「無謀な美しさを求める姿こそ醜態」

 建国以来の天才魔術師、ホワイト・コールブラッド。氷の王女と謳われる彼女の姿を国民が最後に確認したのは、他国の魔術学校に通うため馬車に乗り込んだときだった。

 それが約一五年ほど前の話なので、当時一二歳の彼女はもう二七と成人の女性になっているはずだが、誰もその姿を見たことがなかった。

 一時期死亡説すら流れたが、今となっては誰も気に留めるだけの気力も湧かない。自国の問題であるにも関わらず、まったくの他人事として頭の隅の隅の、もう一生開けないだろう戸棚の奥へと仕舞われてしまったのだった。

 だというのに、国民は今彼女の存在を誰もが思い出した。一瞬とはいえ、誰もが思い出した。建国以来初めてかもしれない大行列の向かう城には、そういえば彼女がいたはずだと。

「はっはっはっはっは! さぁ食え食え! 飯は生き物に欠かせないエネルギーだからな、ホムンクルスとて遠慮するな! たぁんと食え!」

「はい! いただきます!」

「おまえはいい加減大人になれ、エースコック。おまえが振る舞ってるわけでもないのに豪そうにするんじゃないヨ。ホントにおまえは騒々しいネェ」

 世界各国の王族、貴族が集っての舞踏会。

 人々が語り、食い、踊る。煌びやかで温かくて豪奢で、香しい芳香と人々の賑わいとが大広間を満たしていて、外の国民の静けさに比べれば、余程この空間の方が人々の命が行き交う国らしく見えた。

 博士はワインで喉を潤しながら、死んだように静かな外を見て思う。他国の王が同情してあれこれ準備を進めているとの話だったが、なるほど悲惨だ。

 今まで水害や干ばつで住む土地を奪われ、生きる術を奪われ、滅びた国をいくつも見てきた。だがこの国は、死んでも尚殺され続けている。

 あくる日もあくる日も止むことなく振り積もり、溶けながらも毎日同じ高さの雪に足が沈んでいく感覚は常時鉛を着せられているのと変わらないだろう。何をするにも体が重く、無限に続く億劫はやがて怠惰を生み、さらに無限に続く怠惰は人を動かす原動力たる心を壊す。

 無限にして無間の雪の牢獄。それがこの国だ。

 凍える冷気を与え、無限に音を吸い込む雪の存在は、国民にとって鉄檻の格子ごうしと違わないだろう。一生無くなることのない雪の牢国ろうごく

 戦士だった頃の記憶を失ったあの小説家なら、この国の有様をどう書くだろうか。

「……どうしたネ?」

 いつの間にか自分と同じ窓から外を眺めていたオレンジに気付く。彼女の瞳には、この灰色の光景がどう映っているのだろうか。表情からは読み取れない。

 が「まるで、私みたいです」と呟いたとき、顔には現れない感情が声音に籠っていた。世界のことをまだ半分も知らない少女の書く文章の冒頭は、そこから始まるらしい。

「落ち込んだかネ?」

「いえ、そんなことは……」

「だが、何かしら思ったからこそ出た言葉だったのだろうネ。自然に出たなら尚更、その言葉を無視しちゃいけないヨ。おまえがこの光景と自身を重ねて見てしまったことを、忘れてはならない。だから考えナ。おまえが重ねたこれを心象として、どうやったらこの心象風景が変わるのか。まぁ、変えたいと思うのならの話だがネェ」

 彼女がこの国と自身をどのように重ねたのかはわからないし、博士にそこまでの興味はない。

 だがもしも静けさと寂しさから自分には何もないと思ったのなら、掻き集めればいい。自分の好きなもの、好きなこと、とにかくなんでもいいから、自分の好きを見つけて満たせばいい。足りないのなら、足りるまで探し続ければいい。

 もしも部屋に籠り切って腐ってる人々の姿を想像して自分は閉鎖的だと思うのなら外に出ればいいし、いきなりが無理ならまずはきっかけを見つけるところから始めればいい。

 もしも音も人々の生気も吸い込んでしまう雪の冷徹さを嘆き、感情のない自分と重ねたのならこれからは人に感情を持って接するように努力すればいいし、わからないのならまずは自分自身と対話するところから始めればいい。

 簡単なことだ。至極簡単。これ以上なく、自身の心象を美化することは誰にだってできる。

 が、自分自身そのものを美化することはこの上なく難しい。

 何せ自分を美化するということはまず、わけで、自分を美化したいと思う人間ほど、それを嫌がる。

 欲求はすなわち足りないものを補いたいという本能だ。

 食欲は空腹を訴えるために感じるものであり、睡眠欲は疲れた体を休ませたい思いから生じるものであり、物欲は自分の生活を彩りたいという衝動から生じるものだ。

 が、そこに色欲を混ぜ込むと人は途端に気色悪いと吐き捨てる。

 美しい人になりたい。人々から美しい存在と思われたいと思うのは、延いては同じくらい美しい相手と番になりたいという色欲から派生したものであり、むしろ好きな人に愛されたいという欲求だ。決して汚らわしいことではない。

