ホムンクルスvs災禍
煌炎が爆ぜる。
天を高々と貫く火柱から、黒く焦げた人形が飛び出してくる。
振り下ろした剣と爪がぶつかって散らした火花が種となり、人形を包み焦がす。
人形の振り払う爪は炎を斬り裂き、再び剣と火花を散らしながら衝突し、赤髪を奥へ奥へと押し込んでいく。
四百年もの時間でまったく劣化していないのか、圧倒的膂力に押され、踏み止まれない。
振り下ろされる
元々怪力が自慢ではないが、人間を超えたホムンクルスの膂力を完全に押し込める生物など、そうゴロゴロといやしない。それこそ、人間と同じ規格の相手には尚更だ。
だと言うのに、それこそ災害と対峙しているかのような圧倒的力の差に押し込められ、膂力ばかりか、炎さえも届かない。
遥か太古、原初の精霊にも数えられた炎の始祖の力で以てしても、人形の活動を停止させるまでに至らない。
赤髪は初めて、自分と同じサイズの相手に対して、自分とは比較にならない力の差を感じていた。
そもそものスケールが違う相手ならば比べるまでもないが、背丈もスケールもほぼ同じで、ましてや魔術も使ってこない相手に、単純な力だけで押し込められている。
手を出そうが脚を出そうが押し込まれて、魔術も力尽くで破られる。これ以上腹立たしく、苛立たしい事もない。
戦闘用に作られたホムンクルスが同じスケールの相手に対して、戦闘でまったく敵わないと言うのだから、存在意義に関わって来る。
「この……っ!!!」
炎をまとった剣を振り、爪の一撃に払われる。
今まで踏ん張らずに吹き飛ばされていた衝撃を片脚で踏ん張って堪え、片脚を軸に勢いを利用して回転。その加速で繰り出した掌打に炎を籠めて、一点に撃ち込み、爆ぜる。
鉄さえ融解する灼熱が体を貫通しても、悲鳴一つ上げない人形の
薄皮が向けた程度の傷に何とか収めた赤髪は、咄嗟に回転のために突き刺した軸足を引き抜いて後退した。
腹部から肩まで一直線の切り傷。胸の肉が豊かだったせいで、躱し切れなかった――なんて思っていると、青髪や緑髪から反感を買いそうだと考えて、少し笑ってしまった。
笑えるだけの余裕が残っていると考えたいところだが、逆だ。もう笑うしかないくらいに余裕がない。
大きな傷は未だにない。が、それはまともに受けていないからだ。
対して相手は、今まで幾度もまともに受けているのに、傷一つない。同じ無傷でも、これまでの経緯で意味合いはまったく異なる。
これがまったく逆の立場だったら、今感じている途方もない絶望感などなかった。
諦めるわけにはいかないが、このまま力押ししても事態が良好になる事はない。何とかしなければならないが、頭を使うのが一番苦手だ。
戦略的一時撤退――という選択肢もない事はないが、対峙すれば命はないと定評のある人形が、果たして逃がしてくれるかどうか。
「はっ」
そこまで考えて、赤髪自身も不適と感じるくらいに軽く笑ってしまった。
頭を使う。戦略的撤退。
らしくない。どれもこれもらしくない。
今までそんなことしたことない癖に。今まで考えたことも、考えようとしたこともなかった癖に。何を今更――何を逃げる必要があると言うのか。
「私は未来の女王よ。精霊王の
高々と掲げた指先から
足元は溶け、頭上からは熱気が降り注ぎ、前後左右には橙色に燃える魔術陣。さすがの災禍も、動きたいように動けない。
「七つの大罪を焼き尽くせ! 原初の炎! 塵は塵に! 灰は灰に! 大逆滅する灼熱十字!」
災禍が見上げた空に現れたのは、巨大な炎塊。
流動する溶岩が自分の上で影を作っているかと思えば、見えざる手によって徐々に形成されていき、燃える巨剣が出来上がる。
さながら断罪のため、天使長が振るう十字型の炎の
「“
轟々と風を切り、さらに熱を増しながら巨剣が落ちる。
