「鋼の意志を以て貴方を一生護り抜く」

 戦争というと、誰もが例の世界大戦を思い浮かべることだろう。二〇年もの間続いた戦争が、印象に残らないはずはない。

 だが当然の話だが、戦争とは大戦ばかりではない。内戦だって立派な戦争だ。南北を分けるにまで至った八年前の戦争を、アウリス・ヒッタヴァイネンは忘れない。

 元々は大国と呼ばれていた祖国には南北を隔てる壁が存在し、双方への行き来には通行許可証を発券してもらわねばならず、もはや他国扱いだ。

 二〇年も続いた大戦と比べると小さいながら、地図を変えるにまで至った戦争を、アウリスは一生忘れない。

 結果から言えば、戦争は北が勝った。北には港があったし、物資の補給が南よりもスムーズだったのが大きかった。

 南が例の世界大戦で導入した人造人間を兵士として雇って来たのなら、結果は間違いなく変わっていただろう。最もそれを見越して、北は南の貯蔵庫を最初に爆破したので、そんな余裕があるはずもなかっただろうが。

「アウリスさん、俺先に出るよ」

「あぁ、私もすぐに行く。シルヴァには、明日帰ると伝えておいてくれ」

「わかった」

 今の会話を聞いて、二人が親子だと思う人は少ないだろう。

 実際、血は繋がっていない。アウリスは彼――アルベルトが五歳のときに引き取り、養子にした。故に父親とは思われてないらしく、しかし慕ってくれてはいるようで、他人行儀ながらも誠実で優しい若者に育ってくれた。

 アウリスの実の娘であるシルヴァとも仲が良く、同年代ということもあって気が合うらしい。

 家族で仲が悪かったのは、離婚した妻くらいか。両親が決めた半強制的な結婚だったが、妻はこれ以上なく浮気性で毎晩他の男と出歩いていた。

 シルヴァが十歳のとき、他の男の子供を身籠ってしまったことをきっかけに離婚。今は連絡も取っておらず、完全に絶縁状態だが、娘もアルベルトも気に掛けていない。

 元々実の娘にすら薄情な人だったから、他の男との間に子供ができた時点で二人も母親である彼女のことをもはや見限っていたのだろう。シルヴァに関しては母と同じ黄色の髪が嫌だと言って、黒く染めているくらいだ。

 そんな娘に家事を任せ、アウリスは仕事場に赴く。徒歩で数分歩いたところにある停留所から、路面電車に海の方へ十分乗ったところにある学校が、彼の職場だ。

 魔導軍兵士養成専門学校、ミレディル。

 戦争による南北の分断以来、北が自国を南から、他国から護るために作った学校だ。そのため周囲の他の建物と比べると、潮風を一番受ける位置にありながら未だ真新しい色と匂いを感じられる。

 八年前の戦争にて勝利に貢献したと勲章を与えられたアウリスは、戦争終結後にこの学校の特別講師として招かれた。

 魔導軍兵士、つまりは魔術を操り戦う兵士を育てるための学校に、自分のような時代遅れの老兵――とはいってもまだ彼自身は四〇代で、軍人として老いているという意味合いでの話になる――が教えることなどできないと最初は断っていたのだが、基本的な戦い方を教えて欲しいんだと何度も頼まれ、熱意に負けた形で赴任した。

 養子のアルベルトも、この学校に生徒として通っている。

 それに関しては特に心配はしていないのだが、最近は心配の種が一つ。

「ヒッタヴァイネン大尉、本日も勤務ご苦労様でございます」

 心配、というのは不安を誘発させる言い方だったかもしれない。その手の意味合いではないことだけはハッキリさせておく。

 だが自分のことを先生でも教官でもなく、軍人としての階級で呼ぶ彼女は他の生徒と比べると明らかに異質で、扱いに困るというのが正直なところだ。

 体験入学生でありながら、現役軍人よりも軍人らしく美しい敬礼をしてみせる彼女には、どこにも隙が見当たらない。

「あぁ……悪いが、ここでは教官と呼んで欲しいんだ。生徒達に無駄な緊張感を与えたくない」

「承知しました。それで、本日の訓練課程は」

 自衛のためとはいえ、誰も軍人になんてなりたくはない。

 自分の生まれ育った国を、家族を護るためとはいえ、誰も死にたくはないし殺されたくはなし、ましてや殺したくもない。

 それこそヒッタヴァイネン家のような軍人の家系でなければ、このような学校に通いたいとも思わないだろう。

 軍人であることの唯一のメリットは、戦争が起きない限りは訓練と鍛錬だけであり、命を賭けて戦うために給料が他の仕事より断然いいことくらいか。

 今どきパワーハラスメントで訴えられない職など、軍人くらいだろう。資料や映像でしか戦争を知らない若者らには、肉体的にも精神的にも厳しい環境だ。

 そんな中で、彼女だけは活き活きとした目で自分を見上げていることに驚きもして、何より対応に困った。

 何せそこらの新人よりもずっと軍人らしく、とても生徒とは思えない。今は学校の制服を着て貰っているが、ここに来たときに着ていた軍服の方がずっと似合っていた。

 透き通るようなきめ細かい艶を以て輝く銀色の髪は、軍人という血に塗れた人間達の中で唯一、潔癖に過ぎるくらいに美しい。それはアウリスだけでなく、彼女を見た全員がそう思っていた。

 故に軍服をまといながらも、彼女に軍人というのは似つかわしくないとすら思った。

 彼女が何故軍人に憧れていて、何故軍人よりも軍人らしいのかわからないことが多い。彼女をしばらく預かってくれ給えと、一方的に押し付けてきた【外道】の魔術師に訊けばわかるかもしれないが、生憎とそんな勇気はなかった。

