために作ったと言っても、過言ではない傑作なのだから。

「すみません。“橙の魔女サンセット・プリンセス”。あなたの描いた理想と夢、僕の理想のため、破壊させて頂く」

「……“闢曲プレリュード音心不通ワルツ・オブ・デュエット”」

「え……」

 解析完了まで、あと一秒もなかった。

 なのにすでに展開されていた心象は、齎す効力諸共に変わっており、心象を破壊するため蓄積していた魔力は、半ば強引ながら、人形の華奢な五体に収め込まれた。

 何も見えない漆黒から逆転し、今度は何も見えない真白の世界。だが徐々に肌は温もりを、舌は味を、嗅覚は臭いを、聴覚は音を、視覚は光を取り戻し、徐々に自分が置かれた世界の詳細を知らされる。

 そこは森。

 木々の間から真白の木漏れ日を差し、澄み切った水の流れる川と池が傍に置かれた、何ともありがちな心象で、普通に神秘的で、普通に美しく、普通に心地が良い風景だったが、一つだけ、先程の暗闇に取り残されたが如く、池の淵で倒れる何かがあった。

 徐々に取り戻しつつある五感はその何かに気付き、少しずつ、ゆっくりと、その何かの正体を晒される。

 心象の転換からおよそ一分。

 すべての五感を取り戻した人形を介して青年が見た物は、ズタズタに引き裂かれ、喰われ、殺された憐れな者。森に住まう獣達の昨晩の晩餐だったろう少女の――オレンジの、死骸だった。

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