すべての熱が魔術陣の中で終結し、火柱となって高々と天を衝く。
そこらの山よりも高く、周囲の国や村からも確認できた巨大な炎が突如燃え上がったことに驚き、人々は見入る。そして見入った誰もが、山火事などの自然災害だとは思わなかった。
大国規模の国では国王軍を出せと国民が混乱し、村では神の救いあれと祈りが捧げられる。
わかっていた。自分達の得体の知れない、何かと何か同士の戦いであると。
魔術に関しては素人の者でさえも、魔力とわかる圧が悪寒を誘い、危機感を煽り、各々の防衛本能を刺激した結果、渦巻く混乱を生み出していく。
しかし、実際の状況は周囲が騒ぐほどの物ではない。
周囲の人が、村が、国が騒いでいると言うのに、燃える剣を受けた当の人形は致命傷すら受けておらず、意匠が燃え果て、表皮が黒く焦げた程度。
まともに喰らって生きているだけでも驚愕だと言うのに、黒い煙を吐きながらも平然と立ち尽くし、片膝すら突かない。
淡々と、災禍は服が焼け落ちたことなど気にも留めず、赤髪を見つめるばかり。
奇声か悲鳴でも上げてくれればまだ可愛げがあったものの、あくまで人形であると言いたいのか、声の一つも上げず、ただ凝視される。
見つめられる赤髪の方が、奇声でも悲鳴でも何でも、とにかく声を上げたくなるくらいの怖い静寂が続く。
遅れて、火柱が吹き飛ばした雨が一挙に落ちてきて、双方、滝に打たれているかのように濡れる。
直後、赤髪を濡らす雨粒が蒸発する。髪がより赤く輝き、橙色の煌炎を携えて燃え始めた。
「いいわ。それくらいじゃないと、災禍だなんて呼ばれるはずがないものね」
人形は爪を鳴らす。
爪に落ちた雨粒が弾けるように蒸発し、爪の駆動音に勝って聞こえてくると、赤髪は口角を持ち上げた。
ただ反応がないだけで、酷く希薄なだけで、ゼロではないらしい。ダメージは、まったくないわけではないらしい。
それだけわかれば、充分だ。充分、戦える。
まったく通じていないわけでないなら、通じるだけの攻撃を浴びせ続けるだけだ。
「精霊の王へと願い奉る! 塵は塵に! 灰は灰に! 神祖殺しの――っ!」
詠唱の途中で、人形の爪が襲ってきた。
腹を一突きにしてやろうと繰り出された刺突を剣で受け、直撃こそ免れたものの、突き飛ばされる。更に尻餅を突いた直後、人形が飛んで来る。
横に転がって躱すと、熱を持って溶け気味の地面に爪を突き立て、引き抜いた直後に間髪入れることなく肉薄し、
ただ突進してくるだけならと、赤髪は避ける直前まで地面に熱を与えて溶岩に変えて簡易的なトラップを作り上げたが、躱した赤髪の代わりに溶岩を貫いた人形は足を襲う熱を訴えることなく、躱した先の赤髪を睨んでいる。
両手の
結果的にそれが人形に充分な計算時間を与えず、短慮と言わざるを得ない簡単な攻撃に留めているのだが、防戦一方の赤髪が何も出来ないのは変わりなかった。
爪の一撃に薙ぎ払われ、弾き飛ばされた先で追撃の
この戦いのためにと博士が作った剣が火花を上げ、悲鳴を上げる中、舞い散る火の粉の一つ一つを火種に変えて暴発。小型の爆撃を幾重にも叩き込む形で距離を取る。
がすぐさま取った距離を詰められ、
すぐさま
大きく振りかぶった一撃に吹き飛ばされ、背中を打ち付けて息を詰まらせた時には、人形の
さすがに剣が折れると見切って、赤髪は横に飛ぼうとする。が、あろうことか人形の爪が射出されてきて進路を塞がれ、次の瞬間には、掲げられていた
骨が中で砕けて肉に刺さり、粘着質な血液が溢れ出る。
が、赤髪は穿たれた右手に持っていた左手に持ち換え、高々と振り上げる。
躱すのは容易いと人形も躱そうとして、違和感に気付く――離れられない。肩を抉った
人形の脳内で行われている演算が、赤髪の骨が一部溶けて
「夕闇を焼き、虚空を焼き、虚無さえも灰燼へと……塵は塵に、灰は灰に、魔王殺しの灼熱十字!」
