「当然のことを疑いなさい」

 ヒッタヴァイネン家と言えば、由緒ある軍人貴族の名家である。

 それは、国が南北に分かれるより前から変わらない。

 そんな名家の一人息子として生まれたアウリスは、幼少期よりいわゆる英才教育というものを受けて育ち、なんの苦労もなく大人になった――というわけはない。本人にしかわからぬ苦労が、少なからず存在した。

 貴族や王族はよく相応しい結婚相手でないと認められないとよく言うが、軍人にそれは適応しないだろうと思っていたのは高等学校に入るまでの話。

 ヒッタヴァイネン家の御子息と知った貴族の令嬢や淑女が、こちらが退屈する暇もなく言い寄って来たのである。

 軍人だろうが貴族は貴族。それも名家となれば、玉の輿を狙わない道理などない。

 財産にしろ名誉にしろ、何かしらの恩恵を求めて近付いて来る女は絶えず、昼寝する時間もない。そう言った人間らが通う学校だったので言い寄られているのは自分だけではなかったが、他の男が鼻の下を伸ばし、甘んじて受け入れて手当たり次第に抱いているのが信じられなかった。

 両親に訴えたところで、そんなのは当然だと言われる始末。一人っ子なので相談できる相手もなく、周囲が女を抱く中で、自分一人頭を抱えて悩む日々。

 もはや自分が異常なのか、周囲が異常なのかすらわからない。

 何より怖かったのは、皆がアウリスという人間ではなく、自分の付属品である財産や栄誉欲しさに言い寄ってきていることだった。

 その頃はもう亡くなっていた祖母が読み聞かせてくれた絵本では、王女様と王子様はお互いの良いところと悪いところを認め合い、否定しあい、結果、愛し合うことを決めて結婚した。

 王族にそんな恋が許されるのなら、貴族にだってそんな恋が許されるんじゃないかと夢見ていたが、結局は幼い頃に抱いた妄想に過ぎなかった。

 思えば昔から両親はよくパーティーを開いて、同じ軍人貴族の家柄の令嬢や同い年の少年を集めていた。幼少期から、他の家と自分達とを繋げる計画はされていたのだ。

 その事実を知って人付き合いが怖くなったアウリスを、人は臆病とさえ呼び、嘲り笑う。

 結果、アウリスは大学校に通うまでほとんど人付き合いをしなくなり、両親の策略は見事に失敗してしまったのである。

 だがその失敗がアウリスにとって人生の転機であり、出会いのきっかけでもあった。

「ここに見える花が、なんなのか答えられる人はいますか?」

 なんの花か、ではなく何物なのかと問われて始まった講義は、人で溢れかえっていた。

 もはや王族も貴族も関係なく、分野問わず優秀な生徒だけが入ることを許される一流の大学校には、古今東西あらゆる分野の専門家が集まっている。

 その中でも彼女の授業は最も人気なので、講義自体が定員制になって、アウリス自身取れたことが奇跡とさえ思っていたが、それでも多くの人達が集まって、彼女の一言一句に耳を傾け、一挙手一投足に目を向けて、言われることなく静寂を保ち、授業に聞き入っていた。

「これはとある研究者が、研究の途中で偶然見つけた技術を応用して作り出した銀色の花弁を持つ薔薇です。しかしそれ以外にこれといった特色もなく、特別な要素は何もない。では何故、この薔薇の価値は他の薔薇より高いのか、考えたことがありますか?」

 生徒達は皆、胸の中で回答を唱えるばかりで発言しようとはしない。

 神聖かつ荘厳な雰囲気をもまとう講義室の静寂を破る勇気は誰にもなく、また、誰も破ることを求めていなかった。

 実際、教鞭を振るう彼女も生徒一人一人に視線を向けて、己の答えを持っているか否かを無言で問いかけるだけにとどめていた。

「これを作った研究者は言いました。この薔薇自体にはなんの意味もなく、偶然の産物に人は意味を持たせたがる。意味を与えることに意味はなく、与えたことに意味を見出そうとする。意味を与えた自分を特別視して、優越感に浸ろうとする。花言葉なんて、まさにその典型的な例だと思わないかね、と」

