「この気持ちだけは圧し殺せなかった」

 よくある話だという。

 暗殺者の子供が、仕えている家の令嬢と恋に落ちることも、暗殺者が、暗殺対象に対して恋心を抱いてしまうことも。

 実際、曾祖父も当時仕えていた家の令嬢であった曾祖母と結婚したし、先代にも同じようなケースが度々あったらしい。

 父の代で仕える相手が変わり、今のシニエライト家になったわけだが、キキョウ嬢を相手にそうなる可能性はかなり薄い。

 口で負かすのは面白いものの、それ以上の面白みはないし、好意などさらさら皆無。

 結婚は愚か、交際に発展することさえあり得ないだろう。それこそ、向こうから権力による圧力を掛けて来られない限りは、仮に申し込まれても絶対断る。

 まぁ、向こうもお断りだと思うが。何であれ、暗殺者とは意外に愛だの恋だのと言った甘酸っぱい事情に、そう遠くない役職なのだと思う。

 殺すという一方的な行為ながら、暗殺者は、自他共に感情という概念と遠くない位置にある存在だ。

 それこそ老若男女問わず、種族さえ問わず、殺せと命じられれば殺す。生まれたばかりの赤子だろうと、植物状態にある老人だろうと、関係なく。

 故に暗殺者は、武器の使い方や死の理屈より前に、己の感情を抑え込み、圧し殺す術を覚える。

 他人より先に、自分の心を殺す術を会得する。

 それでも抑え切れず、圧し殺せず、暗殺対象に恋してしまう暗殺者は、暗殺者としても人としても失格者となる。

 自分の心を殺した人間が、普通の暮らしなど出来るはずもなく、足を洗ったところで、失った心を取り戻す術はない。

 故に廃れていくのだ。

 文明の発達に負けるのでもなく、魔術という別の術に負けるのでもなく、己が心を殺すから負ける。心と体、この両立があってこその人間だと言うのに。

 そのことに気付いたのが己が心を殺した後だと言うのだから、何とも皮肉な話だ。

 魔術の体得によって、暗殺一家の衰退をより遠い物にしようとしていたはずなのに、世界の広さを知り、自分がとても狭い世界で生きていたことを知った。

 結果、自分が自分自身の心を殺していることを知ったが――何も思わない。

 心が、死んでいるからだ。

「それで? 私に何か言うことがあるのではないの? モモ」

「無理ですね、あれを秘密裏に始末するのは」

「よく言えば、潔い。悪く言えば、諦めが早過ぎる。ちゃんとした説明の出来る理由はあるのでしょうね?」

 酒臭い。かなりアルコール度数の高い酒をすでに二桁。明らかなヤケ酒だ。

 かなり不機嫌の様子だが、これに関しては完全にキキョウ自身の問題。

 ここ最近の彼女の成績が低迷し、逆に例のオレンジと呼ばれる少女が注目を浴びる成績を取っていることは、少女には何の咎もない。

 キキョウ・シニエライト自身の実力の問題であり、努力の欠如が明白化しているからこその問題であり、故に今夜のヤケ酒は完全に彼女の自業自得である。

「ハッキリ申し上げて、あれは怪物と揶揄されても仕方ない魔力の塊です。意思を持った魔術、と言ってもいい。指先から放った最下級魔術でさえ、上級魔術に匹敵さえする威力。あれを秘密裏に暗殺しようとしても、一度反撃を許した時点で露見します」

「じゃあバレないうちに殺せばいいじゃないの!」

 空のグラスを投げられる。が、モモシキは見ることもなく受け止め、机の上に置いた。

「お言葉ですが、言動とは言うだけなら易く、言った通りに動くことこそ難しいもの。あれに気付かれぬよう掻くのは、寝首でも難しいでしょう」

「寝ていれば探知結界なんて張られてないし、設置型としても突破は可能でしょう?!」

「確かに設置型の探知結界なら、時間を掛ければ解除は出来るでしょう。しかし掛けた時間の分だけ、彼女に気付かれない時間が減り、暗殺には至れません。それでは元も子もない」

「そんな! あなたは暗殺一家の生まれ! 結界魔術や魔術式の罠なら、お手の物でしょう?!」

 痛いところを突いて来る。しかし無理なものは無理だと言わなければならない。

 そうした自尊心から可能不可能の判定を誤らないよう、暗殺者は自分の心を殺すのだ。

「残念ながら。今、彼女を護る結界は学園の教師が直々に施した物。解除に時間が掛かるのは必至。むしろ掛からぬ程の才能が欲しいと、私も歯噛みしている次第ですよ」

「学園直々に、護っていると言うの? あの子を」

「えぇ。ただし正確には、という状況ですが」

「は? なりよそりぇえ」

 酒が回って来たか。

 だが酩酊状態にあるとはいえ、言葉の意味が理解出来ないとは思っていなかった。

 もはや救いようがない。元々努力の欠如した人間だとは思っていたが、そこまで何もわからないお嬢様だとは思っていなかった。

 一時的な好奇心で魔術を学ぼうと学園にやって来て、最終的に金で卒業する典型的な王族貴族の形だ。それこそ今ここで、自分が殺されることなどまったく警戒していないだろう。

