赤髪のホムンクルス・エメリア

 薄暗い天井を照らすのは、仄暗いランプの光だけだった。

 覚ましたばかりの目には部屋が暗く見えて、自分がいるのは生死の境かなどと、迷走する晩年の詩人のようなことを考えてしまったことに苦笑し、頭を抱える。

 ふと、頭を抱えたのが自分の右手であることに気付いて、未だ焦点の定まらない目で、失ったはずの右手を見上げる。

 熱のある血潮が通い、自分の膂力で動く右腕が、ちゃんと自分の肩から生えていた。

 ではあの戦いは、七日間続いたらしい戦いはもしかして――そんな不安に駆られて左手も上げてみると、指輪がない。

 不安に駆られて呼吸器を外し、周囲を見渡すと、青髪らしき丸っこい字で書かれた手紙の側に綺麗に磨かれた指輪が置かれているのが見えて、安堵と共に急に起き上がった反動が体を駆け巡って、そのまま背中から布団に倒れた。

 少し息苦しくて、乱雑に抛った呼吸器を取り、口元に当てる。

 部屋の汚らしさと薄暗さからして、確実に外道魔術師の空中施設であるはず。なら、いつしか様子を見に来るだろう。そのときにでも、事の顛末を聞けばいい。

 結局、災禍はどうなったのか。エニックは――

「エニック!」

 エニックの存在を思い出して、また飛び起きる。

 最後の最後、自分を心配して駆け付けてくれた精霊ひと

 最後の一撃を共に振り上げ、解き放った炎の精霊は何処に。彼は、あの人は無事なのか。

 来た時に聞けばいいだなんて、呑気なことを言っている場合ではない。すぐにでも博士を探し出して問い詰めなければ。

 だが博士には、赤髪の行動などお見通しだったのだろう。掛けられていた毛布を跳ね除け、ベッドから飛び出すために体に張られていたパッドを剥がそうとした瞬間、一撃に凝縮された電流がパッドから全身を駆け抜け、赤髪を悶絶させ、ベッドへと強引に引き戻した。

 あくまで治療用の器具であるはずなのに、治療用とはとても思えない電圧。一秒にも満たないわずかな時間だが、心臓が止まったとさえ思った。

「あ、あ、んの……外、どう……」

 全身を鈍痛が駆け巡って、まるで起き上がれない。

 怪我人相手に使う電圧じゃないと、赤髪は右腕を治して貰った恩も忘れて激昂し、唸る。

 すると唸り声を聞きつけて来たのか、それとも電気ショックを与えた時点で信号が送られてくる仕掛けにでもしていたのか、割と早めに博士が部屋にやって来て、予想通り過ぎてつまらないとばかりに深い溜息を漏らされた。

「こ、の……外道……エニックは、無事、何でしょう、ね……」

「ホォ。掴みかかりに来るかと思えば、先に他人ひとの心配とは、成長するんだネェ、おまえのような野蛮人でモ」

 何だったら今すぐにでも殴り掛かりたかったが、体を走る鈍痛がまだ治まらない。

 だが仮に殴りかかれたとしても、エニックを盾にされれば殴れなかっただろう。故に今は嫌々ながら、大人しくベッドに横たわる。

 博士が剥がれかかっているパッドを再び貼り付けようとしたので、それだけは自分で張り直したが、他は言われた通りの触診を受けた。

「しばらく発熱が続くヨ。覚悟しておきナ」

「は? 私、今発熱してるの……?」

「なんだネ、気付いていなかったのカ。現在、三九度七分……炎の精霊の血を引いていたとしても平熱とは言い難い熱量ダ。しばらく、安静にしてい給えヨ」

 そう言われ、ながら作業で作られた氷嚢ひょうのうが頭に乗せられて、物理的に安静にさせられた。

 詰まっている氷が重く、まるで起き上がれない。

 体を穿っていた鈍痛と、あると意識すると強く感じて来た自分の熱とで全然力が入らず、氷嚢と呼ぶには雑過ぎる氷塊をどかすことが出来なかった。

 体が酷く重いのも事実なので、大人しく安静にしておく。

「精霊族の王子は無事だヨ。そして、おまえは無事に役目を果たしタ。マァ、王子の手を借りてようやくと言うのは癪な話ダガ……目的は果たしたんダ。この際文句は言うマイ」

「珍しくお優しいじゃないの……あの人形を使って、またホムンクルスを作るつもり? っていうか、あの人形が社で護っていたものって何なのよ」

「おまえには関係のない話だヨ。それよりおまえは今後の心配をしないかネ」

「は……?」

「おまえはこれから、あの王子と共に生きるんだろう? どれだけ長い休暇を取るつもりでいるのか知らないが、戻ってくる気はなさそうだしネェ」

 バレていた。まぁ当然だ。

 博士が初めて言い出した長期休暇。期間を指定されてもいないなら、最悪、戻らないという選択肢だってある。

 文句は言わせないつもりだったが、元々言うつもりもなかったらしい。毎度のことながら、この男の意標を突くのがどれだけ難しいことか、痛感させられた気がした。

「何も、言うことはないわけ?」

「さぁネェ。タダ、おまえの体は見かけこそ何ともないが、そう見えているだけデ、中身はボロボロだ。戦いなど到底出来マイ。まともに戦えるマデの休養と思えば、特別言うことはないヨ」