 彼女はクスクスと笑いだす。神聖なる厳粛と静寂の下で行われていた講義は、彼女自身が雰囲気を壊してしまったが、誰も咎めることなどできない。

 何より彼女自身とても楽しそうで「おかしなことを言う人でしょう」と、まるで研究者と自分が友人であるかのように語り始めた。

「しかし私は確かに的を得ているかもと、思ってしまいました。この中には失礼ながら、王族や貴族といった方々もいるでしょう。そのような方々からしてみれば、平民の生まれである私や研究者は、傅くべきであってこうして教える立場になどありません。では私達があなた方に対して何故、教えるという行為が許されるのか――」


「――認められたからです」

 ごく自然なことで、当たり前のことで、当然のことで、必然で、しかしだからこそ見逃していた部分を、彼女はズバリ貫いた。

 誰もが感じていた違和感を、または誰もが見逃していた事実を根本的なところから彼女は語ったのだ。

 そう、本来ならこの図はおかしいのだ。

 王族や貴族、それこそ英才教育というものを体の芯まで叩きこまれて、女性に限って言っても足を綺麗に揃えて座るような淑女ばかりが揃っているこの教室で、生まれも育ちも決して恵まれてなどいなかった教師が何故教えるという権利を与えられているのか。

 それも一流の、世界のトップらが集まるような学校で、最も人気のある講義を何故彼女が受け持っているのか――そもそも何故、彼女の講義はそこまで人気なのか。

 あまりにも当然過ぎて、生徒の誰一人として疑ったことがなかった事実を彼女は言った。その理由も述べた。だというのに、誰もなんの文句もない。

 言ってしまえば手品の種明かしをされた状態なのに、なんだそんなことかと思わない。

 何を当然なことを。

 今も尚、そう思っている。

 それが異常なことだと示されているのに、未だ何も感じていないことに恐怖も感じず、教室はまた静寂に引きずり込まれる。

 生徒は皆ポカンとして、笑みを湛えているのは彼女だけだ。

「私はこれまでの功績が、この薔薇を作った研究者はこれを含めて、多くの実験記録が認められて人に教えることを許されている。そしてこの薔薇が認められたのは、偶然作られた奇跡の薔薇だからではなく、そういう代物として世間に認められたから他のものよりもずっと価値が高いのです」


「あって当たり前。そうなって当たり前。そんなことは当たり前。当然、必然、必至。あなた達がこれから学ぶのは、世界ではそう呼ばれて然るべき事象ばかりです。まずは、それらを疑うところから始めていきましょう。当然のことを疑いなさい。それこそ昼間は何故空が青いのか。何故哺乳類は魚のように水中で生きられないのか。そんな、当たり前をも疑って、興味を持って、多くのことを知ってください。そうして多くのことを知って初めて、人の価値は現れる」


「嘘だと疑うのならばそれもまた、実験してみてください。実践してみてください。もしかしたらあなた達にとっての当然が、私の当然に砕かれるかもしれないし、その逆もまたあり得るのです。だから皆さん、なんでもいい。とにかく挑んでください、試してください。そのために疑って、考えて、失敗して、成功して、あなたの考えでぶつかってください。そこには必ず、あなた達独自の価値観が生まれ、あなた達の価値が生まれるはずです」

 これがこの先【不動】の魔術師として数えられることとなる偉大なる魔術師の、最初の講義だった。

 あらゆることに疑問を抱き、当然を当然として受け入れないという姿勢は当時としては革命的で、アウリスも彼女の講義を聞いて貴族のあらゆる事柄に疑問を抱く自分のことが怖くなくなった。

