愛を歌う種族、初めての愛を捧ぐ
ローレライは、愛を歌う種族だ。
仮初だろうと嘘偽りだろうと、「あなたを愛しています」と最も歌う種族であることが、ローレライという種族の誇りだった。
人も獣も魔性も化生も、愛を歌い、囁く事で自分達の虜にし、取り込み、引きずり込む事で狩って来た、狩猟種族なのだから。
だからきっと、イルベルタ・ティラントは種族の笑われ者だ。
愛を歌って虜にするはずの種族が、愛しているの一言で虜になってしまったのだから。
始まりはいつで、初めは何処だったか、鮮明には憶えていない。
狩りとは、獲物が気付くより先に狩るものであり、獲物が気付いた瞬間には
「よかったら、僕らと一緒に歌ってみないかい」
ローレライをコーラスに誘うだなんて、なんて不敬。そう、彼を叱責した同族もいたかもしれない。
けれど差し伸べられた手を振り払う術をイルベルタは知らなくて、結局は人見知りの
けれど、怨んでなどいない。むしろ、今となっては感謝している。
もしもウィルスが声を掛けてくれなかったら、イルベルタ・ティラントはずっと人見知りで一人でいたはずだし、誰かを好きになるだなんてこともなかっただろう。
だけど元々人見知りだから、どうやって好意を伝えていいかなんてわからなくて、ローレライだからと言って、愛を歌に変える度胸もなくて、優しい彼は他の人からも人気があったから自分なんてダメだと勝手に決めつけて、勝手に諦めていた。
だからせめて、彼が誘ってくれたコーラスを頑張ろうと、一生懸命に歌った。
一族の中でも歌が上手い方ではなかったし、獲物を誘惑し、魅了する歌だなんて歌えなかったけれど、とにかく頑張って歌い続けた。
「イルベルタ。僕と……付き合っては、くれないかな」
「え……」
自分の歌が、彼を誘惑しただなんて思わない。
だけどもし、自分の歌が彼を魅了するだけのものになれたなら、これ以上嬉しいことはない。
「僕は君が好きだよ、イルベルタ」
「ぁ、ぁ……」
語彙が浮かばない。
言葉が浮かぼうとしては沈んで、浮かんでは消えていく。
頭の中で難破した言葉が、息切れと共に苦し紛れに繰り出されるばかりで、ちゃんとした言葉にして返すことが出来なかった。
見越したウィルスから、あの時と同じ手が差し伸べられる。
無言で差し伸べられた手を取ると、優しく微笑んだ彼がそっと手を握り締めてくれて、指と指を絡める恋人同士の繋ぎ方で繋いでくれて。
「照れちゃう、ね……今日からよろしくね、イルベルタ」
「は、い……」
言葉にしなきゃ。
歌になんて出来なくてもいい。
とにかく自分も、この気持ちを言葉にしなくちゃいけないのに、恥ずかしくて出来ない。
結果として出来ないまま、言葉を発する声を失ってしまった。何も言えなくなってしまった。
「無事でよかった……コーラスの方は休んでくれて大丈夫だから。今は体を治すことを優先に、ね」
違う。
治す事を優先すべきなのは違わない。でも、一番に優先しなければならないのはコーラスなんかじゃない。歌う事なんかじゃない。
伝えなくては。
自分の気持ちを。ちゃんと、自分の言葉で。自分の声で。
自分の喉を震わせて、伝えなければならないのだ。自分の胸の内で燃える、感情の名を。
伝えなければ、ならないのだ。
「……」
夜更けの体育館は、季節問わずかなり肌寒い。
広大な空間に一人だけという意味合いでも寒く、寂しく、呼び出されたからには他に誰かいるのだろうが、ウィルスは心細さを隠し切れなかった。
外から差し込む月光も星の光も、窓の方角と時刻とが噛み合わずあまり入って来ていない。体育館は静寂な暗闇に呑まれており、魔物の体内にでもいるかのような恐怖をそそられる。
早く出たい気もしたが、一人きりで出ていく気はなかった。
呼び出した人物が彼女である以上、一人きりで出ていくだなんて結末だけは避けたかったが、もしかしてと不安に感じる部分も否定し切れない。
とにかく不安と恐怖とで侵食されそうになる中、暗闇の中から気配を探す。
