漂白観念

 凍える雪国の王城で、オレンジは薪をくべられて燃える暖炉の前で小説を読みながら、この国の文字を覚えていた。すぐ側で、博士が寝息を立てている。

 いつもならすぐさま施設に戻ってホムンクルスの作成に入るのに、王城に入り浸るなどとても珍しい。余程疲れているのか、それともやる気が起きないのか。

「まったく、脅迫観念もここまで来ると笑えないネェ」

「きょうは、く……かんねん?」

 オレンジが言葉の意味を理解し切れず首を傾げる。

 最近はオレンジも勉強を重ねていたので、言葉の意味に躓くのも随分と久し振りだった。故に久し振りに見た。世界の半分もまだ知らない、無垢な少女の顔色を。

「こうしなければならない、あぁしなければならないと自分勝手に思い込むことを言うのだヨ。おまえにはまだ、縁遠い話だろうネェ」

「ま、毎日お掃除しなきゃとか……ご飯作らないと、とか……です、か?」

 間違っていることはなんとなくわかっているのだろう。

 声音に自信がない。おそるおそる、こういうことですかと問いかけるように並べてく。

 肯定にしろ否定にしろ、何か反応させなければいけない雰囲気にしてしまったことに気付いて少女がオロオロし始めるので、博士はなんだか変に安堵する。

 彼女は未だ無垢なまま、何も知らないままのようだ。これだけ世界の闇の部分ばかり見せつけられて無垢なまま、というのも異質な話ではあるが。

「ソレは、単に生活習慣の中で染み付いた行動原理だろう。脅迫観念というのは……そうだネェ。衣食住と言った、生きる上では必要がないことであるにも関わらず、しなければならない特定行動ができなかったときに起こす精神的発作のことを言う」

(博士、どんどん難しい感じになってるよ……)

 自分には説明できないのであまり関わらないようにしていた青髪は、これでわかるだろと言わんとしている博士を見て思う。

 脅迫観念の説明は確かに難しいだろうけれど、それにしたってもう少し簡潔な言い回しはないものだろうかと思うのだが、それを言ったら「じゃあ説明してみナ」と言われそうなので入り込めなかった。

 結局オレンジは理解できておらず、博士はマスクの下で大口を開けてあくびして言葉を選ぶ。

「例えばダ。青髪は毎日夜九時になると食糧庫に忍び込んで甘味をつまみ食いしに行く」

「何で知ってるの――?!」

 二人の視線が痛い。

 オレンジはまったく知らなかった様子だが、博士はやはりおまえかと怒りの眼光で睨んでいる。後々の鉄拳制裁が確定し、青髪は顔色が真っ青に染まった。

「だがある日、いつもの時間に忍び込んでも菓子が見つからズ、危うく私に見つかりそうになって断念せざるを得なくなル。一日二日なら我慢できるだろう。だがそれがずっと続いたとき、青髪の中で菓子を断たれたことに不安が生まれる」

「それが、脅迫観念……?」

「こんなもの、優しい例えだけどネ。要は不安、不快感から生まれる感情の一種サ。だが、青髪のそれは菓子一つで治まる子供の駄々。あの王女が囚われているのは、もっと深い怨念みたいなドロドロしたものだヨ。まったく、女と言うのは怖い生き物だネ」


 ▼  ▼  ▼  ▼  ▼


 美しくあらねば。美しくあらねば。

 私は美しくあらねばならない。でなければ、あの人を失ってしまう。私の下からいなくなってしまう。ダメ、そんなのダメ。でなければ――

「あらお姉様。今日もご機嫌麗しゅう?」

「麗しくないことは、知っているはずです。わざわざ何の用ですか? また、私を卑下しに?」

「イヤですお姉様。私がいつ卑下したと仰るのですか? 事故に遭われてからというもの、被害妄想が酷いのですから」

 ならばその目はなんだと、王女は妹を責めたかった。

 あのときは心配して泣きついてくれてさえいた可愛い妹だったのに、今思えばあの姿さえも演じていたのかとさえ思う。それほどまでに今、自分を見下ろす妹の目が嘲笑で歪んで見えるのは、決して自分の被害妄想ではないと信じたい。

 ただ普段妹が社交の場で殿方に見せている笑顔を見ると、猫を被っているように思えて仕方ないのだ。現在進行形で今、自分を見下ろしている目を見てしまうと、どうしても。

「お姉様、いい加減お外に出ては如何です? ずっとこんな暗い場所に籠っていては、気が変になってしまいます。というか、もうなりかけているご様子ですが」

「速やかに用件を述べなさい。私に魔術で敵わないと、知っているでしょう」

 部屋全体を冷気が覆う。ただでさえ寒い室内がさらに凍てつき、暖炉の火が縮こまって窓ガラスは真っ白に染まり水滴が凍る。

「そう魔力を荒立てないでくださいな。言われずとも、この国始まって以来の天才と勝負しようなどとは思いません。すぐさま凍らされてしまいますもの」

「それで、用件はなんです」

「……あのお方からお便りが来ましたわ。今度の週末、他国への公務の途中ここに立ち寄って、是非とも私達の顔が見たいと」

 妹は凍えて震えていた。だが王女は、妹の持って来た知らせに驚いて震える。妹を凍えさせているのは自分だと言うのに、妹が感じているはずのそれよりもずっと冷たく寒い悪寒が背筋を伝った。