 それでいいんだと、自信を持った自身を持つことができた。

 そうして自信を持った時、あの人と出会った。それもまた必然だったのか、今でも疑問に感じている。そう、教わったからだ。

「あなたも見に来たの? 私は、さっきの講義が衝撃的で、つい」

 名も知らぬ研究者の偶発的産物だという銀色の薔薇だけが敷き詰められている花壇の側でしゃがみ込み、薔薇を見つめるその人は言う。

 敷き詰められていると言っても当時としてはまだ希少なため、花壇はとても小さい。だがその人は厭きることもなく、アウリスが知る限りでも五分以上は見つめていた。

「あの講義で衝撃を受けない人なんて、いなかっただろう。俺達の中にあった固定概念を、あの人は刺してきたんだ。刺激を受けないはずがない」

「そうですね。私も、なんだか考えちゃいました」

 彼女の隣に立つ。

 思えばこのとき初めて、自分から女性の隣になんの意図もなく歩み寄ったかもしれない。自分から側による行為は言ってしまえば少なからず好意があることを示し、安易に近づくことさえできなかったのだ。

 そのことも踏まえて言うのなら当時のアウリスからしても、あの人は今までの女性の中で一番印象が良かったと言っていい。

 言葉も仕草も着飾ることなく、また親に強制されたからなのだが、軍服を着て学校に通い、自分は軍人貴族ですと周囲に見せつけている男に対して、特別構えることもなく花壇の側にしゃがみ込んだまま話しかけてくれる女性など、今までいなかったのだ。

 ありのままの、素のままの自分で接してくれることがどれだけ心が楽か、わかってくれる人などほとんどいない。それこそ、まったくと言ってもいいかもしれない。

 だからこそ――今では少し失礼だったと本人も思っているが、アウリスは彼女に今まで抱いていたすべてを吐露した。暴露と言い換えてもいい。とにかく今まで自分が溜めてきた鬱憤のすべてを、初対面だった彼女に吐き出した。

 だが彼女は黙って聞いてくれた。否定もせず肯定もせず、ただ黙って聞いてくれて、最後に、何も言わないでくれた。

 わからないと言われてしまえばそれまでだし、下手に同情されればこちらが惨めになるだけで、結局、答えなど求めていない。ただ聞いて欲しかっただけだったということを、彼女はわかっていた。

 まるでそれが当然であるかのように、わかりきっていたかのように、彼女は突破口を示すわけでもアウリスの感情を代弁してくれるわけでもなく、ただ聞き終わっただけだった。

 聞き終わって、何も言わなかった。

 言い終えたアウリスが余韻に浸りきって、切れた息を整え終えてようやく、一言紡ぐ。

「スッキリした? それとも・・・・・・疲れた?」

「・・・・・・あぁ、両方だな」

「じゃあ、よかった」

 と笑って言った彼女――サー・アルタイル・ヴェネリアと、アウリス・ヒッタヴァイネンの出会いだったわけなのだが、果たしてこれは必然だったのか偶然だったのか、疑ってはいるものの、答えは出ないまま今に至っている。

