「不死鳥だって死ぬときは死ぬ」
リジョウ家の庭では、野菜を育てている。
曰く、曾祖母の趣味だった名残らしく、今も曾祖父が弟子に育てさせていると聞いた。
息子や孫に、野菜が育っていく過程を見て、どうだ、これが我が家の在り方だとよく言って聞かせてくれていたのを覚えている。
昔は、日光と水さえ与えてやれば逞しく生きて、
曾祖父は野菜だけを差して言ったのではない。野菜と、野菜が蔦を巻く支えを差して、言ったのだ。
日光と水と肥料と土と、他にもカルシウムだ何だと色々用意して貰って何とか伸びて、その先にある支えに
豊かな土壌を用意されてようやく芽が出て、伸ばした先にある柱やネットに我が身を委ねる形で絡みついて、成長できる。
要は仕える家がなければ、暗殺稼業なんてのはすぐさま枯れ果てる。
自分達はずっと餌を貰って、家を貰って、仕事を貰って、仕える家に依存して、寄生して生きる一族であることを自覚しなければならない。
代々同じ家に仕えて来たというのは、言ってしまえば寄生虫と同じ生き方だ。
響きがいいだけで、仕える家がなければ瞬く間に衰退していく家業なのだと、支えを失って、枯れている野菜を見て教えられた。
「なぁ、これが暗器って奴か? 毒とか塗ってあるわけ?」
だから彼女を喪ったとき、モモシキ・リジョウは枯れたも同然だった。
「お嬢様が何度注意しても持ち出すので、塗ってません」
「ほぉん? 私のことわかってんじゃん。さすがモモ」
「まったく……何度注意すればわかって頂けるのでしょうか。暗殺者の部屋に勝手に出入りする令嬢など、あなた以外にいないでしょうね」
「いやいやぁ、世界は広いんだ。二、三人はいると思うぜ? ってかいるだろ。私だけとか、ちょっと寂しいぞ」
「何が寂しいものですか。このような賑やかな屋敷で、ましてや貴女様が一番賑やかだと言うのに」
「……そうだな! 私にはモモがいるものな! ってわけで、手合わせしてくれ、モモ!」
フィリクス・フォルデンバードの存在は太陽であり水であり、肥料であり、支えだった。
彼女もまた、病気も怪我も知らない健康優良な人間で、病死するとしてもずっと年老いて免疫機能が弱くなった後だと思っていた。
何せ
毒ナイフに触れ、侵された経験があっても構わず暗器に触れる。
暗殺者と体術で何度負かされても、次は勝つと挑んで来る。
そもそも暗殺者と術技で競おうなんて令嬢は、世界中のどこを探しても、彼女しかいなかっただろう。フィリクス・フォルデンバードという人間しか、いなかったはずだ。
少なくとも、モモシキはそう信じていた。
暗殺者ながら、不死鳥の如く幾度も蘇り、元気な姿を見せる彼女に魅せられてすらいた。
「なぁモモ。私と、子供を作る気はないか」
彼女はいつも驚くようなことをするし、驚くようなことを言うけれど、まだ一五にもならない歳でそんなことを言われた時ほど、驚かなかった日はあるまい。
一体いつからそんな風に思っていたのか。思わせるようなことをしただろうかと過去を巡ったものだった。
「それは、フォルデンバード家の総意で?」
「いや? 私個人の意見だ」
「……以前、見合いの話があったはずですが」
「まともな奴がいない。この私の事を可憐だの美しいだのと、思ってもないようなことを言う奴らばっかりだ。だから全員断った。あいつらよりおまえがいい」
「お父様にご相談されての判断、でしょうか」
「おまえは私の使いだぞ。わざわざ両親の許可を取る必要があると? そもそも私はこの家の次期当主で、おまえは暗殺一家の次期当主。誰が異論を挟むだろうか」
いや、普通に考えて挟むだろう。異論だらけだ。
確かに前例はある。前例こそあるが、当時と今とでは時代が違う。
何より、優れた暗殺者としての実績があるのならば文句もなかろうが、未だ暗殺の経験もない少年との婚姻など、認められるはずもあるまい。
それらがわからないほど、彼女の頭は悪くないはずだ。上の兄や姉を退けて、次期当主として選ばれるほどの知性の持ち主なのだから。
「随分と、お疲れのご様子で。少し落ち着いて考えられては如何でしょうか」
「今の私が、平静を欠いているように見えるのか?」
「いえ。むしろ自暴自棄になっているがために、酷く落ち着いているのかとさえ勘繰ってしまうほどです」