 そう、今ここで彼女を殺してしまえるのだ。それこそ、オレンジという少女を殺すよりも、ずっとずっと、ずっと簡単に。

 だがもう、そんな苛立ちもない。何せもう、心は殺してしまったのだから。

「学園には貴族や王族も通います。学内での暗殺も珍しくない。ですが今回は標的ターゲットが例外なのです。王族貴族でないことではなく、反撃一つで一室は軽く破壊してしまえる彼女の魔力が。暗殺に気付いた際の反撃で、学園そのものが崩壊する恐れさえあるのですから」

「はっ! 世界中から有数の魔術師が集い、教師として教壇に立つ国立魔導学園が、あんな小娘一人に臆しているとでも?!」

「臆しているのです。故に、秘密裏での処理は無理です。今までのように彼女に敵意を持つ生徒をけしかけたところで、結果は変わらないでしょう。それこそあなたがまともにやり合っても、一切勝ち目がないと断言致します」

「ふざけないで!!! わらしらあんら……あんらやぅい……まぇるわえは……ないわ!!!」

 自分と敵の実力も測れない。

 プライドも高過ぎれば傲慢だ。王族だの貴族だの、周囲からチヤホヤされてきた一族はひと際強く持つ傾向にあるが、キキョウお嬢様も例に漏れず、相当傲慢に溢れた人だ。

 魔術師に限らず、才ある人は戦うより前から自分と相手の力量を計り、その差を知ると言うが、彼女は相手の化け物じみた強さを象徴するような噂を聞いても、未だ自分の方が上にあると考えている様子。

 救いようがない。

 それでも一応、今の主人は目の前の酔っぱらい。それ相応の働きをして、報いなければならないのだから、気苦労は絶えないが――それもまた、心がまだあればの話だ。

 苦労する心がないのだから、考えるのはどうすれば主により貢献できるか、だけである。

「では、決闘を申し込みましょう。あなたがそのお力で彼女を圧倒し、戦闘不能まで追い込んだところで毒矢を吹きます。死闘の果て、衰弱した彼女が成す術もなくそのまま亡くなってしまう――この形ならば、あなたの力を学内に証明出来る上、邪魔者も排除出来ましょう。今後、あなたを暗殺しようなどと企む者もなくなるはず」

「いいわ! それれいぃまひょう!」

「では明日、申請して参ります。ここに印を頂けますか」

「いいわ! 好きに持っれいひなはい!」

 酒に溺れ、もはや冷静な判断力を大きく欠如し、勝てるはずのない勝負を勝てると豪語して受ける。貴族は愚か、もはや魔術師どころか人として恥ずかしい言動をしていることに気付けず、恥ずかしい言動をしていたことに気付くのは、ずっと後になってからだろう。

 そんな主を恥ずかしいと思う心も殺した。だから何も感じないし、何も思わない。

 だが――こうして心を殺したのは、あんな恥ずかしい主のためではなかったのに。そう思わない瞬間がないと言うと、嘘になる。

 しかしそんなことを言ったところで、状況は何も変わらない。仕える主が変わることもなければ、欲しい言葉を掛けて貰えることさえない。

 モモシキにとって、金銭よりも褒章よりも何よりの報酬だった、主の声を聞くことは――

「なんだ。つまらない顔をしているな、モモ」

 世界には、魔術という神秘が存在する。

 そして今いるここは、魔術を学ぶための学園だ。

 故にいくつもの神秘を重ねれば、奇跡と呼ぶに相応しい事象の再現と体現、具現が出来るかもしれない。

 だとしても諦めていた。何より、願ってなどいけなかった。

 だってそうだろう。

 命を絶やす暗殺者が、人の蘇生を願うなどと。ましてや、それが叶うなど思うはずもなく――

「私が相手をしてやろうか? うん?」

 だが出来ることなら、病なんかで死んで欲しくなかったというこの気持ちだけは、圧し殺せなかった。

 故に目の前に現れた女性ひとの存在を両目が補足した瞬間に。

「ま。そういうわけで不死鳥のごとく蘇ったぜ! モモ!」

 殺したはずの心が、再び鼓動を打った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る