「人の恋愛話ほど、その場だけしか楽しくない話もない」
学園内、集中研究室。
本来は非常勤の講師も務める研究者の使う部屋だが、アザミ・ハイド程の学生ともなれば、私的使用が許される。
フィールドワークから帰って来たアザミが採取し、テーブルに並べた大量の薬草が、同じ数だけの実験用具を駆使して様々な薬品に変わっていく。
火傷の薬に頭痛薬。風邪薬から、血圧を下げる薬まで。
ありとあらゆる種族に対応出来るだけの数と種類をあっという間に用意したが、唯一、薬が作られていない種族があった。
言うまでもなく、ローレライである。
「イルベルタって、あの毒蜘蛛に襲われた? 喉の薬くらい、あんたなら簡単に出来るんじゃあないの?」
「ローレライの喉って、肺呼吸のまま水中でも呼吸出来るよう、他の種族とは色々違うんだって。だから、ローレライ用の薬は同じローレライじゃないと出来ないって言われてるんだよ」
「特殊ってわけ? あたしみたいな
「あなたは基本的に
「あ、そう……」
ディマーナは少し残念そうだ。
純種というわけではないし、特定の種族に対して特別な考えを持っているわけでもなかったが、自分は特別でないと言われるのは、何であれショックを感じている様子だった。
気にすることはないよとワルツェは宥めるが、ディマーナの尻尾はそれでもヘンナリと下を向いて、椅子から垂れ下がっていた。
「でもイルベルタさん、オレンジに何か用でもあったのかな」
「ただ喉に効きそうな薬草だったから、欲しがっただけじゃないの? だってオレンジ、あいつと面識ないんでしょ?」
「うん……初めて、会った。顔も、知らな、かった」
だからオレンジとしては、アザミが彼女の顔を知っていた事の方が驚きであった。
宿敵の種族相手とはいえ、アザミは人の顔をいちいち憶えているようなタイプではないし、人の名前と顔を一致させるのが苦手だと、本人も自負していた。
丁度、人の名前になど興味も持たなさそうな人間を知っているから、彼女がどういう経緯で名前と顔を憶える事になったのか気にもなったが、訊き出す術をこそ、オレンジは持っていなかった。
ただ、もしもあの人だったなら、人の名前を憶えている理由は大体の察しは付くのだが。
「そういえば、ローレライって意外とこの学園でも少ないよね。イルベルタさん以外、知ってる?」
「あぁぁ……そういえば知らないかも」
ローレライは水辺に住まい、ほとんど外の世界に繰り出さないとされている。
元々生まれ持っている魔力が高く、魔術に関する基礎能力が高いため、学園に通う個体も他の種族と比べると非常に少ない。
故にイルベルタのように外へ繰り出すローレライこそ希少なわけで、ディマーナとワルツェの交友関係が狭いと言う訳ではない。
が、確かに同じ学年に絞っても、イルベルタ以外のローレライはオレンジも知らなかった。
「引き籠りが出てる事こそ珍しいのよ」
「アザミは容赦ないな……何か、怨みでもあるのか?」
「別にないわ」
と言われても、三人はアザミとイルベルタの間に何かあったのではないかと勘繰らざるを得ない。
スライムとローレライの種族間の因縁なんて大層なものじゃない、もっと私的で個人的な何かがあるのではないかと勘繰った三人は、調べる事にした。
調べると言っても、調査なんて大したことはしない。
ただイルベルタの周辺を調べて、アザミと繋がりそうな何かがないかを探るだけだ。
「ってわけで――アザミが授業でいないこの間に調査よ」
「でも、イルベルタさんがどこにいるかもわからないよ?」
「まっかせなさぁい。
「イルベルタさんの、臭い……わかる、の?」
「水っぽい臭い辿って行けば着くでしょ、多分」
大雑把な。
しかしディマーナとイルベルタに面識がない以上、直感に任せて探す以外ないのも事実。
三人で手分けして探す手段もあったが、オレンジもワルツェも一緒に探す方が楽しいからと、一番ノリノリのディマーナに付き合う形で、三人一緒に探す事となった。