 だが何故か、人は誰かに好かれようと努力する姿を恥ずかしがる傾向を持つようになった。いつからそうなったのかは知らないが、人は思いを秘めることに美徳を感じ、秘めた思いを密かに伝えることに特別なものを感じるらしい。

 まったく、どうしてそんなまどろこしくて面倒な方向に、人は美徳を感じるようになってしまったのか。

 それこそ、敵国の貴族同士の報われぬ恋が戦争を止めたなどという愛の貴さを謳った物語に感銘を受けたのかもしれないし、自分の思いを告げたところで拒絶される苦しさを知って臆病になった人が、自分の子供や孫にも言い聞かせていった結果なのかもしれないが、博士からしてみれば秘めた思いなど、碌な類のものではない。

 秘めた思いと聞けば、愛とか恋とかを思い起こす人が多いだろう。

 しかし実際に人が秘めているものといえば嫉妬や憤慨。殺意など、罪へと繋がるものが多く、故に人は秘めることで己の行動にブレーキをかける。ただしそれらは自分にしろ相手にしろ、愛あればこそ生じる感情で、人はそこに揚げ足を取る形で美徳としているのだ。

 人は、アヴァロン・シュタインという魔術師を【外道】と呼ぶ。称号ではなく、真に人の道を外れた者を差す意味合いで。

 確かに、多くの人を殺し人の生と死を弄ぶような真似をする自分は、人々にとって外道と呼ばれるだけの言動をしていることだろう。口には出さずとも、この男の言動は醜いと胸の内に秘めていることだろう。

 だが、そうして醜いものを排斥した結果、後に残る者が一体なんなのか、彼らは考えたことなどあるまい。自分が美しいと認めたものばかりを残した結果、最後に残った汚物が自分自身であったなどと誰が想像できようか。

 自身の潔癖を確保、獲得するのに自分がどれだけ汚い手段を使い、どれだけ卑劣な言動をしてきたのかに気付いたとき、自分がそうまでして集めた美しい、に人は押し潰される。

 外道魔術師からしてみれば、そうして無謀な美しさを求める姿こそ醜態と呼ぶ。

 人は自分自身を完全無欠にはできないし、周囲を完璧に整えることもできないし、自分の人生を誰の異論も許さない美しいものへと完成させることはできない。

 そうと知りつつ、人間は常に美しさを追い求め続けるのだからまったくもって醜い生き物である――などと考えている外道魔術師も、その醜い生き物の一つに間違いなく含まれるのだが。

 さてこの少女は、己の醜さとどう向き合うのか。博士の興味は、ただ一つに絞られていた。

「皆様、本日は我らが両国の同盟記念パーティに来てくださって、誠にありがとうございます」

 両国の王による定番の挨拶から始まり、その後は同盟に同意する書面にサインする瞬間に皆で立ち会ったり、両国の王族に伝わる宝物の一つをお互いに預け合うなど、招いた客に自分達の結束が紛れもない事実であることの証人になってもらう形で進行して、再び舞踏会という名の記念祝宴が行われた。

 だがその頃、王族のみ入ることを許されるプライベートゾーンへの立ち入りを制限していた兵士二人が、通路の両脇の椅子に座らされて眠らされていた。

 主催する側も招かれた客も、その場にいた全員が同盟結束の儀式に集中していた中で、博士と青髪、オレンジはこっそりと抜け出し、二人の兵士を眠らせて王族の間へと侵入していた。

「よかったのですか? こんなことをなさって……」

「むしろ、こうしなければならないのだヨ。今回の依頼主は少々訳ありでネェ。両親にも誰にもこの仕事のことを伝えていないのだヨ。だからおまえも喋ってはいけないヨ、オレンジ。そしておまえも、ついて来るんじゃあないヨ。人の仕事を邪魔するつもりかネ」

「そう冷たいことを言うなって、アヴァロン。俺とおまえの仲だろう? 大丈夫、他言はしないって。俺の声はデカいが、口は堅い! それはおまえも知っているだろう?」

「その馬鹿デカい声で秘密事項も何も筒抜けになるんだヨ。わかったら喋るんじゃないヨ、まったく……」

「おぉ! 黙る黙る! ――!」

「一秒で破るんじゃないヨ。殴るヨ」

(って博士、もう殴ってるよ……)

【覇道】の魔術師は殴られた後頭部をさする。

 博士よりもずっと筋肉質で巨躯の男があっけなく殴られたことに少々驚いたオレンジだったが、青髪曰くこれは二人にとってじゃれ合いと同じらしい。二人はそれだけ親しい間柄、ということなのだろう。

 実際、殴られた豪傑もなんだか楽しそうだった。なんとなく、博士と話す【不動】の魔術師ことパルテナ・ウォーカーが楽しそうだった姿を思い出して重ねると、理解し切れていなくとも納得できた。

 そんなやり取りもしつつ四人で回廊を進み、長い螺旋階段を上っていく。上っているのは王城正門からは城の陰になって見えなかった塔。その最上階にある凍り付いた鉄扉が、真白の息を切らすオレンジを含む四人を出迎えた。

