緋色の月

【外道】の称号で呼ばれる男は一人、花畑を闊歩している。

 自らが奪ってきた数と同じくらいの命が美しい花々となって咲き誇っている中、彼という存在がただ一人歩いている姿は皮肉意外にないだろう。

 命の光を浴びて、自らの命と存在を色彩豊かな花弁と甘い蜜の香りとを吹き抜ける潮風に乗せて主張する彼らの側を歩く魔術師には、とてもそれらは似つかわしくない。

 自分が作るのはそれらは神々しく、眩しく輝く命の代用品。

 それらと同じ色と光量で輝き、同じ香りで鳴くことを予め脳内に組み込まれただけの存在は、それらの代用品という域を出ることはなく、それらそのものに成り代わることはできない。

 魔術師が作り上げるのはリレーのバトンを受け取る次の走者であって、マラソンランナーではない。

 作り上げられたそれは決して、命尽きるまでの人生を生きたその人そのものではない。

 あくまでそれから先を代わりに走る代走者であり、決してその人そのものを作り上げるわけではない。

 もしも代走者ではなく、その人そのものを用意できるというのならばそれはと呼ばれる代物だ。

 魔術師のそれを蘇生と勘違いする馬鹿やつが多いが、冗談じゃない。

 それこそ外道の所業だ。人の領域を逸脱して、自分を神の代行者だとかなんだとか宣う狂った馬鹿やつのやることだ。

 まぁ、自分が今やっていることをそうだと思っている者が多いから、自分が【外道】と呼ばれているのだが。

 ともかく生物に寿命が設けられている限り、生物は死ねば終わる。それがすべての生物が星、もしくは神、あるいは宇宙などと言ったばかげた規模の何かから与えられた掟だ。

 決して破ってはならない永遠不変、不動のルールだ。

 故に犯し難く、魅惑的かつ蠱惑的ではある。

 だが決しては犯してはならない。

 研究者とは常に禁忌により近づく技術を求めつつ、決してその禁忌を完成させてはならないという矛盾した葛藤の中で作品を作り続け、そこに生を見いださなければ生きていけない生き物だ。

 そこには当然誘惑もあり、禁忌という言葉はいつだってどこだって魅力的に見えて、誰だって求めてしまうほど限りなく万能。完璧と言って過言ではない。

 だが完璧なものを作り上げてしまった瞬間、その研究は終わりだ。

 完璧なものを作り上げてしまった瞬間、その研究者は終わりだ。もう死ぬしかない。

 完璧なものを作り上げたのだから、その研究は栄光として語り継がれ、未来永劫神として崇拝されていくことだろう。

 しかし完璧なものを作り上げてしまったということは、すなわちそれ以上はないわけで、そこから先如何に誰が研鑽を重ね、努力し、才能のすべてを注ぎ込んだところで完璧なものはすでに完全に完成しているのだから、それ以上の発展も進歩も衰退もないわけで、結局不変なのだから、その研究は終わってしまったということになるのだ。

 故に研究者は完璧により近い存在を作り上げつつ、決して完璧な存在を作り上げてはならない。それもまた矛盾であり、そこに苦痛ではなく快楽を見いださなければならない。

 もしもそれらを無視して完璧を追求し、完璧な存在を作り上げてしまったならば、それこそ人の領域を遙か逸脱した存在――外道であることに違いない。

 ならば自分は外道などと呼ばれる筋合いもない善人か? ――否、答えは否だ。何せそもそも、

 代行者、代役など他の誰かがやればいいだけのこと。花嫁だろうと、同じことだ。

 それが違うというのなら、何故人は分かれて尚、他の誰かと結ばれようとすることができる? どうして他の誰かで、温もりを代用することができる? 国によっては一夫多妻も認められているこの世界で、花嫁だけがどうして特別だと言い切れる?