が、当然水っぽい臭いというだけでは探索は難航し、最初はプール。次に食堂。次に植物園。そしてたった今、図書館へと辿り着く。
学園の図書館では観葉植物が育てられており、植物を育てるための細い水路が通っていた。
「まさか水っぽい臭いを辿って図書館に来るだなんて、もはや水っぽいって言うか水そのものを追ってるような気が……」
「で、も、何となく、近付いてる、気が、する……」
「そ、そう?」
本当に何となくだが、彼女は本を読んでいる気がした。
絵本でも漫画でも図鑑でも、書籍の類なら何でも読んでいるような印象を初見で受けた。
歌う事よりも、本を読むことの方が好きそうなイメージが強かった。
そして、彼女はイメージを裏切る事なく本を読んでいた。図書館奥の所蔵資料庫に設置された机では有り余る量の本を山積みにして、次々と速読しては浮遊の魔術を使って、本棚へと戻していた。
学園で最初期に習う基礎の浮遊魔術程度ならば、もはや指先を動かす程度の意識で扱えるらしい。本を片付ける程度なら、ノールックでも出来るようだ。
「あれがイルベルタ? 聞いてたより美人ね……てか、かなり美人じゃない?」
「確かに。ただ本を読んでるだけなのに絵になる人だね……ローレライって、地域によっては歌と美貌で海に引きずり込む怪物ってなってるけど、頷く綺麗さかも」
「う、ん……確か、に」
とは言ったものの、今まで博士が作り上げて来たホムンクルスの花嫁も負けず劣らず綺麗な女性ばかりだったので、目が肥えているオレンジの感動は、二人ほどではなかったのだが。
だが、イルベルタが美人であることを否定はしない。実際、普段いる四人と並ばれると、見た目だけなら異性は皆、彼女の方へ行くかもしれない。
実際、彼女に惹かれてそうな異性が、彼女に話しかけて来た。
バッジの色からして、どうやら二個上の先輩のようだ。気さくな様子で、彼女が首を動かすだけで済むよう心掛けて話しているのが、若干にだが聞こえた。
種族は、魔術から作られたとされる新人種、魔人族――と、思われる。
「あの人、どっかで見た事無い?」
「うぅん……私は全然。オレンジは?」
「な、い……」
――記憶メモリの無駄遣いだから、ネェ
意地悪な博士の言葉が脳裏で聞こえた気がしたが、博士程じゃないですと否定する。
それに、興味と意欲が人の記憶力を懸命に働かせることには、博士もきっと同意するだろう。
銀色の髪。太めの眉。筋肉質そうな体つき。
ディマーナらが言うところの体育会系の男性は、イルベルタと顔を近づけて同じ本を覗き込んだり、肩に手を置いたりと何やら親しい間柄であるのを臭わせる言動をしていた。
青髪曰く、ボディタッチは異性同士の場合、気になる異性に対するアプローチと聞いていたオレンジだったが。
「あの二人って、そういう関係なのかな……」
「さぁ。でも、一方的って感じでもなさそう、だよね……」
どうやら、記憶は正しかったらしい。
そして何やら、彼がアザミとイルベルタの確執の原因らしかった。
「あ、アザミだ」
授業が早めに終わったのか、図書室に来ていたアザミが先輩に呼び止められる。
何やら仲良さげだったが、アザミは終始複雑そうな表情で、イルベルタを見つけると表情が暗くなり、ツッコまれると何でもないと言って元来た方へ引き返してしまった。
お陰で見つからなかったものの、三人で見てはいけない一部始終を見てしまったかなと、陰で揃ってため息をつく。
そのまま隠れながら図書館を出て、学内の広場にあったベンチで三人並んで座り、また揃ってため息をついてしまった。
重くなってしまった空気の中、重くなってしまった口を一番に開いたのは、言いだしっぺで一番ノリノリだったディマーナだった。
「まさか男とは、ね……」
「思って見れば、アザミちゃんのそういう話、聞いたことなかったね。でも驚いちゃった。アザミちゃん、そういうのとは縁遠い人だって、勝手に思いこんでたから」
「で、も……アザミ、自分から身を引いてる。自分の気持、ち……あの人に、伝えて、ない」
「やっぱり、覗いてたのね」
