「人の感情に介入する権利と資格は、その場限り」

「博士博士博士ぇぇえっ!!!」

 さながら、時計を持って茶会に急ぐウサギの如く、青い髪の青年は階段を駆け上がり、廊下を駆け抜け、扉を破らんくらいの力で開けて部屋に飛び込んで、顔面ど真ん中に鉄拳を喰らって殴り飛ばされた。

 一連の動作にまるで無駄がなく、博士の後ろにいるホムンクルスは壁に叩きつけられても後頭部をさするだけで済ませている青髪を不思議そうに見つめている。

 が、済ませたのは一瞬の事で、立ち上がると同時に猛抗議を始めたので、ホムンクルスは博士の背後にすぐさま引っ込む。

「酷いよ博士! いきなり殴る!? 入ってきて即、人殴る?!」

やかましいんだヨ、おまえは。用件こそ知らないが、少しは落ち着き給エ。まったく、少し前まで赤いのがいなくなって大人しいと思えば、今度は何だって言うんだネ」

「オレンジからお手紙が届いたんだよ! 僕宛てにはもちろん、博士宛てにも!」

「何?」

 封蝋など、どこで覚えたのか。

 だが無駄な知識は付けてないらしいことを、綺麗に包装された手紙と手紙の内容とで把握した。暑中見舞い申し上げるなどと、昔のオレンジでは書けなかっただろうから。

 同時、ただの挨拶だけで手紙を書かなかった事には、博士もオレンジの成長を否めなかった。

「オレンジめ。この私に頼み事だなんテ、随分と偉くなったじゃあないカ」

「何々? オレンジから頼み事?! 珍しいね!」

「毒蜘蛛にやられたローレライの喉を治したいそうだが、その術を教えろだとサ。まったく、私を何だと思っているのかネェ……研究者であって、医者ジャアないんだヨ。医者ジャ」

「でも似たようなものじゃ――」

 青髪は逆さまにされ、天井からぶら下げられる。

 魔術も使わず、元々持ち合わせている身体能力で青髪の両足を縛り、天井に括り付けた事に気付いた青髪は、かなり遅れてスカートの裾を押さえる。

「減らず口は減らしておきナ。そのうち、首を吊される事になっても知らないヨ」

「こ、この外道! 研究者と医者の線引きは大事だからって、毎回これじゃあ身が持たないヨ! さっさと下ろして!」

「うるさいヨ。そのまましばらく反省してい給エ。私は今から忙しいんダ。行くヨ、茶髪」

 茶髪と呼ばれたホムンクルスは、とてとてと博士を追いかけていく。

 眼帯で覆われた左眼に掛かるよう伸ばした前髪。全体的に小さく細い体躯。青髪がせめてものおしゃれと両肩を出させた意匠に身を包んだ、茶髪のホムンクルス。

 赤髪の後釜で作り出された彼女だが、一つ大きな欠陥を抱えていた。

「まったく。人が暇だと思って、呑気なことだヨ……だが、おまえには、丁度よかったかもしれないネェ。本当はもっと後回しにするつもりだったんだガ」

 一生懸命背伸びして、脚立の上に器用に座る博士へと本を手渡す。

 自分が持っていた本を落として受け取らせ、次の本を持ってくるよう促す博士らがいるのは、空中研究施設の中にある書室。

 博士の脳内にすでに多くの知識が内包されているため、あまり開かれることのない部屋である。茶髪はもちろんのこと、ほとんどのホムンクルスが存在だけは知りながら、実際に入ったことさえなかった。

「ローレライの喉は特殊ダ。肺とエラの二つの呼吸器で息をする両生類とは違い、肺だけで水中と地上の双方で呼吸すル。昔には魚人と呼ばれ、オークションで見世物にされていた黒い歴史もあったそうだガ……ま、今は彼らを保護しようという動きも多イ。同情されるようになっただけ、救われた種族と言えるだろうネ」

 博士は更に脚立を上り、一番上の本棚から本を取る。

 足下で茶髪が背伸びをするが届くはずなく、博士は風の魔術ですくい取って、自分の本をゆっくりと下ろして茶髪へと手渡した。

「ただ、喉が特殊な種族は何もローレライだけじゃあナイ。魔術を使わず炎を吐く龍族。体が魔力で構築されている魔人族。体が液状化するスライム……例を挙げればキリがナイ」

 分野に精通する魔術師や資産家なら、大枚をはたいてでも聞きたいだろう外道魔術師による講義が、物言わぬ少女相手にされている。

 なんと勿体ないと嘆く者もいるだろうし、なんと慈悲深いと称える者もいるだろうが、当人にそれらの自覚はない。

 講義など、言ってしまえば持論の展開だ。公に認められた持論の共有であり、公開だ。故に外道の魔術師アヴァロン・シュタインも今、己の持論を一人の少女へと公開しているに過ぎない。

 議題も大したものではないし、大枚をはたかれるほどの物でもない。確かにあれこれと語り聞かせるのは億劫な事だが、研究者という人種に限って言えば、もしくは外道魔術師という個人に限って言えば、知識と持論の公開など、息をするように出来る事だ。

 それらの言葉に金銭的価値を見いだす人間に対して、どうかしているとさえ考えるような人間である。

 故に勿体ぶることなく、返事のない講義は続けられた。

「とにかく特別な喉には特別な処置を、なんて当たり前のことを考えている時点で、その医療は三流ダ。症状が同じで、他の一般的特徴を有した面白みのない個体で成功したというのなら、特例だろうと成功するのが一流なのだヨ。すなわち――」

