「終わらせるために、始めるために終われ」
長く伸びた影は重なり、わずかに湿った温もりが唇を濡らす。
頬に落ちる涙と、額に落ちる汗と衣服に染み込む赤い体液とで、ずぶ濡れだった。
――君は悪くない。何も怖がることはないよ
言葉の意味はわからない。
そう言ってくれた人がいて、その人が言う君に殺されて、何もかも喰われてしまったのは知っているけれど、何故その人がそんなことを言ってくれたのか、遥か昔となった今では、わからなくなってしまった。
あの人も社の中身を狙う賊だったのか。それとも自分を作り上げた創造主だったのか。はたまた他の何者だったのか。
知る術はなく、知る由はなく、知ろうとも思わない。
正体が何であれ、その人もすでに我が身を構成する血肉の一部と成り果てていることに変わりないのであれば、知ったところで意味もない。
何より、考えるのが面倒くさい。
何故社の中身を狙うのかとか、社の中身はそもそも何だったかとか、どうでもいい。
例え迷い込んだ蛾の類だろうと、目の前に現れれば斬り裂き、踏みにじり、喰らうだけ。
命を殺し、喰らい、生き続け、護り続ける防衛装置として作られたのならば、本懐を遂げていると言ってもいい。
例え押し付けられた形であろうと、殺し続け、喰らい続けることが存在証明となるならば、自動だろうと手動だろうと機械的だろうと奇怪的だろうと、続けるのみ。
続けることに違和感はなく、拒否感はない。むしろ違和感を感じること、拒絶することがもはや億劫で、別の感覚を覚えることが面倒だ。
永遠不変を命じられた中で、発生する変化に対応することと、変化に対して何かしらの感情を抱くことほど、面倒なことはない。
だから、その意味深な左手薬指の石を見せるのをやめて欲しい。
何か託された思いがあるのかとか、殺したら託した誰かの怒りを買うかな、とか、色々と考えてしまいそうになるから。
もう考える頭さえ、動かなくなりつつあると言うのに――
▼ ▼ ▼ ▼ ▼
鉛色の空の中、青色の雷鳴が
煌炎をまとったホムンクルスの左肩から生える蝶のような羽が、降り頻る雨に濡れて消えまいとより大きく広がっていく。
赤と黄色、白、橙色の四色で構成された炎のような模様の羽が羽ばたくと、鱗粉を模した火の粉が舞い散って赤髪の周囲に熱を持たせる。
羽を羽ばたかせて高々と飛翔。舞い散る火の粉を吹き飛ばして散弾のように浴びせると、羽を光り輝かせ、浴びせた火の粉を火種に燃え上がらせる。
人形は炎を振り払い、高く跳躍。繰り出した二連続の後ろ回し蹴りにて、払い除ける。
バランスを崩した赤髪は落下するものの、片翼を羽ばたかせて地面スレスレを滑空。低空飛行で距離を開けると、翳した掌から灼熱の炎弾を放つ。
四つの
再度肘を壊そうと蹴り上げられる寸前で飛び上がり、回し蹴り。咄嗟に身を屈めた赤髪の頭上を通り、羽を斬り裂いたが、炎の塊である羽はすぐさま元の形に戻る。
羽を羽ばたかせて火の粉を飛ばし、体に付着させたと同時に炸裂。距離を取るが、一息の内に肉薄されて
胃の腑が潰れ、全身を駆け巡る衝撃に弾き飛ばされながら、血の混じった胃液を嘔吐する。
だが、吐いた血の塊を左手に蓄え、再び肉薄して来た人形の瞑らない目にぶちまけて視界を奪ってやると、炸裂。人形の片目を焼き焦がし、目玉の中の水けを蒸発させる。
片目が破裂した衝撃で、一歩、二歩と後ろによろめいた人形の顔面を殴り飛ばし、尻餅をつかせて、腹の真ん中に風穴を開けてやらんとばかりに、蹴りで追撃しようとした。
が、人形の手が先だった。人形の
だが、ただではやられない。灼熱の体を貫いた代償として、
本来ならば、双方ここまでとしたいところだが、理由がない。