先に進路を塞ぐため、射出していた爪がワイヤーを使って回収され、装填。再び射出されようと向けられた時にはもう遅い。
「“
▼ ▼ ▼ ▼ ▼
「長期休暇?」
「まぁ、そのようなものダ。もしおまえが自立破壊人形を破壊して持ち替えるようなことがあれば、望むだけの休暇をやろうじゃないかネ。尤も相手の特性上、おまえ一人で対峙しなければならないガ、どうだネ? やるかネ?」
「……ヤるわ」
悩む必要性など感じられなかった。
むしろ、何に悩めと言うのだろう。自分はホムンクルス。自分とまったく同じ個体は出来ずとも、酷似した個体なら量産可能な人工生物。
死んだところで変わりが生まれるだけ。新たな個体に自分の記憶が引き継がれ、その子も彼を愛するというのなら、躊躇はない。
彼ならきっと、わかってくれる。
例え望みの薄い賭けだとしても、彼を愛するからこその選択だと。彼と一緒にいたいがための、彼の番になりたいがための決断だったのだと。
聡明な彼なら、わかってくれるはず。だから、待っていてくれるはず。
そう思えたから、何の迷いもなく、戦いへと繰り出せた。
▼ ▼ ▼ ▼ ▼
どうなった。状況を確認するため、起き上がる。
起き上がれるのだから、命だけはある。ならばまだいい。
体は――五体満足、とはいかなかったようだ。右腕の、肩から先がない。
足止めのために犠牲覚悟で差し出したものの、いざ無くなっているのを見るとやはり寂しい。ちゃんと目的を達成したら、外道でも義手か何か付けてくれるだろうか。
これから彼のために勉強したいこと、練習したいこと、やってあげたいことがたくさんあるのだ。そのためには、片腕では何かと不便過ぎる。
それでも外道の博士が何もしてくれなかった場合のため、右腕を犠牲にした。左手には、彼から貰った石が輝く指輪を嵌めていたからだ。これだけは捨てられない。
そして、左手に握っていた剣は木っ端微塵に砕け散っていた。
こちらの損壊は以上。対して、災禍――自立破壊人形は。
「何よ。思ったより効いてるじゃない」
何なら無傷であっても、この際驚きはしなかったのだが、思ったより効いている様子だった。
射出しようとしていた
何とか片腕を犠牲に、相手の片腕も取れた形か。なんにせよ、今までで一番明確で、明瞭なダメージを与えられた。
「何であの局面で遠距離攻撃しようと思ったかわからないけど、まぁ、いいわ……お陰でちょっと光明が見えたわけだし」
未だ、人形の表情に変化はない。
そもそも変わるような表情があるのかさえ知らないが、未だ、熱も痛みも訴える様子はない。が、何となくただ見つめる目でなくなった気がした。
敵意か殺意か。何にせよ、ようやく感情の籠った視線を見せ始める。いつだったかの、初めて殺意という殺意と相対し、驚いていた少女の姿を思い出す。
そういえば、彼女は今、元気でやっているだろうか。思い出すと会いたくなるものだが、今は戦闘に集中する。それこそ、彼女と再会するためにも。
「じゃ、第二ラウンドと行きましょうか?」
赤い髪から引火したかのように、赤髪の全身が輝ける煌炎に包まれる。
降り頻る雨粒のすべてが彼女に触れるより前に蒸発し、彼女の足元が乾き切って罅割れる。鋼鉄さえ沸騰する超が付くほどの高温を宿した赤髪は折れた剣の破片を握り締め、溶ける鉄を自らの思う形に形成し始めた。
赤髪の指と指の間から、獣の牙の如き鋭い刃が生えて、雨に当たる度に熱を発して唸る。
「お人形さんはどんな動物が好きかしら。好みの牙で、噛んであげる」
赤髪の発する熱のせいか、二人の頭上にある雲が鉛色となり、雷鳴が鳴り始めた。
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