「私が愛するに足る方」

 精霊族族長ティターニャ、ジュリエット・フェアリ。

 巨人を倒した森から、同胞を伴って大移動した先。他の種族から逃げるように移した居住地帯で、【外道】の魔術師と酒を酌み交わしていた。

 かれこれ長い付き合いになるものの、酒を酌み交わすのはこれが初めての事。さらに言えば、彼女の方から会って話がしたいと言われたのも、初めての事だ。

 驚きこそしないものの、酒に呑まれることもなく、ずっと深刻な面持ちでいる彼女の様子には、さすがの博士も訝しんだ。

 だが原因は、彼女の手の甲を見てわかった。

木熱きねつかネ」

 植物が掛かる病気とされているが、稀に、精霊族も掛かる病気とされている。

 感染力が強く、過去には精霊族の間で何百という多くの死者を出した事もある。今となっては数種類の薬が開発され、致死性こそ低いものの、未だ他の種族と距離を取り続けているジュリエットの率いる精霊民族に入手手段はない。

「良いだろう。金は要らない、作ってヤる。が、正規の代物じゃあないから、効果のほどは保証しないヨ。それでもいいかネ?」

「むしろ、そうしてくれると助かる」

 酒の勢いで人の気持ちなど測れはしないと思っているものの、博士は何となく察した。

 呼び出した理由は、それだけではないと言う事を。

「【外道】の。あの赤髪の娘を、息子にやってはくれまいか」

「……随分と気が変わったじゃないカ。君は彼女を毛嫌いしていると思っていたが、私の勘違いだったかネェ」

「愛し合う二人を割いてまで、我を通そうとは思わぬ。外道の作ったホムンクルスとはいえ、あの娘も精霊の血を引く者。我らが同胞として受け入れるのは、難しくとも過ぎることはない」

「随分と丸くなったじゃあないカ。木熱がそんなに怖かったのかイ?」

「否定はしない。そろそろ息子も仲間達を従えて戦う英雄から、同胞を導く王へと成長せねばならぬ頃合いと見た。私の身が病に侵された際、周囲を宥め、統率する息子の姿を見て思ったのだ。それにはまず所帯を持ち、身を固める必要があろう」

「で、赤髪を寄越せと。だが悪いネ。あれにはさせたい仕事が山ほどあるんダ。そう簡単には渡せないヨ」

 青、赤、緑、黒、金、銀、紫、白、と八人ものホムンクルスを従えているものの、戦闘に特化した赤髪にしか出来ない仕事がある以上、彼女の存在は必要不可欠。

 精霊族との取引に必要なホムンクルスの作成のためにも、彼女をただ欠かす事は出来ない。それでも寄越せと言うのなら、

 赤髪に負けず劣らずの戦闘能力を持ったホムンクルス。彼女に劣ることのない性能を有した存在が必要だが、生憎と、それに相当するだけの触媒がない。

 赤髪は、かつて最強とされた炎を宿した精霊の肉体から作られ、生み出されたホムンクルス。

 それに相当し、匹敵するだけのホムンクルスを用意出来なければ、彼女の解放などあり得ない。事実、それが不可能だったからこそ、赤髪は解放されてないのだから。

「寄越せと言うのなら、それ相応の代物を用意し給えヨ。こちらは大切な仕事道具を差し出せと言われているんダ。こちらもそちらに、何か差し出せと言う権利があると、思わないかネ?」

「……情報なら、ないこともない」

「ホォ」

 妖精と呼ばれる小さな精霊達が集まって、博士の杯に酌をする。

 二匹の妖精が一生懸命に持ち上げ、擦ったマッチの火種を杯にかざすと、酒の表面が燃えて花を燻したかのような香りが漂ってきた。

 精霊族のみが創り方を知っている秘伝の酒で、市場に出回ることは滅多にない希少な酒だ。

「して、その情報とは?」

「今、我々がいるこの森から北に千里は進んだ霊峰にて、確認した。其方らが自立破壊人形と呼ぶあの、傀儡ゴーレム。ファントマ・アリアとあれが護る社を」

「……いいネェ」

 消えた火が残していった甘い残り香を堪能し、一息に飲み干す。

 次を所望した博士の杯をまた酒が満たし、表面を炎が走った。燃える酒の水面を見つめる博士の目が、嬉々として、爛々らんらんと輝いている。

 酒のせいか、久し振りに好奇心のそそる話を聞いた気分で、内心盛り上がっていた。

「あれに関しては、確実な情報がほとんどないからネェ。まぁ、遭遇すれば即刻惨殺だから、考えてみれば当然なのだけれどネェ。いやいや、よくぞ見つけてくれたヨ」

「奴に関する情報は、デマも多いと聞く。巷間こうかんでは、もはや噂程度にしか聞かれないとか」

「まぁ、仮にも災禍の話だからネ。命の責任など取りたくないという話だろうサ。自分のついたデマで、死人が出ちゃ、困るからネ」

「私が嘘を言っている可能性を、其方は考えぬのか?」

「そりゃ考えるサ。だが、おまえは知っているだロォ? 私に嘘など付こうものなら、ましてや、計画の妨げになるようなデマを流せばどうナるか……わかっているだろうから、ネェ」

