『無事に終わりを迎えられる幸せ』

 島国を治める王国は大陸本土のと比べると規模は小さく、治めているのも珍しく女王である。

 何せ年中様々な国の重鎮や王族が遊びに来ているため、安易に攻め込むと島国だけでなく他の、それこそ大国を敵に回すことにもなりかねないが故に攻め込まれる心配がなく、国自体大きくなる必要がなかったのである。

 それこそ外敵がいなかったために丸く太り、飛ぶことを忘れて、外来種によってあっという間に捕食されて絶滅した鳥のようだと、博士は内心で皮肉を述べる。

 しかしそんな皮肉も甘んじて受け入れられるほど国は平和で、王族を守護する守護騎士はいるのだが、その任をまっとうした経験はほとんどなかった。

 無論、その必要がないという意味では、彼らの経験がないことは良いことに違いない。

 だがそのせいか彼らには他国の騎士と比べると覇気がなく、解放的過ぎてどこか安心できない。

 仮に今ここで自分が目の前の女王へと斬りかかったとき、果たして彼らは対応が追いつくのか怪しいものだ。

 同じ騎士でも、全身に甲冑をまとった騎士もどきの金髪の方が、よほど覇気を感じられるし、彼女を見たら彼らも危機感を感じることだろう。

「よくぞおいでくださいました、外道の魔術師殿。私はクロスリンク・ラィクード。この国の第一王子です」

 博士は怪訝な目つきながら、握手に応じる。

 何せ王子と名乗ったまだ年若い青年が今、立ち上がるまで座っていた椅子は紛れもない王座だったからだ。

 そして何より、女王が統べる国だと言うのに女王の王座に女王がいない。

「女王と王はどうした」

「……王は昨年、亡くなりました。無謀にも嵐の海に出た他国の貴族を助けるため、海に出てから行方不明となり、二か月後に遺体となって浜辺に打ち上げられているところを発見されたのです」

「なるほど、立派な死とやらを遂げられたわけだネ。他の国の王族よりよっぽどマシだよ」

「その言葉が頂けるだけ、ありがたいことです。召された父もきっとお喜びになられていることでしょう」

「それで、女王は?」

「今は静養中です。四年前に我が妹である娘を喪い、そして昨年夫である王を喪い、女王陛下は大変心を痛められてベッドから起き上がれぬ状態……心身ともに弱り切っておいでだ」

「それはそれは、心が痛むネェ」

 感情などまるで籠ってない言葉で、しかも視線はどこか別の方を向いている。

 誰が見たって、心が痛んでいるなどとは思えない。

 そもそも本当に心が痛むような人間なら、死体を使ってホムンクルスを作り上げて売るなんて商売をするはずがないのだ。

 故に王子や騎士は非情だと思うより先に、外道と呼ばれていることに納得した。

「それで? この私におまえの妹を作って欲しいというわけかネ。きちんと遺体は保存してあるのだろうネ」

「いえ、その必要はありません。ただ、譲って欲しいのです。あなたのところにいた、あのオレンジ色の髪をした少女を」

 ついて来てほしい、と頼まれて博士は王子に連れられて城の奥へと進む。

 本来は王族しか入れない居住空間であり、国によっては大奥とも呼ばれる場所だ。本来博士のような部外者が立ち入ることの許されない、いわば王族のプライベート領域である。

 そして通されたのは、彼の妹――つまりはこの国の姫だった少女の部屋だった。

 おそらく亡くなってからどこも手をつけていないのだろう。清掃は行き届いているが、家具の配置や並んでいるというよりは散らばっている机の上のペンと書きかけの手紙など、生活感が感じられた。

 果たして女王の命令か、それとも女王の心痛を察しての彼らの配慮か。わからないが、愛されていた王女だったことはわかる。

 しかしよくもまぁ四年間もこの状態を維持できたものだ。よほどの愛情――もはや執着心に近い粘ついた何かになりつつある感情に、縛られていると見える。

 王子の言う通り、女王陛下は酷く傷心されているらしい。ただし繰り返し言うように、それは執着心にも似た何かへと変貌しつつあるが。

 そして王子がオレンジを欲する理由もわかった。

 瓜二つ、とまでは言わない。だが他人の空似とは言える。

 オレンジそのものとは言えないが、しかし青髪や赤髪に見せればオレンジの写真だと言う可能性すらあるくらいに、その写真に写っている少女は彼女に似ていた。

 王女の名は、ミケイラ・ラィクード。

 ミケイラは確か、この島国では太陽神に仕える女神の名前だったか。なるほど太陽のような眩しい笑顔で笑っている写真が多い。女王もさぞ彼女を好いていたことだろう。

「この娘に似ているから、あいつを寄越せと? 随分と安直な考えじゃあないかネ」

「それでも人工的に作られたホムンクルスよりは、女王の心も休まるかと」

「それは私に対する挑戦状かネ?」

「い、いえ、決してそのようなつもりは――ただ、あの少女があなた様の下にいたためにあなたに譲って欲しいと頼んでいるだけで、あなたを侮辱するつもりはまったく……」

「わかっているヨ、この程度の冗談も通じないのかネ。まったく王族とはどこも変わらず息苦しい一族だヨ」

 外道の魔術師を相手に冗談が言えるほど肝が据わっている者など、この世界にはほとんどいないだろう。

 それこそ同じく五本の指に入っている魔術師か、はたまた余程の命知らずか死にたがりか。ともかく常人でないということだけは言える。

 もっともそれは、王族には決していないだろうが。

 数多くの王国を滅ぼした外道の魔術師に対して笑って冗談など言えるものか。それこそ自分達の父や母に、口を酸っぱくされながら言われ続けたのだから。

 彼だけは敵にするな、と。

「まぁいい。だがあの娘はやれないヨ」

「そんな……! いくらでも報酬は払います! だからどうか――」

「私がそんな浅はかな人間だと思っているのかネ? 金でなんでも解決できると思っているんじゃないヨ。だがまぁ、そうだネェ……歴代王族の遺骸のすべてをこちらに差し出すのなら、考えないでもないけれどネェ」