「なるほど。そう見えていたのか。まぁ確かに、これから私が話す計画は、そのように受け取られても仕方ないだろうが」
「計画?」
計画などと呼べる代物でもなかった。
奇策? そんな大層なものでもない。
聞いている時は、腹が立ったくらいだ。計画でもなければ奇策でもなく、賭けだとしても九分九厘失敗に終わるだろう、単なる自暴自棄としか聞こえなかった。
「やれるな? モモ。おまえは、私の自慢の暗殺者だ」
* * * * *
「へ?」
一体いつ、そんな流れになったのか、キキョウは理解出来ていなかった。
だが掲示板には堂々と自分から、エスタティード・オレンジに対する決闘申請が行われており、オレンジ側も学園側も受諾。破れば、重い処分さえ免れない誓いの印が双方押されていた。
「……これは、あなたの仕業?」
背後のモモシキに問うと、モモシキは呆れたとばかりに印鑑を抛った。反射的に受け取ると、赤い朱肉が手にベッタリとこびり付く。
「仕業も何も、あなたのご指示ですが。その印鑑を預けたので、本気だと思っていたのですが……まさか、冗談だったとでも? 私を誰だと思っているのだというあの豪語は、虚勢だったのですか」
「そんなの――!」
言えない。言えるわけがない。
酔った勢いで言っただけで、本当は冗談だったのよ、だなんて。シニエライト家の名に傷を付けるような事だけは出来ない。
酔っている間だけ強気になって、素に戻れば臆して逃げるだなんて出来ない。
でも、だったらどうしろと言うのだ。自分より格上の先輩らを幾人同時に
「も、モモシキ! あんたがやりなさい! 代役としてあなたが――」
「私が? 何故でしょうか」
「何故って。決闘は本人の意向が了承すれば代役を立てられるでしょう? あなたは私のものなのだから、私の代わりに――!」
「キキョウ・シニエライト様。まさかあなたが、そこまで深く酔っていたとは思いませんでした。まさかご自身の発言を、すべてお忘れになられていただなんて。思いもしませんでした」
「へ……?」
モモシキが取り出したそれを見たキキョウは、間抜けな返事を返すしかなかった。
それは契約書だ。ただし、契約を解除する契約書。それに、ベッタリと朱肉のついたシニエライト家の実印が押され、受諾されていた。
「あなた様が直々に私を解雇なさったのです。本来ならば私があなたの前に出て来ることさえ許されないのですが、印鑑を返却せねばなりませんでしたので、こうして出向いた次第。無作法をお許しください」
「解雇……? 私、が……?」
もちろん嘘だ。
モモシキが秘密裏に、彼女から預かっていた実印を契約書に押しただけである。
が、泥酔し過ぎて記憶が曖昧な彼女には、そう言い切れるだけの根拠もない。仮に嘘だとしても、契約書に印が押されている以上、契約は有効。覆す手段はない。
「な、何もそんな……酔った勢いで言ったことを、真に受けなく、ても……」
「真に受ける? シニエライト様。申し訳ございませんが、もはや部外者である私が言うのもおこがましいと存じながら言わせて頂ければ。酔った勢いだろうと耄碌した勢いだろうと、衝動的だろうと発作的だろうと、王族貴族の言葉には言葉以上の意味があります。それを理解されてらっしゃらないのなら、もう泥酔されるほどの飲酒は控えられた方がいいかと思います」
「で、でもそうね。そうするわ。ならもう一度雇ってあげましょう。今までの無礼を詫びるからまた私の下に――」
「残念ながら、あなたが二日酔いで部屋に閉じ籠っていた間に、声を掛けて下さった方がおりまして。私はその方に仕えることとなりました。すでに双家の間で話し合い済み。契約もされています。私はもう、あなたの物にはなれません」
「なんですって!? そんな! 私が部屋に籠ってたのなんてたった二日! その間に?! え?!」
「決闘の時間まであと三時間。ここで議論するよりは、彼女との戦いの対策を練る方が得策かと。この進言を、あなたへの最後の奉仕と致しましょう。今まで、お世話になりました」
「待ちなさいモモシキ! モモ! こら、モモ! お願いよモモ! ねぇ!? お金なら、いくら、でも……」