片や相手を倒さねば止まる理由を与えて貰えず、片や相手を停止させるまで止まるなと言う命令の下、何百年と稼働し続けている。
両手が使えなくなった。
臓腑が潰れた。
痛みで意識が飛びそうだ。
稼働領域がどんどんと減っている。
だから――どうした。
どれ一つとして、止まる理由にはならない。止まる理由ではなく、諦める理由でしかない。
諦める理由を最初から奪われた人形と、諦める選択をしないホムンクルスの戦いには、決して訪れる事のない結末だ。
諦めさせたいのなら、殺して見せろ。人形はともかく、赤髪というホムンクルスはそういう性格だ。今回は猶更、諦めが悪い。
諦めてなるものかと、突き動かすものがひと際大きかった。
人形の胸座を掴み、燃え上がる。天を衝く火柱を上げて鉛色の曇天を貫き、雷霆を伴って落ちて来る灼熱に共に焼かれる。
体と
どちらが先に倒れるか、先に音を上げるかの勝負。
「っぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああ――!!!」
上げているのは咆哮だ。弱音ではない。負けを認める声ではない。
勝利を約束する咆哮だ。勝鬨に変わる絶叫だ。凱歌に変わる絶唱だ。明るい未来を宣う、碌に助けてもくれない神と名乗る畜生への誓い。
外道の手で作られたホムンクルスが、人並み以上の幸せを得る瞬間を見ておけという宣言。
災禍などに負けない。災害なんかに負けない。自分は彼と――愛する人と幸せを手にする。そのためなら、全力を尽くす。
どんな種族だろうと、当たり前に発せられる原動力。すべての言動は、幸福を求めるが故の衝動だ。特別なことではない。
故に勝つ。勝って特別でない、当たり前のような幸せを手に入れる――
明るい未来への灯へ自らならんと、より激しく、より輝きを増して燃え上がる。
雷鳴の鳴る豪雨の中に晒されながらも、煌炎は徐々に熱を増し、左肩に咲く蝶の羽はより大きく広がり、燃えるような模様を輝かせる。
燃料は命。鼓動の代わりに熱を放つ。瞳の最奥にある赤が炯々と災禍を射貫きながら、呪うかのように繰り返していた。
倒れろ。生きるんだ。私が、生きるんだ。だからおまえは倒れろ。
他人を殺すだけ、破壊するだけの役目はもう終わらせろ。おまえが終われば私も終われる。
だから終われ、終われ、終われ――私のために、おまえが終われ。
「終ぉぉわぁぁれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっっ!!!」
最低な文句だった。けど、心の底からの願いだった。
終わりたかったのだ。戦闘能力に特化した、戦うためだけに生まれ、作りだされたホムンクルスとしての役目を。
死にたいという意味ではない。解放だ。
自分自身で、生きる意味を見出したかった。自分は何のために生きているんだろうと存在意義を見失って、自分自身で存在価値を見出して生きたかった。
だから記憶を失って、一から自分を形成していく少女の事が、羨ましかったのかもしれない。
彼女からしてみれば、すべての災禍を倒すための原初のヒトを創造する実験台にされたなど堪らない話だろうが、結果的に運良く――もしくは運悪く、外道魔術師に拾われて自分を形成する事となった彼女に対して、羨みさえ抱くほどだった。
もはや病気だ。病的に、ただ戦うだけの役目から抜け出したい。戦うだけの毎日を終わらせたい衝動に駆られている。燃えている。
だから終われ。
あんたが終われば、私も終われる。新しいことが始まる。始められる。
戦うだけのホムンクルスをやめられる。だから一緒に終われ。あんたの戦いが終われば、私の戦いも終わるのだ。
だから、お願いだから、終わって。終わって頂戴――!
