「覚えた事を無駄にするのも利用するのもその人の勝手」

 朝起きて、顔を洗うために洗面台に向かう。

 水を弾く肌をタオルで拭い、その日初めて対面する相手は、いつも決まっている。

 鏡――正確には、鏡に映った自分自身。

 曰く、鏡は人が生まれて初めて触れる魔術の一端であると言う。

 水面みなもに映る水鏡然り、天体の観測に使う望遠鏡然り。映る物、通して観る物によって、人は大なり小なりの影響を受ける。

 童話の中にも、自分を美しいと信じながら、心の奥底で感じ取っている嫉妬を映す魔鏡であったり、現世を異世界とを行き来する出入口であったりと、鏡によって齎される神秘は、魔術の世界に通じない者達にさえ、等しく語り継がれて来た。

 鏡の主な特性たる反射にて、映し出されるは前に立つ人の姿。

 美しさに自画自賛して見惚れるも、醜さに嘆いて割るも自由。残酷な事に、鏡は目の前の人間の姿をそのままに映す。

 醜悪も美麗もそのままに。嘆く姿も己惚れる姿もそのままに。

 ただ映しているだけだと言うのに、人はそこに己が本性を見つけられている気分を抱く。

 自分と鏡に映る自分の像とを鏡によって隔て、現世と異世界の境界とした考え方が、一つの魔術の基盤として用いられた事から、魔術の一端として考えられるようになった、と言われる。

 魔術に限らず、古来より鏡はあの世とこの世を隔てる境界と考える宗教があったり、光の反射を利用して生じた熱で、エネルギーを作り出す分野が発達していったりと、人の生活において、鏡は自らの在り方を変えながら、絶える事無く伝わって行った。

 同時、鏡が信仰の対象となった背景で、同じ様に神性とされてきた者が、双子である。

 一卵性双生児。同じ顔、同じ体躯、同じ声で以て生まれ落ちた神秘の賜物。

 人にはそれぞれ個性ありとしながら、育つ環境さえ同じであれば、同じ性格と九分九厘似通った思考回路を持って育つ、双子と言う特殊な存在は、鏡という隔たれた同じ像を神秘とする者達にとっては、まさに神秘の具現と言っても過言ではなかった。

 模倣や複製と言った、後から作り、付け加える物ではなく、初めから存在する者に介入する術はなく、すでに完成された者に対してあれこれと付け加えようとするのは蛇足として捉えられ、人は在りのままの成長を望む。

 結果、その完成が当人らの手によって自壊しようとも、受け入れるしかないのである。

「姉さん、寝た?」

「……眠れない」

「だよね」

「うん」

 紺碧の双眸の名は、滅の魔眼。

 深紅の双眸の名は、破の魔眼。

 二つ揃って破滅の魔眼。ジュエリア家に生まれた子供達の中で、二人揃って魔眼を持って生まれたのは、後にも先にも彼女達だけだ。

 故に二人はすでに完成しており、完結していた。

 二人の命運は生まれ落ちた時から二人の手の中にあり、少なくとも、ジュエリア家という小さな世界は、彼女達の意のままだった。

 たった一つの、例外を除いては。

 妹は手を差し伸べ、姉はその手を握り取る。

 二人の眠るベッドの間には一ミリ以上の遮蔽物もなければ、一ミリ以上の隙間もない。

 二人は少しずつ身をよじり、体をくねりながら互いに互いを視界に入れたままで近寄って、互いの息の熱が感じられる距離にまで、顔を近付けていた。

「お姉ちゃん……」

 昼間とは、まるで立場が逆転していた。

 いつも妹に手を引かれ、助けられているような弱弱しい姉が、一転。温もりを求める妹の手を取り、抱き寄せ、宥めてあやす。

 さながら愛し子をあやす母親のようであり、姉であり、人の愛を受け止める、恋人のようでさえあった。

 だが、一体どこに不思議がある。

 二人は髪の色、双眸の色を除いては、体躯、顔立ち、声音共にすべて同じ。髪を染められ、片方に演じられてしまえば、周囲には区別など付きもしない。両親でさえ間違うだろう。

 だが、酷似しているだけであり、双方にとっては血の繋がった他人。思うも自由。想うも自由。愛するも――自由。

 双子は、愛し合っていた。姉妹ながら、家族ながら、同性ながら、よりにもよって血の繋がった、同じ顔、同じ体躯、同じ声音の双子の姉妹を、あろう事か愛してしまったのだった。