「お姉様ならお判りでしょう? あのお方もそろそろ王より世継ぎを生むに相応しい妃を探すよう求められているはず。そしてわざわざこちらに来られると言うことは、私達のどちらかから選ぶおつもりなのかも」


「もしそうなら、この国始まって以来の天才と呼ばれたお姉様が第一候補でしょうね。私ではとてもとても、敵う気が致しません。ですが、それもお姉様がこの部屋から出られれば、というのが前提のお話しですけれどね」

 本当に、我が妹ながら厭味ったらしい。とても同じ母から生まれたとは思えない。どうしてそう、人の心を抉るような言葉ばかり思い浮かび、そのままに発言できるのか。

 妹はわかっているはずだ。わかっていて言っているのだ。自分を励ますような言葉で、出てくるなと命じている。出てこないよなと、確認に来たのだ。

 今の今まで姉と魔術の才能や立ち居振る舞いで比較され、足りぬと言われ続けた意趣返しのつもりか。積もり積もった恨みを晴らしているつもりなのか。

 いずれにせよ、妹は変わった。いや、表返っただけかもしれない。今まで裏に潜み、鬱積していた彼女の負の感情が、あの事件以来表に出ている気がする。

 魔術の才を含めたあらゆる部分で比較され、劣っていると言われ続けた妹は、あの日以来すべてを持って行った。たった一つ、誰にでもわかる明確かつ明白な利点を得たがために。

 姉が失ったために、彼女は反旗を翻した。彼女が劣っているなど思ったことはなかったのに。それこそ、彼女が嫉妬を爆発させるそのときまでは。

「なんなら、私が代わって差し上げましょうか? 私達以外には誰も、お姉様のことなど知りません。だから気付きませんよ――私達、そっくりじゃないですか」

 そりゃそうだ。だって

 それも一卵性双生児だ。瓜二つなのは当然である。しかしだからといって、自分が成り代わろうと考える。妹にとってどれだけ姉たる自分は憎く、疎ましい存在だったのか測りかねる。

 もはやこの城この国、そして妹自身の中から自分の存在を消してしまおうとしているのかもしれない。そうしろと、そうしなければ自分が死んでしまうとばかりに突き動かされている感覚に、一種の強迫観念じみたものを感じて怖かった。

 彼女にとって、自分はそれだけ邪魔な者だということか。自分と同じ白髪を揺らす妹の存在が、まるで白血球に見えてきた。姉という細菌を漂白し、消し去ってしまおうと――消し去らねばならないという脅迫観念、いや漂白観念に支配された憐れな妹。

 最初こそ悲しくさえあったが、今となってはもう同情すらできない。

 同じ顔、同じ容姿で同じ母から生まれて血を分けた双子の姉妹だとしても、向こうがこちらを敵を認識している以上、こちらも味方だとは思えない。

 だからこそ、密かに外道の魔術師とコンタクトを取り、着々と準備を進めてきたというのに、何故――

「まぁお姉様、顔が真っ青ですわ? お加減が悪いのね? 水でも持って来ましょう。だから、魔力を抑えてくださいませんか? 天才なら、できますでしょう?」

 どうして。

 私はどうして、こうなってしまったのだろう。

 王女は部屋を凍えらせていた魔力を抑え、左手に集める。妹がさっさと部屋を出ていくと、もう涙を流すことも叶わなくなった開きっぱなしの目を覆うように隠し、火傷を負った醜い反面を集束させた魔力にて生じた冷気で冷やす。

「またそうやって、醜い部分を覆い隠そうとするの?」

「私は、何度でも諦めません。妹に、あの子にあのお方の下へ行かせてはならないのです。あなた達だってわかっているでしょう。仮にも

 今の今まで、一体どこに隠れていたのだろうか。少なくとも、妹は気配すら察することができなかったようだ。この狭く暗い部屋に、姉と――延いては自分と同じ顔がこれだけ集まっていたというのに。

 確かに魔術の才は、妹の方が劣るらしいという実証ができた。できたところで、なんの面白みの欠片もないし、この胸が空くことすらないが。

「そうですね。妹にあのお方を近付けてはなりません」

「わかっています。重々、わかっています」

「でも仕方ないではないですか。だって私達」

「そう、私達はまだ――」

「「「「「あなたには遠く及ばないのだから」」」」」

 リレーして、最後には皆で着地する。いつ示し合わせたのかわからないくらい気持ちいい、いや、気持ちの悪い会話だ。吐き気がする。我ながら、正気の沙汰とは思えない。

 何故こんなことになった。何故こんなにも蒙昧した。魔術の天才、氷の女王の名が泣くぞ。

 ただでさえ同じ顔が二つ入るというのに、この狭く仄暗い部屋の中に自分と同じ顔が六人もいるのだから、狂気すら感じる。

 無論、狂気は我が身の中に感じているのだが、自分が今目の前にいるからつい、彼女達の内側からも感じてしまう。

 一体、いつから間違えた。

 一体、どこから――。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る