と、ディマーナの陰からアザミが這い出て来た。
スライムの能力を使い、液状化してから形状記憶した人の体へと、己を形作る。
オレンジが何か言おうとすると、アザミはいいのと返して、持っていた本を抱き締めた。
「偶然見ちゃったとか、そんなところでしょ? もし狙ってたとしても、怒らないわ。勝手に惚れて、勝手にフラれた……それだけの、話だから」
――始まりは、入学したての頃。
新入生が入学したばかりの学園は、部活動や同好会の活動への勧誘で賑わっていて、アザミも例外に漏れず、勧誘の喧騒に巻き込まれていた。
元々部活動にも同好会にも興味などなく、どこに所属するつもりもなくて、当時申請していた薬品の特許の事しか、当時のアザミの頭の中で巡っていなかった。
特許が取れようと取れまいと、部活動や同好会に所属しては薬品を作るための時間が無くなってしまう。
全種族で初めて植物を薬として扱い始めた種族スライムとしての威厳――だなんて、そんな重苦しいものを背負うつもりはないけれど、薬草から作った薬品で特許を取る事は、子供の頃からの夢だった。
それが叶うか否かの瀬戸際にいた当時のアザミは、自分自身の居場所を崖の上か谷の真上と捉えていた。
自分自身で、必要のない部分で自分を追い詰める。アザミ自身、治さなければいけないと思っている悪癖である。
「そこの君」
来たか。
よくもまぁ、そうズケズケとパーソナルスペースへ侵入して来れるものだ。返って感心しそうになる。
だが生憎と、どんな勧誘だろうと興味はないのだ。諦めて欲しい。
「君、そのまま行くと――ちょっと!」
不意に、腕を引かれる。
何事かと思って正面を見ると、すぐ目の前に細いながらも鋭く尖った幹が剥げて突き刺さらんとする木があって、下を向いたまま歩いていたアザミは、衝突しそうになっていた。
「危なかった……ダメだよ、君。ちゃんと前を向いて歩かないと」
その人は勧誘ではなく、この身を案じて話しかけてくれた。
昔から子供扱いされて、馬鹿にされるばかりだった小さな体を罵ることさえなく、馬鹿にすることもなく、見ず知らずだった自分のことを護ってくれた。
ただ腕を引いて、注意を促してくれただけだと言うのに、それだけの事が当時のアザミには新鮮で、きっかけとしては充分過ぎた。
「この木はこの時期、幹が剥げて鋭い棘を出すからね。秋になると甘い蜜を出すからいいんだけど、とにかく正面衝突だけは避けないと。怪我、してない?」
「は、はい……ありがとうござい、ます……」
その後も何度か学園で再会し、話しをしていくうちに友人となって、いつしか異性として見るようになっていた。
時間は、自分でも思ったより掛からなかったと、本人は語る。
だが同時、失恋も早かったと本人は語る。
見てしまったのだ。
彼と彼女が、手を繋いで歩いているところを。後で聞くと、彼女は彼と同じ部活動に所属し、そこで仲良くなったらしい。
その話を聞いた時ほど、部活動に入らなかったことを後悔した日はなかったという。
オレンジも上手く表現は出来なかったが、胸の内側がきぅっ、と締め付けられるような、喉の奥で空気の塊が詰まるような、苦しいによく似た感覚を、話を聞いて感じていた。
「ま。それだけよ。私は思いを伝える事も出来ず、ただしどろもどろしてるだけ。情けない話よ。笑われても、仕方のない話だわ……さ、もう行きましょう。人の恋愛話ほど、その場だけしか楽しくない話題もないわ」
興味と好奇心だけで、人のプライバシーに土足で踏み込んだことを三人で後悔しながら、ずっと小さな背中について行く。
だが後悔の中、オレンジは更なる興味にそそられていた。
博士の悪い癖が移ったか。一つの出来事が終わってすぐ、次なる出来事への興味と好奇心に、意識が向いて、自然と視線と意識もそちらの方を向いていた。
自分達の背中を――延いてはその前を歩く小さな背中を物陰から見つめる、一つの視線へと。
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