 自分自身に愛情を注ぐ人間はいなくないが、自分と同じ顔の相手に恋い焦がれるなど、あって然るべき事ではない。

 ただでさえ、姉妹で愛し合う、同性で愛し合うというだけでも、一般常識から離れていると言うのに、同じ顔の双子同士が愛し合うなど、滅多にある事ではなかろう。

 だが、二人で一人の双子。二つで一つの魔眼。二つ交わって完成する双生児なれば、二人が愛し合い、共に在る事を、家の人間は受け入れざるを得なかった。

 受け入れるしかなかったのだが、受け入れ難いのもまた事実。例え魔眼魔術一家の悲願成就のためとはいえ、二人の婚姻まで許す事は、家にも出来なかった。婚姻などしなくとも、二人一緒にいればいい。そう考えるのは必定である。

 しかしそれではダメだった。二人は繋がりたかった。結ばれたかった。そうでなければ、二人はそれぞれ別のつがいを宛がわれて、後世を残す事。子供を孕む事を望まれる。それだけは嫌だったのだ。

 故に、二人は身を投げた。

 互いに互いを抱き締めて、口づけをして、二人揃って崖から身を投げ、心中した。

 さすがにこればかりは、家も許さなかった。生まれながらにして完成形であったはずの双子が、互いを愛するが故に身を投げたなど、魔術の名門にして有数の魔眼一族の恥。二人を喪う事は、家の存続を危ぶんだ。

 そこで家は【外道】の魔術師に接触した。

 今も当時も、魔眼の移植など出来やしない事に変わりなかったが、家はとにかく、ホムンクルスと言う異質に縋ってでも、家の名誉と栄誉を護りたかったのだ。

 仮に成功したとしても、後継ぎが生まれない事には変わりないという、一番の問題点に気付かぬまま、彼らはただ、二人の復活を望んだ。結果的に存続は出来ずとも、今を繋ぐ事だけを考えて、魔術師に縋った。

 結果として、純粋な魔眼を失う事になると言う一番重要な点にさえ気付きもせずに。

 魔術師は結果的に家の願いを叶え、二人のホムンクルスを創り上げ、本物とほとんど差異のない魔眼もどきを創り上げる事に成功した。

 二つの原型魔眼オリジナルを代償に、破と滅を代償として、模造の破と滅を創り上げた。

 心中の際、二人の体を凝固、石化させたと見られる滅の魔眼。

 二人の思考回路を断絶させて、防衛本能さえも破壊した破の魔眼。

 まったく以て、とんだ才能の無駄遣いだ。瞳を見つめる事で、瞳に反射して映る自分にまで魔術を付加するなど、超が付くほどの高等技術だろうに。

 尤も、それで付加したのが呪いなのだから、自爆もいいところ。まぁ、自害――延いては心中という点では、これ以上ないくらいに有能だったろうが。

「お姉ちゃん……大好き」

「私も、コナンが好き……だよ」

 ともかくとして、双子は再び、魔眼と双方に対する愛情を宿して創られた。

 二人が自決するに至った要因を隠し、世間一般の恋愛価値観を持った女児二人を蘇らせんと画策していた家に対する、魔術師からの洗礼。

 そんな都合のいい話などあるものかと、以降連絡を途絶えさせた魔術師からの、万全の連絡を怠った家に対する意趣返し。

 カナンコナンの、コナンカナンの花嫁として創られ、より深く、互いを愛する術を知った二人は、より深く、互いを愛する様になった。

 もはや家族の誰も止められず、二人は愛を深め合うばかり。学園に来てからは猶更、二人は部屋を分けられても同じ部屋に入り浸り、毎晩同じベッドで互いの体を温め合っていた。

「エスタティード先輩……さすがにこの事知ったら、引いちゃうかな」

「そう、かもね……」

 結婚、婚姻とは形式上の儀式であり、本質と呼ぶべき原点は他の動植物と同じ、子孫の存続。

 男は女を孕ます代わりに女と子供を養う事を誓い、女は男の子供を孕む事を代わりに男の齎す富で子供を育てる事を誓う。

 結婚は、両者のそうした関係を周囲に知らしめる儀式であり、恋とは、そうした相手を決める際に生じる本能を、人が詩的に飾り付けた表現でしかない。

 故に人は、異質な恋を気持ち悪がる。

 異種族同士の婚姻を嫌い、人と物の婚姻など最早論外。同性同士の恋に関しては、気持ち悪いと距離を置かれ、親族には許されない。

 古き時代には珍しくもなかった近親相姦の血縁相続は、血族の偏りを妨げるために法律で禁止されてしまい、長き時間を掛けて誰もが受け入れて当然の常識となった。

 故に二人の仲を応援する人は無く、姉妹は二人だけで戦う事を強いられる。だからこそ、更に強くなって、周囲を認めるだけの実力を付けねばならなかった。魔眼一族、ジュエリア家の魔眼はここに完成したのだと、周囲が言ってしまうくらいに成長せねばならなかった。