 言われずともわかっている。

 だからどうか、見間違いでないことを祈るばかりだった。

 一応、二日程度の調査を行った上での判断だったが、間違いでないとは言い切れない。

「自立破壊人形からホムンクルスを作っても良し。自立破壊人形を利用しても良し。もし成功したならば、確かに。良い戦闘用ホムンクルスとなってくれるカモしれないネェ」

「しかし言っておいてなんだが、あれは世界で最初に災禍として認定された者にして、世界で三番目に古いとされる災いだ。それをどう倒す」

「私の作ったホムンクルスが、古人形程度に負けルとで、モ?」


  ▼  ▼  ▼  ▼  ▼


 赤髪と精霊族の王子、エニック・フェアリもまた、共に食事を取っていた。

 俗にエルフと呼ばれる精霊族の侍女が、料理の盛られた皿を運んできて、空の皿と入れ替える。精霊族の晩餐となると、少量の料理が次々と運ばれてくるコース料理が基本だ。

 前菜オードブルには木の実や野菜、川の海老などを使ったゼリー寄せ。

 スープは、七日七晩もの間、野菜や果実を煮込んだやや甘めのポタージュにパンを添えて。

 メイン料理には、山で捕獲した鹿のモンスターをワインを染み込ませて毒抜きし、一晩寝かせてから焼いた骨付きステーキ。

 デザートは、森の木の実を収穫した直後に冷凍して作った、天然のシャーベット。

 フルコースではないものの、恋人の前で緊張する余り、食欲が半減している赤髪には多いくらいだった。

 何よりすべてが手の凝った、自分には出来ない料理ばかりで、萎縮してしまう。

 戦い、狩りに明け暮れる毎日だった自分に家事など出来るはずもなく、他のホムンクルスに任せていたため、自分には一切出来ないことが悔しく、恥ずかしくもあった。

 王子であるエニックには一流と言ってもいい料理人や、家事手伝いをこなす侍女がたくさんいるが、もしも妻になれるなら、自分がしてあげたいと思う事だってある。

 赤髪と言えど、その気持ちに例外はない。

「どうなされました、赤髪殿。何か、苦手なものでもありましたでしょうか」

「いいえ、どれもおいしかったわ。ありがとう、ごちそうさま」

 赤髪が微笑むと、エニックの後ろで控えていたコックが帽子を脱ぎ、嬉しそうに会釈して出て行く。故に、赤髪が見せる寂し気な表情を見たのは、エニックだけだった。

「私、こんな素敵な料理とか作れないから……ちょっと、羨んじゃったの」

「……申し訳ない。私の我儘が、此度はあなたを傷付けたようだ」

「そんなことないわ! 私が勝手に傷付いて、勝手に思い込んでるだけよ! あなたとこうして再会して、ご飯まで一緒に食べれてるのが、私にとってどれだけ幸せ――だ、と……」

「……ありがとう、赤髪殿」

 炎のホムンクルスが、耳まで真っ赤に染まって火照る。

 エニックと久し振りに会えたことも、食事まで出来たことも幸せなのは嘘ではない。

 嘘ではないからこそ、照れ恥ずかしくて言えなかったのに、勢いで言ってしまったからより恥ずかしく感じてしまって、顔の火照り具合は凄まじかった。

「少し落ち着いたら、散歩でも如何ですか。食前酒の酔いが、少しは冷めるかと」

「そ、そうね……そうするわ」

 真っ赤になった顔を酒のせいにして、散歩に連れ出してくれる彼の優しさに助けられる。

 精霊の侍女らが食器をすべて片付けてくれるのを待ってから、二人で外へ繰り出す。

 王子であるエニックを見た数体の精霊が声を掛けようとしたが、赤髪と一緒にいるのを見て察し、声を掛けるのを躊躇った。

「あんたって人気者よね」

「そうなのでしょうか」

「あの外道に付き合って、いろんな国を見て来たけれど、王族のプライベートに踏み入ろうとせず、見守ろうなんてする国はないわ。みんなズケズケと、土足で踏み込んで来るのが普通だもの。本当に愛されているからこそ、今の静寂があるのよ」