「冷たいわね。ってか、何で私が戻ってくる計算してるのよ……戻ってこないかもしれないじゃない。黒髪のあの子みたいに」

 自分の大好きな人と添い遂げた彼女は、今頃どうしているだろうか。

 普段は表にこそ出さないが、かれこれ長い付き合いだった猛毒のホムンクルスの事を思い出しては気に掛けていた。

 唯一の情報源である青髪がやり取りしている手紙で、妊娠して膨らんだお腹の写真を見た時の気持ちは、何とも表現し難いものだった。

 つわりは酷くないだろうか。彼との仲は悪くなってないだろうか。相変わらず気に掛ける事は多いものの、羨む気持ちも多くなった。

 だから彼女と同じ様な境遇に置かれることが嬉しくもあり、不安でもあった。

 今まで戦いしかしてこなかった女だ。戦うためだけに作られたホムンクルスだ。果たして他人を幸せにする機能など、搭載されているのだろうか。

「不安かネ」

「……心を読むような真似、しないで頂戴」

「わざわざそんな真似をしなくともわかるヨ。おまえが今回獲得した自由であり、報酬なのだからネェ」

「これが、報酬?」

 この、胸の奥でつかえるようなもどかしさが。

 問うより前に、カルテを記す博士から答えが返って来た。

「おまえが獲得したものだ。おまえは戦うしか能がなかった。故に戦うという選択肢しかなかったが、逆に言えば、んダ。だが、これからはそうはいかない。あの王子のためにしてやれること、しなければならないことを取捨選択し、間違えながら正解を選ばなければならない。迷い、苦悩する自由を得たと言ってもいい。おまえが獲得した自由とは、そう言う事なんだヨ」

 何か腹が立つ。

 が、言っていることは何となくだが納得出来たし、理解出来た。

 自分が手に入れたものは、何でもすることが出来る自由だけではない。何もしない自由。何をして何をしないかを選ぶ自由。取捨選択をする自由。

 行動に制限がなくなったことで、可能性が広がったと同時、可能性が未知数へと転じた。戦ってさえいればよかった今までを捨て、他にも様々なことをしなくてはならない世界へと、身投げしたのだった。

「自由、だなんて聞こえがいいだけサ。行動の取捨選択の難しさ。理不尽なほどに求められる能力の多さには、己の容量キャパシティを遥かに超えた量を求められることに鬱屈し、もがき苦しむことだろうネェ」


「だが、


「自分の思い通りに動き、思い描く未来のために取捨選択し、失敗し、挫折し、研鑽を重ね、成功へと至る。誇り給えヨ。おまえが獲得したのは、単に好き放題やる自由じゃない。を手に入れたのだヨ」

 これは、この男なりの応援なのだろうか。

 おまえに話したところでわかる訳ないかと、普段ならはぐらかされるような難しい話をされる。意地悪だが、【外道】の魔術師と呼ばれる男らしいとさえ思えた。

 不思議と、このときばかりは腹も立たずに聞いてられた。

「自ら挑み、損をし、挫折し、絶望する。そこから何かしらの理由を付けて希望を見出し、這い上がる。それらをすべて自分の手で行えるのだから、これ以上刺激的なことはおまえにはあるまい。マァ正直に言って、苦労の方が目立つ生き方だが……どうだネ? 生きていける自信は、あるかネ」

「……一人で生きて行くのなら、自信なんてなかったでしょうね。でも、一人じゃないもの。覚悟しなさい。あんたに役目を与えられていた頃より、ずっと幸せになってやるわ」

「そうかイ。じゃあさっさと幸せになって不幸になって、苦しみながら笑い給えヨ。あの優しい王子様とサ」

 丁度カルテを書き終えたらしく、博士は氷嚢の溶け具合を見て、何もせず出て行こうとして、止まった。その場でしばらく、壁を見つめて考える。

「では一応、戻ってくるまでサラバだ。。せいぜい、足掻き給えヨ。それがおまえの求めた自由であり、幸せダ」

「えぇ……今まで世話になったわね、外道魔術師……」


*  *  *  *  *


 四日後、発熱が引いた赤髪改め、エメリアは去り行く空中施設を仰いでいた。

 隣で肩を抱き、連れ添ってくれる夫と共に、見えるはずもない距離にいながら、ずっと手を振ってくれていそうなホムンクルスの影を探す。

「エメリア殿」

「……何でかしらね。あの施設が飛んで行く様を見る時は、せいせいすると思ってたのに、胸の中につかえるものを感じるわ」

「それは、あなたが姉妹を愛していたという証では」

「愛? ……そう。そうか。えぇ、そうね。何だかんだ言って、私はあそこが、血の繋がらない姉妹同然のホムンクルスのいるあそこが、好きだったのかもしれない――いえ、好きだったんだわ」

 ごめんなさい、血の繋がらない姉妹達。大好きなあなた達より、愛する彼と生きることを、選んでしまったわ。

「また会えます」

 博士が定期的に商売しに来ることを差して言ったのではないことはわかっているし、このときはそんなことを完全に忘れていた。

 仮に憶えていたとしても、皮肉だなんて思わなかっただろう。

 彼はとても優しくて誠実な人だからと、今からもう惚気ていた。

「そうね……でも、しばらくは二人きりがいいわ」

 数日後、二人は挙式を上げて正式な夫婦となった。

 彼女のお腹が、二人の間に出来た子供で膨れる時期もそう遠くはあるまい。

 これから多くの試練があり、障害が待ち受け、困難が立ちはだかる事だろう。それらに対し、今までの力押しは通用しない。

 彼女は苦労し、苦悩し、苦渋を呑むことだってあるだろうが、絶望はしない。膝を折ることはない。彼女の側には、長年思い続け、今も想い、慕う優しい精霊がいるからだ。

 さも、彼らの恋は、情炎はより大きな火種となって燃え上がる。

 艱難辛苦をも焼き焦がし、災禍をも焼き断つ大火となって、より神々しく、より煌々と。

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