 博士は鉄扉をノックする。素手でやると鉄扉に肌が引っ付いてしまうくらいに冷たいので、博士は折り畳み式の杖を出して叩いた。

「どなた?」

「改めて問うのかネ? すでにこちらのメンツも数も、認識しているはずだがネェ」

「……貴方と青髪様はわかります。ですが、そちらの男性と女の子は存じ上げません。特に男性の方からは、とても強い魔力を感じられます。安全を保障できないのなら――」

「あぁ、よくわかるヨ。こいつは遠目で見ても化け物にしか見えないからネェ」

「おいおい! そんな言い方は――っとと……」

 うっかり大声が出そうになって、豪傑な冒険者は急ぎ口を閉ざす。

 特別恐れているようには見えなかったが痛みはあるらしく、なるだけ喰らいたくないと言った様子だ。故に少しだけ余裕を見せるような、茶化すような様子も見られた。

 博士は一瞥を配るだけで特別な反応はしなかったものの、舌打ちの音は隠した様子もなく大きく響いて聞こえてきた。

「わかった。ならこの怪力馬鹿にはこの門を見張らせル。私の知人の中でも、腕っぷしだけは保証できる奴だ。ここに繋がる道を呆気なく通した兵士よりは、頼りになるだろう」

「なんだ。俺は入れんのか」

「うるさいネェ。事情も聞かずに興味本位でついて来たんダ。これくらい役に立ち給えヨ……どうだろう。それで手を打ってくれないかネ。この小娘に関しては気にしないでいい。いてもいなくても何も変わらん空気みたいな存在ダ」

「……わかりました。では、三名のみお通しします」

 ちぇ、とつまらなそうに階段に座る大男の大きな背中を見下ろしてから、戸惑いながらも招いてくれた人の部屋に博士らと共に入る。

 凍てつく鉄扉は開くことなく、三人はすり抜けて部屋に入る。

 鉄扉は結界の類で、実際には鉄の冷たさも重さもまやかし。だが素人が触れれば幻影であるはずの凍てつく冷たさも鉄の重さも感じて痛む、実に高度な魔術結界が施されていた。

 博士がなんの反応も見せずに入るものだから凄みがいまいち伝わり辛かったが、相当に凄い魔術らしいことを後にオレンジは青髪から教えてもらった。昔一緒に来た赤髪が迂闊に触れて、手が凍ったと錯覚して燃やそうとしたらしい。確かにオレンジも見破れてなどおらず、博士についていったらいつの間にかすり抜けていたので驚いてしまった。

 そんな素晴らしくかつ高度な魔術結界を張った魔術師、氷の王女が出迎える。

 真白の中にところどころ混ざった水色の頭髪と、その下で輝く琥珀と蒼の異色の眼が印象に残る美しく整った顔立ちの女性で、ドレス姿でありながら腰に剣を差しているのが何故か違和感を生まない不思議な人だった。

 彼女こそこの国始まって以来の天才魔術師と謳われる氷の王女。だが博士からしてみれば、無謀かつ無駄な美へと執着し続ける醜態を晒す人間の一人でしかなかった。

「お待ちしておりました、魔術師様。大したもてなしもできぬ氷の檻ですが、何卒よろしくお願い致します」

「もてなしなら、先ほど盛大にやってもらったよ」

「あれは貴方様が仕組まれたのでしょう。人を隠すためなら人の中。私との密会を隠すため、わざと盛大に舞踏会などと開いてみせたのでは?」

「さぁネ」

 このときの博士の口角はオレンジからみれば上がって、つまりは笑っているように見えた。

 王女の言葉を肯定せず、しかし否定もしない口は笑みを湛えるだけで他に何も言わなかったが、貴族や王族をたぶらかす程度造作もないことサと、嘲笑しているように見えて仕方なかったのだった。

「さて、与太話も無駄話も惜しい。早速だが、仕事の話とさせて貰おうかネ」

「はい……ホムンクルスの製造を、お願いしたいのです」

 仕事内容はいつもと同じだ。オレンジは今まで、博士がその手以外の仕事をしているところなど見たことがない。

 だけどこのとき感じた違和感の出元は間違いなく博士であり、そう見えたのは先ほどまで喜々として人を喰ったように嘲り笑っていたとは思えないほどに寂し気で、なんとも虚ろに彼女を見つめる目だった。

 人の弱みを握るのも、そこに付け込んで自由に動かすのもなんら躊躇いもなく喜々としてやっていそうな男が、もう厭きれたと言わんばかりに彼女を見ていることが理解できぬままに話はどんどんと進んでいき、いつの間にか、オレンジは彼女の結界の出入り口である鉄扉を背にして立っていた。

「何をしてるのだネ。行くヨ」

 戸惑うまま、博士に急かされて鉄扉を背に階段を下る。

 そのときの博士の目もまた虚ろで、詰まらないものを見たと言わんばかりに落胆し切っていた。故に再び一瞥を配ったとき、オレンジには冷たき幻影の鉄扉が誰にも見せられず、また見せるわけにもいかない何か悍ましいものを閉じ込めるための蓋に見えて、仕方なかったのだった。

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