「では、貴方も愛されているという事だな」

「は? 何を言っているの? 私が愛されてるって」

「だってそうでしょう。その理屈なら、国民はあなたのことを私の番として認めていることになる。邪魔をしないように身を潜めていることこそ、その証ではありませんか」

「あんたを案じればこそよ」

「……では、皆には私のため、暫し二人きりにして頂こう。赤髪殿、お付き合い願えますか」

「……えぇ」

 差し出された手。

 炎のホムンクルスよりも熱く、温かな手。

 大きくて硬くて、されど誰よりも優しい手に引かれ、近くの川辺へ。

 妖精の少女達が草笛を吹き、呼び寄せていたレンゴク・ホタルが二人が来たことで一斉に飛び立ち、星の無い空に煌々と燃える星の海が広がった。

 妖精の少女達はホタルと共に飛び立って、二人だけを残す。

「すみません。少し勇気が出なかったものですから、このような場を設けさせて頂きました。お気に召して頂けたなら、幸いです」

「お気に召すも何も。私にこんなことをしてくれるのは、あんただけよ」

 だから、大好きなの。

 その言葉は、胸に秘める。

 自分はホムンクルス。使い捨ての人形。外道魔術師の計画のため作られた、生きる戦闘兵器。

 使えなくなれば、廃棄処分されるのが普通。意思を持って自分で判断し、より多くの命を狩れる利点を求められ、生まれ、生きていながら、生物として扱われない生身の傀儡ゴーレム

 自分が常日頃向かっている戦場は、生死の境を彷徨うような危険な場所ばかり。

 死ぬだけならまだしも、喰われて餌になったり、傀儡以下の生ける屍リビングデッドとなって恥を晒したりする可能性もある。

 死よりも辛い結末さえあり得る戦いに、身を投じ続ける日々。

 それに疑問を抱く者はなく、可哀想などと悲観的な言葉を投げかけるばかりで、何もしない者達の視線が振り返った瞬間に避けて行く。

 だから自分を愛し、サプライズまでしてくれる目の前の精霊の事が、大好きだった。

 けれど、その思いは秘める。

 ホムンクルスは、いつ死んでもおかしくなく、いつ壊れてもおかしくない。そんな、生きる兵器であり、消耗品なのだから。

「赤髪殿」

 だから――私には、価値が高過ぎる。

 値段の話ではない。希少価値の話でもない。

 だが、消耗品のホムンクルスの指に嵌めるには、彼が差し出した指輪の価値は高過ぎた。

 価格などわからないし、形も不格好の、見るからに素人の手で作られた石の嵌った指輪。

 きっと値段なんて、プロが出したら作り手の苦労に比例しない額になるに決まってる。希少価値にしても、多くの採掘場を持つ富豪からすれば、捨ててしまうようなものかもしれない。

 石なんて詳しくないからわからないけれど、総合的に見れば、面白いだなんて思われない代物なのかもしれない。

 けれど、赤髪のホムンクルスには価値が高過ぎる。

 どれだけ高額が約束された高級な石より、どれだけ希少とされた石よりずっと、ずっと綺麗な、文字通りの宝石が、空を舞うレンゴクホタルの輝きを受けて、光り輝いていた。

「私と、約束して頂けますか。あなたは私の、私はあなたのつがいになる約束を」

「……私は、ホムンクルスよ。いつ見限られるか、見限られずともどこで死ぬか、壊れるか、わからないのよ?」

「それは、生を受けた者ならば避けて通れぬ道です。私とて、明日もわからぬ身。だから同じです。特別気に掛ける必要はありません」

「私は、戦うために作られたホムンクルスよ? 私は、それだけのために生まれて、使い捨てられるだけの存在よ? なのに、婚約だなんて……絶対、後悔するわ」

「私は、あなたを愛した日から今日まで、あなたを愛したことを後悔したことなどありません。だから変わらないのです。これから、怒りはあるかもしれない。悲しみもあるかもしれない。けれど絶対に後悔はしない。後悔だけは、することがないのです」

「するわよ……私は、戦うためだけに作られて、生まれたのよ? 子供を産む機能がちゃんとあるかもわからないし、育てる事だって……私、家事も何も出来ない、のに……」

「私だって同じです。私だって何も出来ません。だから学びましょう。一緒に、色々と出来るようになっていけばいいだけです」

「でも、だって、私は、私は……」

 零れ落ちる存在に気付いて、慌てて拭う。

 こんな情けない姿、恥ずかしくて姉妹には見せられない。

 だが、このときは泣いた。姉妹の影など気にも留めず、嬉しさを涙に変えて、これまでにないくらいに泣きじゃくった。

 泣きじゃくるまま、彼に抱き寄せられ、抱き締められた。

「あなたは私が愛するに足る方です。私が一生を誓うに足る方です。ただのホムンクルスなどではないのです。私にとっては、一生をかけて護り続ける、愛すべきつがいなのです。ですから、どうか護らせてください。あなたと共に、いさせてください。私の方がずっと弱く、ずっと頼りないでしょうが、どうか……」

「あなたは、馬鹿だわ……ホムンクルスに。よりにもよって、戦闘に特化した、いつ死ぬかわからない女に恋するだなんて……苦しむのは、あなたの方かもしれないのよ?」

「あなたの事で苦しめるのなら、厭いません……」

「馬鹿だわ……本当に、馬鹿だわ。でも、だから私は、あなたが大好きなの」

 舞い踊るホタルの光の中、二人の男女は互いの愛を確かめ合い、抱き締め合った。

 力強く。互いの熱を確かめるかのように。

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