外道魔術師と魔導軍学校

「善人面するなら善行をしろ」

 二〇年前の大戦は、帝国が勝利を収めることで終息した。

 それに貢献したとされる男は外道と呼ばれ、いつしか汚名はそのまま彼の称号となって、世界で五人しかいない大魔術師の一人として数えられるようになった。

 だが外道と呼ばれる彼とて、一人の人間である。人並みの人生を送って来た時代はある。それこそ学生時代は、彼にとって数少ない人間として生きた時間だったことだろう。

「やっぱりここにいたのね、アヴァロン」

 世界でも名門とされる魔導学校には当時から二四もの校舎があって、小等部から大等部までの教室と実験室や図書室、保健室などの設備がそれぞれに詰まっている。

 その中でもアヴァロン・シュタイン――後に外道と呼ばれることになるこの男は、第六校舎の魔導実験室に一人籠っていることが多く、見つけるのは容易だった。

 故に数年後、【不動】の魔術師として五人の大魔術師に数えられることとなるパルテナ・ウォーカーは、当時彼に次いで実験室に多く来た人かもしれない。

「またおまえか、ウォーカー」

「今度はどんな実験を? また部屋を爆破しないで頂きたいものですが」

「文句を言うんじゃないヨ。おまえが勝手に巻き込まれただけじゃあないかネ」

 マスクで口元を覆っているため、彼の表情は読みにくい。

 だが目元に絶えず湛えているクマは、授業のない時間をずっと研究室に籠っての実験に費やし、それ以外の時間も魔術に関する書物を読み耽っている彼の努力を称えているようで、パルテナは嫌っていなかった。

 そのお陰で彼の魔術の腕はプロ顔負けだったのだが、如何せん愛想というものがまったくないので、人付き合いは悪い。

 だが時折、これ以上なく正論を述べることがある。だから人との付き合い方が下手なだけで、特別悪い人ではないのだなというのが、中等部からの付き合いである彼女の見解だった。

 にしても、毎度なんの研究をしているのか皆目見当もつかない。

 今も毒々しい鮮やかな色彩の薬品が入った試験官がズラッと並んで、凄まじい刺激臭で鼻を突く――いや、もはや貫いてくる。引火誘爆の危険性すら感じられるくらいの悪臭だ。とにかく酷過ぎる臭いである。

 そのためのマスクなのか知らないが、彼は平然と試験官の中を見つめて水銀のようなものを入れ、反応を窺っていた。

「安心しナ、引火誘爆の可能性はないヨ。こいつはただの水銀だし、これらの薬品も臭いがキツいだけでそこまでの代物じゃあナイ。まぁ餌に混ぜれば、子犬くらいなら心肺停止くらいは起こさせることはできるかもしれないが、それでも一時的でしかない。殺すには使えないヨ」

 と、こちらとしては安堵できる情報を話す彼はとてつもなく機嫌が悪そうだ。おそらくだが、なんで自分でも今の実験をしているのか、わかっていないのだろう。

 彼は知りたくなればなんでも調べるし、その原理を知ろうとするし、そのための実験を決して億劫にも思わず厭わない。それが例えどれだけ分野違いでも、彼は徹底的な追究を続け、解き明かしたと自身が認めるまでやめようとしない。

 子供のような探求心が、行き過ぎた形が彼だ。少なくとも、十年近く側にいる彼女はそう思う。例え実験室を爆破しようが死人が出ようが、彼は凝りもせず研究と追究を続けるだろう。

 それこそ、彼は究極というものを追究する研究者として、このときすでにプロ以上に完成しており、もはや彼こそが究極の研究者ですらあった。

 無論、そんな称賛を彼が素直に受け取るとは思わない。ならば究極の研究者とはなんだと、違うベクトルで探究し、追究し、研究し続けることだろう。

 だからこそ、パルテナはそんなことは言わない。喧嘩にこそならないが、後味が悪くなることだけは間違いないだろう。それこそ追究する必要もなく、もはや必然だ。

「だが、つい最近この薬品を飲んだ子供が死んだという知らせを聞いた」

「さっそく話が違うではありませんか……殺傷能力はないはずでは?」

「だから実験しているのだヨ。本来、子犬も殺せない薬品だ。毒性なんてどこにもない。ならば何故、その子供は死んだのか。薬品の管理状況、混合物の有無、化学反応の可能性、死んだ子供の体質、エトセトラ……そこに可能性があるのなら、すべての可能性を実験して実証して、突き止める。それまでの話だヨ」