「そ、それは――!」

 出来るはずもない。

 今は亡き王たる父の遺骸だけならばまだしも、歴代の王すべての遺骸を差し出すことなど、それこそ歴代の王に対する背徳行為に外ならず、島民から多くの反感を買うことになる。

 そうなれば、次代王座どころか王族そのものが危ぶまれる。

 傷心の女王を今の環境から離すわけにはいかない。故に首を縦に振ることはできなかった。

 無論、博士もそれを理解して提案しているので、十中八九断る想定していた。

「死んだ王女の遺骸は墓に埋まっているのかネ? そこから遺伝子情報さえ取れれば、あとはこちらで作れる。その方が確実かつ安上がりだと思うがネ」

「……妹の遺骸は、墓にはありません」

「何? 仮にも王族の遺骸だろう。何故埋葬していなイ」

「埋葬はしている。だが、亡き妹の遺言で遺骸を焼き、骨は砕いて海に撒いたのです」

「散骨というわけかネ。なるほど、オレンジを求めた理由はそれもあってか。まったく、厄介なことをしてくれたネェ。だが人の最期だ。望む形で迎えられるだけ幸せというもの。そのあとのことさえも誰かが成し遂げてくれるなら、これ以上の幸福はない。王女には、無事に終わりを迎えられる幸せがあったというわけか」

「だからあの少女を譲って欲しいのです。お願いです、外道の魔術師殿! もはや貰い受けたいなどとは言いません! せめていっとき、少しの間だけでも、彼女を女王陛下の下に置いてはいただけませんか!」


 ▼  ▼  ▼  ▼  ▼


 夫である王を喪い、四年前には最愛だった娘まで喪い、傷心の女王は寝息を立てる。

 眠る表情に健やかという言葉は似合わず、悲しみに暮れて泣きつかれたまま眠った女性の顔をしている。娘と夫の名前が寝言として出る度に涙を流す彼女の頬を拭うのが、側で見守る女騎士の仕事である。

 騎士の名は、コルト・バリアリーフ。

 女王直属の守護騎士であるが、平和な国で剣を振るう必要はほとんどなく、今は傷心の女王の生活を手助けするのが、彼女の主な役割だ。

 幼い頃にまだ王女だったときの女王に優しくしてもらって以降、女王を敬愛し慕っている。例え、周囲の誰もが女王の回復を絶望視したとしても、彼女だけは最後まで女王の側にあり続ける。

 そう、彼女の胸の中では決まっていた。

「僕だ、コルト」

「どうぞ、王子」

 扉のノックに答えて、王子を迎える。

 普段ならば王子だけが部屋に入って来るはずが、このときもう一人いることと、そのもう一人の容姿に驚かされた。

 思わず王女様、とさえ言いそうになった。

 それほどにまで似て、王女と同じ橙色の髪を携える少女。しかし王女ではない何者かが、王子の隣で若干怯えた様子で入って来た。

「王子、そちらの……方は?」

「コルト、この部屋の中では彼女がミケイラだ。いいね」

「それはどういう――いえ、わかりました。王子」

「……母上」

 このときばかりはプライベート。

 女王陛下などと他人行儀で呼ぶことはなく、一般家庭と同じく自らを生み、育ててくれた母親として優しくゆすり起こす。

 だからか、息子の優しい声音に母として起こされた女王は、それこそ母親の優しい表情で、寂しさを含めた微笑で王子を見上げた。

「リンク、おはよう……今日も気持ちのいい朝ですね」

「はい、母上。今日も素敵な一日となることでしょう」

「……はは、うえ」

 小さな少女の声に、女王は視線を配る。

 声だけでなく、体まで小さな女の子は、自分の娘と同じ橙色の長髪をライトの下で輝かせて、天蓋を潜って自分の顔色を窺って来る。

 そんなことはあるはずがない。

 頭ではわかっていても、涙がこれでもかとばかりに零れて止まらない。

「ミケイラ……?」

「おはようございます、母上。今日も……えと、とても日差しが温かく、波も穏やかで、とても気持ちがいいですよ」

「ぁぁっ、ぁぁ……」

 女王はゆっくりと体を起こし、口元を覆いながら涙を拭うことなく泣き続ける。

 赤いドレスに身を包んだ橙髪の少女が首を傾げ、どうしたらいいのか戸惑っているだけの姿にすら、感動の涙が止まらない。

 どうすればいいのかわからず、狼狽える少女を、女王は強く抱き締めた。

「あぁ、ミケイラ……ミケイラ……!」

「く、苦しいです。母、うえ……」

「ごめんなさい。でも、でもまるで夢のようで……あぁ、帰って来てくれたのですね、ミケイラ……」

 母という温もりを知らず、また涙ながらに抱き締められた経験など一つもないオレンジは、反応に戸惑い、言葉が出ない。

 ただ、自分を抱き締めている人が嬉しくて泣いているのだということだけは理解できて、ただ黙って抱き締められていた。

 そんな少女を見る騎士コルトの瞳は鋭く光り、腰の剣に指先を引っ掛ける。それこそ今ここで、斬り殺さんとするばかりの殺気を放って。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る