もはや返す言葉もなく、ヘタリと力なくその場に座り込む。
対策どころか対抗も抵抗も空しく負けるだけの、わかり切った決闘などしなければならないのが怖くて、どうすれば穏便に済むのか。どうすれば怪我もなく終わるのかそればかり考えて、もはやモモシキを取り戻すことに回せるだけの余裕は、彼女の思考回路の中には存在しなかった。
* * * * *
「私を殺せ、モモ」
自分がいなくなれば、必然的に無能な兄か姉が継ぐことになるだろう。
そうなれば、フォルデンバード家はほぼ確実に家は没落する。
没落した後で気付くか、する直前で気付くかわからないが、とにかく家の人間は危機感を覚えれば、【外道】の魔術師に自分のホムンクルスの作成を頼むはずだ。
尤も、それだけの財産があるかもわからないし、そもそも頼むかどうかもわからない。
むしろ、死んでそのままの可能性が高い。
「だがそれなら、私は何の迷いもなく障害もなく、おまえの嫁になれる。おまえとの子供を産める。貴族だの何だのという
「ハイリスク・ハイリターンとでも言うつもりですか。求めるリターンと、そのために負わなければならないリスクが釣り合ってない。そこまでして、私のところに来る理由も――」
「私がおまえを想っているからだ。私がおまえに好意を寄せ、愛し、おまえと共に在りたいと真に願うからこそ言うのだ。
またいつの間にくすねたのか。
部屋に隠したはずの毒ナイフを取り出して、こちらに向けて来る。
フィリクスの目に、迷いは見られなかった。
「おまえなら知っているだろう? 即効性のある毒ではない。遅延発動型の……それこそ、病気で衰弱したかのように思わせて殺す。そんな毒を」
何故だ。
モモシキ・リジョウのどこに、そこまでさせるものがあった。
「案ずるな。不死鳥だって死ぬときは死ぬ。が、死さえも生の循環として取り込み、目的を達する。それが私の生き方だ。だからおまえも、苦しむ必要はない。おまえは私を殺すが、その後、私と明るい未来を生きるのだからな!」
何故、どこに、あなたが死ぬ必要がある。
何故、あなたが死ななければならない――。
「それとも……おまえは――」
知っている。
この家がもう、兄と姉のせいで没落寸前であることも。
没落した後の食い
すべては、自分のために。
「おまえは、私の事が嫌いか?」
「……お慕い申し上げているからこそ、やめて、頂きたいと、思っている所存です」
「なら、良かった」
こうして、モモシキ・リジョウは雇い主であったフィリクス・フォルデンバードを暗殺した。
いつ成就するかもわからない。そもそも成就する見込みさえ薄い、賭けとして何とか成立している、ほぼほぼ敗北が決まった勝負を仕掛け、数年の時を経て、彼女は見事、勝利を治めて帰って来たのだった。
* * * * *
「オレンジ、そう言えばあんた決闘申し込まれてなかったっけ」
「……うん。よく、知らない人だった」
「よく受けたね、オレンジ」
「でも勝てば単位貰えるし、オレンジなら勝ちは確実。絶好の獲物じゃない」
「アザミも、サラッと怖いこと言うなぁ」
ふわり、とほのかな香りが鼻孔をくすぐる。
四人で順に振り返ると、オレンジよりも赤っぽい橙色の髪を揺らす女性が、堂々と廊下の中央を闊歩していた。皆、さも当然の如く退いていく。
だがオレンジだけは、どこか懐かしい臭いを感じていた。
懐かしいと言っても、そんな微笑ましい意味合いで聞こえないだろう。薬品の臭いだ。でもオレンジにとっては、その臭いが漂ってきたことが、何となく嬉しかった。
「誰だっけ、あの人?」
「さぁ……でも、凄い綺麗な人だったなぁ」
「制服は着てなかったけれど、転校でもしてくるのかしらね」
「……そう、かも、ね」
博士、また、誰かを幸せにしたんだ。きっと。
そう思うと、自然と笑みが零れた。
そのまま挑んだ決闘の結果は言うまでもなく、語るまでもない結果に終わった。
負けた相手が復活を果たすのか否かは、わからない。不死鳥だって死ぬときは死ぬ。が、それが不死鳥であるかは、実際に死んでみるまで、わからないものなのだ。
不死鳥は新たな翼を経て、
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