 彼は一体、どこを向いているのだろう。

 彼は一体、この先何を見ているのだろう。長年彼のことを見てきたが、未だにわからない。

 それこそ、彼からしてみれば追究しろということなのだろう。本気でそれを知りたいのなら、調べる方法から模索して調べ尽くして、実証し尽くしてみろと言うことなのだろう。

 例え国のことだろうと人のことだろうと、調べて実験して、わからないなんてことはない。彼の中では、そんな無茶苦茶にすら思える根性論じみた数式が成り立っている。

「貴方はそれを知って、どうするのです?」

「知らないヨ」

 迷うことなく、返事が返って来る。目は絶えず試験管の中にある薬品へと向けられているが、自分との会話にも意識を削いでくれていることはわかった。器用な人だ。

「だけどこの世に、知っておいて損な情報は一つもない。知る必要のない知識なら幾らでもあるだろう」


「天動説と地動説で議論を交わしたところでなんになる? 空が動いていようが地面が動いていようが、私達が朝を迎え夜を迎える事実は変わらない。知る必要のない知識だ。だがその後、誰かが地動説が正しいと実証した。それは知っておいて損はない。今後天動説を唱えてきた奴に、『おまえは時代遅れだネ』と言ってやれル」


「だが後々、それもまた知る必要のなかった知識となる……もはや太陽も地球も宇宙の中心ではなく、中心そのものが存在しないんだなどという結論に至る。それもまた今は知っておいて損ではない知識だが、いつしか知る必要のなかった知識かもしれなくなる」

「つまり貴方がその毒の正体に辿り着いたとしても、今後何かに生かすかどうかなどわかるはずもない、と?」

「その通り。だが、これもまた今は知っておいて損ではない知識になる、かもしれないからネ。だから調べているのさ。これを投げだした後で、後々私がこの毒で死んだら、笑い者だろう?」

 あぁ、今のは笑ってましたねと、パルテナは微笑を湛えた。

 マスク越しで、振り向いてもいないので表情も何もわからないが、なんとなく背中が語っている。一応、彼にとってはウケてもいい冗談だったらしい。

 笑うにはブラックに過ぎて、とても笑える冗談ではなかったが。

「貴方は将来何になりたいのですか? 研究者になることは、明白のようにも思えますが」

「それこそ将来のアヴァロン・シュタインに聞かなければ、わからないことだヨ。人はなりたい自分にではなく、なれる自分になる。それが努力を続けた結果だとしても怠惰を続けた結果だとしても、結果、最終的になっているものこそが自分がなれる者の極致だと、私は考えているヨ」

「貴方と会話していると、時間が経つのを忘れてしまいますね。それこそ、この学校の教師の講義のようです」

「それは皮肉かネ?」

 ここで初めて、彼は振り返った。その目に感情はない。

 あぁ失敗したのだなと、パルテナは悟る。

「いいえ、褒めているのです。長々と語られる教鞭は、それこそ人の睡魔と退屈、怠惰を誘うことでしょう。しかし、その中にちゃんとした確信がある。一の質問に対して十の返答を返してくれる。響く人には響く。それこそ、知っておいて損のない知識として。どうですか、教師など目指してみては」

「なんだネ。やっぱり皮肉じゃないか、ウォーカー。長々と偏屈を並べるジジィと一緒にするんじゃあないヨ。ったく……むしろおまえの方が教師に向いているのではないかネ? 美人で愛想もよくて、それこそどれだけつまらない話でも、恋人との惚気話以外なら聞くだろうヨ」

「っふふふ……」

「なんだネ、何がおかしい」

「いえ、ごめんなさい。貴方が私のことを美人だと思ってくれているだなんて、思わなかったものですから」

 今も年齢不相応の美しさを持つパルテナだが学生時代も美人で有名で、文武両道、才色兼備と学校では高嶺の花的な存在だった。

 だがアヴァロンといえば異性にまるで興味ゼロで美人だと言うこともなければ不細工だということもなく、パルテナにとっては学校で唯一、下心を感じることなく話せる異性の友人でもあったのだが、そんな彼が自分を美人だと認識していたことに、パルテナは笑いを堪えられなかったのである。

 アヴァロンはどこかイラついたような、恥をかかされたかのような、高圧的ながらも敵意はない若干矛盾した感情で睨んでいる。

 先ほどまで長々と弁舌を振るっていた堪能な舌は、このときばかりはまったく働かなかった。

 そのせいか、パルテナの微笑は緩み続けたままだ。

「ありがとうございます、アヴァロン。なんだかとても嬉しいです」

「そうかいそりゃよかったネ――」

「何か?」

 皮肉の籠ったお褒めの言葉を頂いたところだが、自分を見つめたまま固まっている彼を見て今更、見惚れているなどとは思わない。

 何か思いついたのだとはわかるのだが、才能ある凡人に収まる彼女には、天才かつ奇人かつ変人である彼の考えていることなど、四割程度しかわからなかった。

 特に今回に関して言えば自分の顔に何かついてるわけでもあるまいし、本当に何を思いついたのか皆目見当もつかなかった。

「おまえ、いい髪の色をしているねぇ」

「あら、また褒めてくださるのですか? ただあなたが言うと、異なったニュアンスに聞こえてきますが」

「あぁ、おそらく合っている。私は今、おまえの髪の美しさを称えたわけじゃあないんだからネェ……」

 マスクの下で、アヴァロンの口角が大きく歪む。マスク越しにでもわかるくらいにいいことを思いついたと無邪気な子供さながらの笑みを見せた彼に、パルテナは吐息を漏らした。