 だが必然だろうと偶然だろうと、彼女との出会いが必要だったことだけは疑う余地もないことに関して言えば、アウリスは確信すら持っていた。

 そうでなければ、アルベルトとの出会いもなかっただろう。そしてアルベルトとシルヴァが出会うこともなかったはずだ。

 ヒッタヴァイネン家存続のためではなく、愛を以て他人を愛し、繋がる。もう繋がることの出来ない自分達に代わって、彼らにはそんな愛情を育んで欲しいと思っている。

 だからこそ――

「アウリスさん、話があるんだ」

 ――アウリスは必然だと思った。必然を、当然を疑えと習ったけれど、それには限界があることをも、アウリスは知っていた。

 すべての疑問、疑念に対して正当な解答を用意できるはずがない。それこそ解答を用意しておいたところで、次の疑問と質問が問答無用で来るだけだ。

 だがあのとき教鞭を振るった偉大なる魔術師は言った。疑えと。しかして答えを導き出せとは言わなかった。

 つまりは何事も考えて動けと言うことだ。簡潔にかみ砕いて言えば、そんなことを言いたかっただけなのだ。難しいことは何もない。

 だからアルベルトが部屋を訪ねてきた夜が来ることも必然と受け入れながら、何故、どうしてと考える。そのあとの所作も言葉も考えて、動く。

 だからこそ、あまり驚きはしなかった。前もって考えていたから、前もって知っていたからこそ、驚くという余計な手間を省くことが出来た。

 そういうことができるから、アウリスは軍人として優秀だったのかもしれない。いつぞやの大戦の功績が認められ、贈呈された勲章がその証。

 ただしアウリス自身は取るに足らないと思っているため、本来飾って然るべきなのだが、引き出しの奥底に眠っているが。

「アウリスさん、頼みがあるんだ」

 アウリス自身に経験はなかったが、アルベルトが何を言おうとしているのかは緊張の色で染まった面持ちを見て考えれば、理解できた。

 貴族は両親の選んだ見合い相手と、無理矢理結婚させられることが少なくない。いわゆる政略結婚という奴だ。そして幼少期より多くの淑女とコネクションを築こうとしていたアウリスの両親もまた例外ではなく、結婚相手にと貴族の令嬢を連れてきた。

 今はいない相手を侮辱するのも無礼だと思うが、両親に人を見る才能はなかったのだろう。

 結局彼女は他の男と豪遊し、淫行に耽った結果父親が誰かもわからない子供を産んで両家から絶縁されたのだから。

 そんな女から生まれたにしては、シルヴァはとても優しい子に育ってくれた。母が不甲斐なかった分、立派に成長してくれた。

 故にアルベルトがそのような思いを抱いても不思議ではなかったと思っているし、また彼女がアルベルトに惹かれても不思議ではないと思っていたから、いつかは来る夜だとわかっていた。

「アウリスさん・・・・・・今まで俺のことを育ててくれたこと、まずはお礼を言わせてください。母を病で喪い、飲んだくれの父から救って育ててくれたこと、本当に感謝しています。だから本来、俺にこんな頼みをする権利はないことはわかっています。図々しいことは承知しています。だけど、だけど――」

 わかっていた。

 いつか来るときだと思っていた。

 が、そこでまたふと思うのだ。

「シルヴァと、娘さんと婚約させてください」

 アウリス・ヒッタヴァイネンはいつから、この二人が通じ合っていることを当然だと思っていたのだろうかと。

 当然のことを疑いなさい。

 未だに自分の一挙手一投足の中に残るくらいに、あの授業は刺激的だったことに違いない。

 もしも彼女が生きていたら、きっと問うていただろう。

 ヴェネリア、君にとってあの授業は、あの言葉は残っているかい。今も当然を疑うような生き方をしてしまうかい。もしそうだったなら、君が生んだ最愛の息子にも――アルベルトにも、その考え方を教えたかい?

 もし教えたのだとしたら、君はどこまで教えたんだろうね。だってそうだろう。俺と君が繋がることはできなかったけれど、俺の娘と君の息子が惹かれ合って、今、君の息子が俺に娘をくれと言っているんだ。

 これを、君は運命と呼ぶかい? 必然と呼ぶかい?

 もしも運命だというのなら、疑う余地もないだろう。しかし必然だというのなら、疑わざるを得ない。そんな生き方をアウリスはしてきたし、ヴェネリアはしたのだから。

「アルベルト。シルヴァを、頼んだよ」

 君がそう教えて育てた息子なら、喜んで娘を任せられる。当然のことだ。

 それは何故か――俺が、今も君を信じていて、愛しているからだろう。そこはどうしても、信じられても疑えない。

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