 そんなこんなで、ホムンクルスという特性を除いても軍人らしからぬ美しさで歩く彼女はすぐさま学校でも有名になった。

 元々女性自体少ない学校だ。性に関して興味深々の男子が多く、目の前に美しい女性が通りかかれば目で追わずにはいられない。

 ナンパ症の男はそれこそ声を掛けたが、彼女にまともに相手にされず玉砕された。

 ならば話術ではなく実力で彼女を魅了してやろうとした男は、あっけなく彼女の魔術によって返り討ちにされた。魔術抜きの体術戦闘においても、彼女は男よりもずっと細い体で的確に関節技を決めて落としていく。

 結果、その日だけで一六人が救護室に運ばれて、うち半数は半日以上眠ったままだった。

 故に彼女は一日で高値の花となり、さらに言えば鬼教官とされる実践訓練担当教官よりも彼らの心をプライドと共にへし折った。

 実力的にも、もはや彼女の方が学校の教官らよりずっと上だ。故に誰も御し切れず、体験入学している教室の担任ということもあって、アウリスは半ば強制的に彼女の面倒を見るよう上から言われていた。

 その縁もあって、息子のアルベルトは生徒で唯一彼女と接点を持つこととなったのだが、特別彼には、彼女に対しての下心はなかった。だからなのか、彼女も彼に対しての対応は真摯なものだった。

 ただし、真摯な対応だが。

「アルベルト様、ニンジンを残してはなりません。ここの食事は栄養バランスも考えて作られています。残してはせっかく考えて頂いたバランスを保てません」

「シルヴァみたいなことを言うな……君は」

 そう言いながらハンバーグの横に添えてあるニンジンを、嫌々口に入れる。ニンジンは北の国の名産で、煮ると凄く甘くなるのだが、その甘みが苦手という人も少なくなく、アルベルトもそうだった。

 そしてシルヴァがそれを作るといつも除けて、怒られるのである。

 学校ではその目もなかったのに、最近は銀髪の彼女がシルヴァの代わりに見張っていた。シルヴァとは違って、睨まれれば怯んでしまいそうになるくらいに鋭く光る眼光で。

「君には好き嫌いはないのか」

「軍人として、栄養補給は重要です。満足に食事を摂れないときだってあり得ます。選り好みなんて贅沢をする余裕は、戦場にはありません」

「……本当に、君は軍人だな。俺も養子とはいえ、由緒あるヒッタヴァイネン家の息子として軍人らしくあろうとしてきたけれど、君みたいに根っこから軍人にはまだなれてないよ」

 それは、決してアルベルトだけではない。

 アルベルトが養子であろうと実の息子であろうと、そう簡単になれる者ではないのだ。だから厳しい訓練と鍛錬を毎日積む必要があるし、肉体にも精神にも大きな負担を強いられる。

 ヒッタヴァイネン家を含め、由緒正しき軍人貴族の末裔らが総じて集い、軍人としての教育を施されているというのに、それでもまだ心の底からなれる者はほとんど、ごくわずかばかりにもいやしない。

 故に軍人を育成する学校の中なのに、彼女の存在は異質として浮き彫りになっている。

 それこそ彼女が歴戦の猛者の細胞を結集して作られたホムンクルスと言われても、なんら疑問も抱かずに受け入れ、信じてしまえるくらいに。

「根っこ……? 私を含め、ほとんどの種族に根っこはありません。それこそ、ニンジンでもあるまいし……」

「心の話だよ。心にキチンとした芯があることを言うんだ。花は地面に根を下ろして、小さくも咲き誇っているだろう。だから君も、軍人としての根がしっかりと張っているから、俺達よりずっと軍人らしくいられるのだと思うって言いたかったんだ」

「なるほど。申し訳ありません、アルベルト様。そのような詩的表現に関しての知識が浅く、意図を汲み取ることができませんでしたことをお詫び申し上げます」

「そ、そんな……わざわざ陳謝することじゃないよ」

 とにかく食堂で、自分達が注目を浴びているのが恥ずかしい。

 事情はなんであれ、女の子に頭を下げさせているなど軍人であるまえに男の恥だ。ヒッタヴァイネン家も関係なく、アルベルト個人の問題として女性に頭を下げさせるのが嫌だった。

 そりゃ男としてもまだまだ半人前であると思っているが、それでも意地はある。せめて女を泣かせること、頭を下げさせること、恥をかかせることだけはさせたくないと思っていた。

 ある意味では彼にもまた一本の根が張っていたわけだが、残念ながら彼がなろうとしている軍人という名の生き物には不要な紳士的精神ばかりで、彼の根は咲く環境を間違えていた。

「そ、そうだ。君の髪の色を見て思い出した。知っているかな、この土地には珍しい薔薇が咲くんだ」

「薔薇、ですか。それならば少しだけ知識があります。随分と前に病気に強い薔薇を育成するための品種改良を行っている中で、偶発的にできた薔薇があると」

「そう。君の髪と同じ……いや、君の美しい髪には劣るかもしれないけれど、それでもとても美しい銀色の薔薇だ。薔薇は花弁の色と本数で花言葉が変わる。赤は愛や情熱、黒は永遠の愛。そして数が多ければ多いほど、籠められている愛の深さも変わる」

「花にお詳しいのですね」

「アウリスさんがね、好きなんだ。いや、アウリスさんが……じゃないか。アウリスさんがよく話してくれる人が、銀色の薔薇をとても好いていたんだ。『鋼の意志を以て貴方を一生護り抜く』新たに与えられた花言葉と共に、ずっと自分を見守ってくれていたその人の話をするときのアウリスさんは……とても、とても楽しそうなんだ」

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