「え……」
何が我が身に起こり、何が自分に降りかかったのか。
理解するために必要な時間は、短かった。
歪んだ爪を捨てた災禍の指が赤髪の左胸に突き立てられて、少しずつ、少しずつと抉られ、内側へと侵入されている。
だが、まだ届いていない。胸の肉が厚いお陰で、まだ、心の臓腑に届いてはいない。
届いてはないが、時間の問題だ。今こうしている間にも、災禍の指が乳房を裂きながら、心臓へと侵入しつつあるのだから。
「離しなさい!」
災禍の眉間に頭突きを喰らわせるが、向こうも引き下がらない。
ゆっくりとだが着実に、血肉を抉って心臓へと指を押し込んで来る。すでに厚い胸の肉壁も抜け、肋骨に触れつつあった。
血反吐を吐きながらも、赤髪は火力を上げる。体内の水分を奪い尽くし、先に仕留めようと試みるものの、力を奪われるどころか、災禍の指にはより一層の力が籠る。
「この……っ! この……っ、こぉぉんのぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおっっっ!!!」
炎が斬られる。
迫り来る刃が赤髪の胸の中に沈み込ませる災禍の腕を焼き斬り、繋がって開かなくなった目蓋へと切っ先を突き立てる。
刃が頭を貫通した災禍は沈黙し、両膝を付いた状態から動かなくなった。
「赤髪殿!」
「エニック……あなた、どうして」
「魔術師殿に問いましたところ、こちらだと。まさかとは思いましたが……一人で七日間もの間、戦い続けているだなんて」
「七日、間……?」
感覚がなかった。が、お陰で納得した。
通りで魔力も体力も、限界に近いはずだ。空はずっと鉛色の曇天で、雷雨が降り続けていたから、昼夜さえもわかっていなかった。
それだけ、必死だったわけか。
「とにかく、まだ無事でよかった。早く逃げましょう。手当をしなければ」
頭を貫かれて尚、災禍は倒れていなかった。
ピクピクと指先が痙攣し、脚の血管が立ち上がろうと血液を送り込んでいる。
「……大丈夫よ。まだやれるわ」
「何を言っているのですか。こんな大怪我までされて、無事なはずがない。すぐに手当てしなければ」
「やっと……ここまで来たの。七日間も掛かったみたいだけれど、ここまで、来たのよ……! もう少しで、終わらせられるの……! 私の、戦いばかりの日々を! 始められるのよ! あんたと……貴方と、普通の人達のような、幸せで、平凡な……生活、を」
人形の口が初めて大きく開いて、生え揃った犬歯を見せる。
大量の血液を唾液とを口内から大量に漏らしながら、死霊のような声で呻き、変形した腕と脚との三本の支えで以て体勢を持ち上げ、四つ足の獣の如く威嚇していた。
「やっと、ここまで来たの……やっと、終わらせられるところ、まで……やっと……」
言いながらわかっている。
魔力も体力も底が見えている今の状態で続けたところで、勝ち目など希薄過ぎる。
だが、諦められるわけがない。やっとここまで追い詰めたのだ。ここまで追い詰められてはいるものの、災禍の一体をあと一手まで追い詰められる機会など、今後あるかわからない。
右腕。胃の腑。左胸。支払える代償は、もう支払った。
それだけやって、ようやくあと一手まで追い詰めたのだ。ここまで来て、失敗しましたなんて引き返せない。
幸せを掴み取るため、
「……わかりました。では、共に参りましょう」
赤髪を抱き寄せ、左手に剣を掴ませる。
それは、かつて精霊の王であった炎の精霊が持っていた、燃える魔剣。赤髪が今回の戦いのためにと博士に作らせた剣のオリジナルであり、自身の根源たる精霊の遺した歴戦の遺物。
炎魔霊剣・フィリマスルト。
魔法へと至らんとする他の種族が見れば、喉から手が出るほど欲するだろう魔導の遺産。
エニックはそれを赤髪に握らせ、自分もまた赤髪の手ごと右手に握り締め、左手は背中に添える。ゆっくりと、少しずつながら高々と掲げると、剣は宿した煌炎を白く燃やし、雲を斬り裂く高さにまで伸びた。
「この一撃だけ、お供します。この一撃でもしも仕留めきれなければ、大人しく後退してください。私は、あなたと共にあってこそ、幸せなのです」
「……ありがとう」
「さぁ。この一撃に、私も出来る限りを籠めましょう。赤髪殿、悔いのないように」
「……えぇ。えぇ!」
このときの赤髪は気付いていなかったが、今の二人の構図はさながら、結婚式で初めての共同作業と称し、同じナイフを握り締めてケーキを切る新郎新婦。
後で他のホムンクルスに言われると、本気で嫌がる形だったが、フィリマスルトは王の剣でありながら、王だけの剣ではない。
王と妃、炎の精霊が二人揃って初めて真価を発揮する炎の魔剣。
「“
「“
真白に燃える魔剣を、二人揃って振り下ろす。
一撃は大地を裂き、山を割り、森を焼き切って、七日間の戦いによって激変していた地形を叩き割る。
二人で振り下ろした斬撃が、山一つを焼き切ったとき、雷鳴を轟かせる鉛の雲が焼け焦げて、二つに割れた。
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