「……イルベルタ? どこにいるんだい? イルベルタ」
夜の体育館。月光も差し込まない時間帯に誘ったのは、わざとだった。
この気持ちは、言葉で伝えたかったから。
目で見えてはいけない。表情で察せられてはいけない。もう逃げるのは、彼に助けられてしまうのは嫌だった。
自分の気持ちぐらい、自分の言葉で伝えたい。伝えられるようになりたい。
だから、必要な暗闇だったのだ。それくらいでなければ、ローレライ、イルベルタは自身の人見知りと羞恥心に打ち勝てなかった。
「イルベルタ。そこだね」
気配でステージ上と察せられる。
手を取られ、顔色を窺われてしまっては終わりだ。ここまでのお膳立てがされているのだ。今こそ奮い立つべきだ。
――私が手を貸してあげるんだから、絶対に成功させなさい。私だって……
勇気を。
「せ、んぱ……い」
「イルベルタ? 君、声が――」
「……この、声、は、長くは、持ちま、せん……だから、ずっと、伝え、たかった事を、ずっと、思っていた、事を、ちゃんと、言葉に、する、の……で、聞いて……ぐだ……ざい……!」
喉が痛む。
薬は完璧ではなく、試作品の域を出ないと言っていた。
少しの間だけでいい。どうか、この思いを伝えるまでは。
「イルベルタ、無理は――」
「わだじは……せんば、せんぱい、ぐぁっ……」
「イルベルタ!」
ダメ。
まだ――まだ、ダメ。
イルベルタが涙を拭うために両目を閉じたとき、ステージのライトが急に点き、ウィルスの目を眩ませた。
ほんの一瞬。三秒と満たない足止めだったが、三秒と足りない短い時間で、イルベルタは咳払いして喉を整え、めいいっぱい息を吸う。
「私は……! 私は……先輩が好きです。ずっと言えなかったけれど、この気持ちは本物で、私はローレライだけど、初めて言う愛情で……! だから、だがらせんば――!」
もう限界。
もはや喉は悲鳴を上げる事すら出来ず、毒に冒された部位が痙攣して震えている。
解毒剤の効力は一時的で、ちゃんとした実験も
けれど、それでも言いたかったのだ。
後遺症の可能性もあった。毒の影響がさらに酷くなる可能性だってあった。
それでも伝えたかったのだ。自分の言葉で、自分の声で、自分の気持ちを。
「イルベルタ……!」
「わだしは……! ウィルス・ウォーカーぜんばいお……愛じで……いまず……!」
言い切ったのが早かったか。彼の腕に抱き締められるのが早かったか。
いずれにせよ、少女の身は青年の胸へと抱き寄せられて、優しい力で抱き締められていた。
魔人族特有の、魔力と熱を発する鼓動が、イルベルタの耳元で早鐘を刻んでいる。見上げると、ウィルスは初めて耳まで真っ赤になって紅潮していた。
汚い声ながら、ありきたりな言葉ながら、彼に声が、言葉が、気持ちが届いた証拠だった。
「馬鹿……こんな無理をして……でもありがとう。初めて言って貰えて、とても嬉しいよ。俺も愛している、イルベルタ」
果たしてこの状況。愛を囁き、自分の下へ引きずり込んだと言えるだろうか。
男がローレライを引きずり上げたのか。ローレライが男を魅了したのか。はたまた、その両方か。
いずれにせよ、抱き合う二人の間には感情があり、熱情があり、少女が胸の中で燻らせていた気持ちが燃え上がって、見ている方にまで当てるような熱を放っていた。
例えどれだけ汚い声でも。どれだけ簡素な言葉でも。気持ちを伝える事にこそ意味があり、意義がある事を示されたオレンジは、事の顛末を見届けて一人、闇の中へと消えていく。
そのままその足で向かった湖の畔で、彼は湖に映る星と月を見つめながら、オレンジにしか聞こえない声で鼻歌を歌っていた。
「其方がここにいると聞き、近くまで様子を見に来た。息災であったか」
「……はい」
果たして、オレンジが災禍レキエムへと抱く感情の名は――
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