「欲しいのですか? しかし、私の髪など一体何に使うのです?」

「さぁネ。それもまた知って損のない情報源となるか知らなくてもいい情報源になるか、なるようになるだけさネ」


 ▼  ▼  ▼  ▼  ▼


 白銀の翼を広げた鉄の鳥が、頭上をマッハの速度で通過する。

 あの日彼女と語らったあの部屋に充満していた薬品の異臭よりはまだマシだろうが、それでも焦げ臭いと感じる古い臭いを残していく魔道戦闘機の実践演習の様子を、【外道】の魔術師は仰ぎ見ていた。

 空を漂う研究室の方が高度が高いからか、それとも度々頭上を通過する戦闘機の熱のせいか、吹き付けてくる風も熱を帯びて、隣を歩く青髪は暑い暑いと連呼していた。

「五月蠅いヨ」

 溜らず、博士の拳骨が落ちる。

 重い一撃に一瞬暑さを忘れた青髪だったが、すぐさま暑さで乗算された苛立ちを返した。

「だって暑いんだもぉん! なんでこの時期にわざわざここに行くかなぁ……僕はまだ島国で泳いでいたかったのにぃ」

「だから連れていくときに勝手にしろと言っただろう。置いてかないでと半ベソ書いてた青臭いのはどこのどいつだったかネ、ったく……」

「あれはもはや脅迫だよ! 『ならば勝手にし給え。後日来る嵐に溺れて死ぬのもおまえの勝手ダ、こちらは一切責任など取らないヨ』って!」

「事実を言ったまでサ。そして現におまえは勝手にした結果、生き永らえている。暑さなど我慢しな。おまえの代用品を作られたくなければネェ。見給え、あいつなんて涼しい顔をして歩いてるじゃあないカ」

 博士が指差す先で、彼女は悠々と闊歩していた。

 三人の中では最も暑苦しく見える漆黒の軍服をまといながら、一筋の汗も流さず「暑い」の一言も発することなく歩き続けている。

 漆黒の軍服と相反して、太陽に煌めく銀色の髪を揺らす彼女の両耳には、とある証となるピアスが光を反射して輝いていた。

 彼女はホムンクルスであり、軍人ではない。しかしそこらを歩いている軍人――博士から言わせれば、国民の税金を貪って生きる証たる服をまとうことに成功した猿などよりも、彼女という存在は軍服がよく似合う。

 無論、皮肉のための言葉だ。彼女の凛々しさと美しさを称えた言葉ではない。

 だが裏を返せば、自分の作ったホムンクルスの方がより凛々しく美しく、尚且つ彼女に関しては軍人より軍人らしいと称賛しているようにも聞こえる。

 もしもその場にかの【不動】の魔術師殿がいれば「それは自画自賛ですか」などと虚をついて、この外道のよく回る舌を止めることも適うのだろうが、彼らの学生時代を語られているはずもない青髪がその発想に至ることもなく博士に口で勝てる算段は未だ、見いだせないままだった。

「元帥」

 両踵と両膝を合わせ、彼女は敬礼する。軍帽の影の下で光る青白い双眸は、やはり今どきの平和ボケした軍人よりも余程軍人らしく、みなぎる力強さに溢れていた。

「これより、任務を開始することをご報告致します」

「あぁ、頼んだ。おまえ以上に適任はないだろう、うまくやるんだヨ」

「ハッ」

「博士、ついに元帥に昇格してたね」

「大佐から元帥まで、随分とスピード出世だったヨ。オレンジはもう戻っているのかネ」

「うん、さっき戻ったって金髪から連絡があったよ。災禍の化身に送られてきて、とっても幸せそうだったって」

「災禍だからといって、不思議なことはないのではないかネ。気を許した相手に送られて嬉しいというのは、災禍だろうと軍人だろうと変わらんのだろう。むしろそういうことは、おまえたちの方が理解が深いのではないのかネ?」

 博士はそうして背を向けていく。

 自分を見つけて物珍しそうな目で見ている軍人らの目は、果たして少女を抱いて帰った災禍と比べて、世界を知らない少女にどう映るのか、興味はある。

 彼らはきっと自身らが蔑まれたところで、正義面して、被害者面して訴えるだろう。

 善人面するなら善行をしろ。あの大戦で傷つき、多くを喪いながらも戦ったのはおまえらじゃあない。おまえらは一度たりとも、戦ったことなどないだろうに。

 そんな言葉すら、彼らにはもったいない。

 だから彼女が、おまえたちに見せつけるだろう。軍人よりも軍人らしい彼女が、おまえたちの愚かさと脆弱さを見せつけて、挫折することだろう。

 だが光栄に思うがいい。

 お前たちが見るのは世界で名だたる魔術師の力の一端――【不動】の魔術師の力の一端と、同じ銀髪を称える少女の姿なのだから。

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