 茶髪の頭の上に、分厚い本がいくつも乗せられる。

 乗せる博士が器用なのか、維持する茶髪のバランスが良いのか、五つ乗せても揺るがない。

「三流の医師を見限り、一流の科学者に頼った奴の判断は、正しイ。そして頼まれた以上、正しイことを証明するのが、今回の私の仕事というわけダ。まったくもって面倒臭イ」

 それでも、やる気なのでしょう。

 前髪にも眼帯にも邪魔されていない茶髪の円らな右目が、そう語る。

 そう言われている気がして、外道の魔術師は茶髪の額を指先でコツン、と小突いた。

「フン。しかし、人の恋路に介入するとは。まったく誰に似たのだかネェ……」

 と、博士は嬉しそうにはにかみながら、調べ物を続ける。


――拝啓、アヴァロン・シュタイン様。

  夏の暑さが刻一刻と猛暑へとなりつつある中、如何お過ごしでしょうか。ホムンクルスの皆様一同、暑中に体調を崩されないか、私如きが心配することは不敬かと存じますが、何卒お許しください。

  此度はアヴァロン・シュタイン様、基、【外道】の魔術師様にお願いがあってお便りを出させて頂きました。私の友人でありますローレライの少女が、毒蜘蛛の毒によって喉を冒され、声を出すことが出来ないでいます。彼女のため、また彼女を想う人のため、この事態を何とかしたいのですが、知恵をお借りできないでしょうか。

  症状の詳細は別紙にてまとめさせて頂きました。何卒、お力添え頂けると幸いです。

――敬具。


 本当に、誰に似たのだか。

 恋路に限らず、人の感情にあれこれと首を突っ込むには資格が要る。誰でも手に入れることは出来るものの、一度行使する度に失効する厄介かつ面倒な代物だ。

 しかも資格を得たからと言って、必ずしも上手く出来る保証なんて誰にもして貰えないし、そもそも誰か他人から与えられるような代物ですらない。

 人の感情に立ち入るには、資格が必要だ。ただし証明証ではない。だが、介入するからには責任だけは取らねばならない理不尽な資格だ。

 そんな面倒な代物をわざわざ翳して、他人の話に介入しようなんてのは、余程のお人好しか漁夫の利を求めている奴のどちらかで、外道の魔術師が後者に該当することは言うまでもない。

 そしてオレンジが前者であることもまた、言うまでもない。

 だから博士には理解出来ない。誰が好き好んで、無償で人の色恋沙汰に介入などするものか。

 人の感情ばかりが働き、理性が働かない人の色恋沙汰がひしめく現場は、さながら毒の温床だ。人を冒し、穢し、弱らせる底なし沼。

 あれに好き好んで触れる奴は馬鹿か、そこから黄金を掴み取る術を知っている錬金術師しかないし、博士は自分自身が後者であることを知っている。

 そしてオレンジは――言うまでもないか。

「まったく、本当に誰に似たのかネェ」

 そう言いながら調べ物をする博士はどこか嬉しそうだった。

 罠から抜け出し、盗み見た青髪曰く、自分と同じ道を歩む我が子の背を見て喜ぶ父親のように見えたらしいが、博士に言ったら怒るだろうに違いないと胸の奥に秘めたまま去って行った。

 調べ物に没頭するあまり、その場では気付かなかった青髪の秘めた胸中を博士が知ったのと、オレンジへの手紙が届いたのは奇しくも同じ五日後の事。オレンジは寮の自室から飛び出し、共同の浴場で顔を洗っていたローレライの下へと駆けつける。

「行、きましょ、う……」

――アザミさんにお願いがあるんです

 失った声でそう訴える彼女の願いを聞こうと思ったのは何でなのか、オレンジ自身もよくはわかっていなかった。

 ただ、彼女がまったくの面識のない自分の友人へと頼み事があって、どんな報酬を支払ってでもして欲しい願いであると訴えた彼女の悲痛な姿を思い出すと、やはり、拒むことなど出来なかったと思う。

 人に思いを伝える手段なんて、声じゃなくたって幾らでもある。手話、身振り手振りジェスチャー、指文字――耳が聞こえない人、難聴の人間が築き上げてきた技術を用いれば、容易ではなくとも可能だろう。

 だが彼女は、イルベルタは声にしたいのだ。

 自分の声で、一度だけでもいいからハッキリと、その言葉が言いたいと切実に願っていた。

 だから敵種族と罵られようとアザミに縋り付きたくて、それでも勇気が出なくて言えなかったのだと言われたときに、オレンジの中に迷いなんてのは存在しなかった。

 効率ではないのだ。

 歴史の中で発達した技術さえも介入の余地を許さず、不可能を可能にするために生まれた別の手段さえも、邪魔は出来ない。

 人の心には、人しか介入出来ないのだ。人だけが介入を許され、邪魔を許され、間に入ることを許される。

 ただし、もしも介入する理由が邪魔でなければ興味や好奇心でもないのなら、同情と憐憫から生じる愛情が理由だとするのなら、介入する人さえも選ばれる。

 そしてオレンジは介入する人として選ばれ、自らも介入する事を選んだ。

 どのような最後が待ち受けていたとしても、訪れた結末と結果と結論のすべてが、オレンジの介入した愛情の果て。イルベルタという一人の少女に対して、果たした愛情の総量だ。

「……何となく、来る気がしていたわ。でもまさか、その子まで引っ張って来るだなんてね」

「元々、は……イルベルタの、おね、がい……だから」

 だから、後悔する事はあるかもしれない。後悔しかしないかもしれない。

 けれど決して、やり直そうとだけはしてはいけない。

 人の感情に介入する権利と資格は、行使されたその場限りで失われるのだから。

「それで、私に何を頼みたいわけ? イルベルタ」

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