 が、ほんの一年足らずで異名が付いた程度の先輩相手に大敗を喫した時点で、目標からは酷く遠ざかってしまった。

 だがその先輩が自分達をホムンクルスと知りながら、黙ってくれていた事、理解してくれていた事は不幸中の幸い。彼女に師事し、魔術の腕を磨く他、縋る術はない。

「大丈夫かな」

「大丈夫。信じよう、あの人を……周りに言うような人じゃないよ、きっと」

「うん……」

 翌日、放課後のカフェテリアにて、双子はオレンジと軽食を共にしていた。

 口数が少なく、表情もほとんど無いオレンジと、静寂の中居続けるのはかなりのプレッシャーで、かと言って何と言って切り出せばいいのかもわからないし、困惑している二人――もしくはオレンジへと、傍で見ていた翼のない天使、ワルツェが助け舟を出す。

「これはこれは、ジュエリア家のお二方お揃いで! ご無沙汰してます」

「あ、いえ……」

「こちらこそ」

 たった数日で随分丸くなったなぁと思いながらも、同情はしていた。

 あれほど一方的に負かされれば、そりゃ自信の喪失くらいはするだろう。正直に言って、天才だ神童だと散々褒めちぎられたワルツェでさえ、オレンジが会得するに至った魔女の秘術は驚異的で、例え練習でも相手にしたくない。

 何せ、普通ならば一つの心象を具現化するだけでも精一杯のはずなのに、オレンジは現時点で四つも具現化していると言うのだから。

 しかも本人から言わせれば、他国の言葉を覚える時と同じで、基本の構築理論さえ理解してしまえれば、応用は容易いと言うから恐ろしい。

 間違っても“魔婆まばあ”様――エリザベータ・ブラヴァスキー含めた古株の魔女には、聞かせられない言葉だった。

 まぁ、逆に古い考え方に囚われないオレンジに師事する事は、古い考え方が染みついている伝統型の家系に生まれた双子にとって新鮮な体験となる事だけは間違いないだろう。それが結果的に良い方向に進むか悪い方向に進むかは、今後のオレンジの指導次第だが。

「それで? どんなお話をしていたの?」

「まだ、これから……」

「そ、そっか」

 訊いたものの、そうだろうなとは思っていた。思ったからこそ、助け舟を出したのだから。

「それで? 今後の方針は?」

「……決まって、ない。まだ二人の得意、不得意、知らないし……得意と思ってても、不得意と思ってても、本人の思い込み、かもしれないから。まずは、外でひたすら、魔術の、訓練」

「そ、そっか」

 思いの外考えていた。

 頼まれたからには誠実に、実直に応えようとする姿勢はまるで変わらない。オレンジが断るのなんて、異性から交際を申し込まれた時と言い寄られた時に限られる。

 求められた時のオレンジは、結構真面目だ。まぁ、真面目過ぎて周囲と合わない時の方が多いのだが。

「後、二人共……当分、魔眼使うの、禁止」

「え?」

「えっと……先輩、私達、魔眼の扱いをより良くしたいと言いますか、その……」

「私との実戦でも、そうだったけど……それだと魔眼が通じない相手には、死ぬしか、なくなる。強くなりたいのなら、武器は多いに越したことは、ないし……多くを知ってる事は、無駄には、ならない――まぁ、

 きっと、博士ならそう言う。

 得意分野、自分の持ち得る個性ばかりを伸ばすより、あれこれ方法を模索して、足掻いて、別角度からの戦い方も知っていた方が、役に立たない事もあれば立つ事もあるだろう、とか。

 結局多くを学んだところで、利用するもしないも当人次第。博士の言葉を借りるなら――

「知識は武器です。けれど、同時に、その場面にならなければ、役に立たない無駄です。私を育てた方、曰く、無能と無知は、男性の性欲をそそるだけ、だそうですので……より多くを知って、使える分には……意味が、生じるかと」

 本気だった。

 真面目に考えてくれている。言葉に熱量こそないものの、少なくとも誠意は伝わってくる。

 頼っておきながら、頼んでおきながら、そこまで真剣に考えてくれるだなんて思ってもみなかった。嬉しくないはずがない。

「では、近くの湖畔にて練習……しましょう、か。アザミさんも、多分います、から。怪我とかしても、軽い怪我、なら、治して下さる、と、思い、ます……」

「「は、はい!!」」

 心配して見に来たのだが、杞憂だっただろうかと、ワルツェは立派に二人の後輩を率いて歩くオレンジの後に付いて行く。

 魔眼の双子を従え、翼のない天使と共に闊歩する、橙の魔女サンセット・プリンセス

 呆然自失とした普段の黄昏るような姿はなく、悠々と勇ましく闊歩する姿は、周囲の視線を独占するが如く集めていく。

 集めた視線にこそ感情は無く、後から生じる感情は羨望か嫉妬かのどっちつかず。

 だが誰もが、口を揃えて言うだろう。

 夕暮れに燃える空の下に赴き、風に揺らぐ髪を押さえて進む魔女は、美しかったと。

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