 反論があるというのなら論破してみせるがいい。

 できるはずもない。できるわけがない。

 誰か一人を納得させることはできるかもしれない。いや、できるだろう。

 しかし世界の人すべてを納得させることなど、できるはずもない。何故なら人それぞれに思想があり、想いがあり、またその想いの深さも人それぞれだからだ。

 何人もの女を性の快楽のままに抱く男もいれば、一人の女を一生愛し抜こうと誓った男もいるし、すでに誰かと繋がっている男だろうと、その人との子供を作りたいと願う女もいれば、生きるためならどんな人間にだって抱かれ、また捨てる女もいる。

 結局、個性という言葉で簡単に片づけられるそれぞれの思惑や考え方がそれぞれにある以上、世界中すべての人を納得させるなど不可能でしかない。

 故に、魔術師のしていることを外道だと蔑む者もいれば、今までに依頼してきた者達のように、この技術を求める者達もいる。

 ただし、人とは綺麗事を好む。

 それがどれだけ実現不可能で、またどれだけ世間知らずな言い分だとしても、人は綺麗事をこそ好み、だからこそ、その思想を綺麗事と呼ぶ。

 人の代わりなど実際、いくらでもいるのだ。

 別に最初に愛したのが黒髪の女だったからといって、今後一生黒髪の女を愛さなければいけない義務はなく、ましてや一生同じ相手を愛する義務も責任もない。

 いなくなってしまったのなら、また愛想をつかされてしまったのなら、別の相手に鞍替えすればいいだけの話だ。それで事足りる。

 だというのに、今までに自分に縋りついて、泣きついて来た者達は皆、その人でなければダメなのだと訴えていた。

 その訴えに応じて、こちらも彼らの要望に応じたものを用意したのだが、作った本人としてもなんと滑稽なことかと思う。

 外見も中身もまったく一緒、と錯覚させているだけで、まったくの別の代物。

 画材も構図もまったく同じながら、描き手の違う絵があったとして、それを本物と偽物と区別できる人間が、何故生物と置き換わっただけで偽物だと否定できなくなってしまうのか。

 記憶を受け継いでいるのなら、自分を今まで通りと同じく呼んでくれるなら、その肉が血が、薬品と死体から培養された細胞と、それらを動かす魔物の組織で構成されたまったくの別物だとしてもいいという彼らのそれは、真実の愛か。

 否、否、否――

 それが真実の愛ではないと、否定する気はない。

 だからといってそれが真実の愛だと、肯定する気もない。

 そもそも愛など言った感情を、外道が知るはずもない。知ろうなどとも思わない。

 こちらは不良品の消化に都合がいいと利用しているだけだ。彼らのストーキングじみた執着心にまみれた欲深い愛情という名の私利私欲など、知ったことではない。

 死んでも尚求められる方に同情こそすれ、だからといって手を差し伸べるような真似はしない。

 あくまでこれはビジネス。こちらの私情を挟んでいい理由など、どこにもないのだから。

「博士?」

 と、目の前には見覚えのある少女。

 耳に届く小波さざなみの作る潮騒と、鼻を突く潮の香り。

 いつの間にやら、足は海へと辿り着かせていたようだ。だから自分に対して小首を傾げている少女が水着であっても、なんら不思議なことはない。むしろ当たり前のことだ。

「博士、どうかされたのですか?」

 橙色の長髪は塩を含んだ水滴をまとって、燦燦と降り注ぐ日の光を浴びてより眩く輝く。

 ワンピース型の水着もそれに負けず劣らず白い肌も、寒さで震えている様子はない。

 博士が手を伸ばして頭を撫でると、殴られると思った少女は疑問符を浮かべながら青髪に切り揃えてもらった前髪の下から、顔色を覗き込むように窺った。

「初めての海は、どうかネ?」

「はい。大丈夫、です……青髪さんが泳ぎ方を教えてくれたので、問題なく、泳げて、ます」

「フム、学習能力の高い奴だヨ。海に浸かっていて特に不便な部分はないかネ」

「はい、問題なく」

「炎の龍の血が入っているから、水とは相性が悪いことも危惧してたが……特に問題はなさそうだネ。体温の低下に気を付けナ。体調を崩す程度ならいいが、最悪魔力の暴走に繋がりかねない。未だ、その血がどのように作用するのか。わかったもんじゃないんだからネェ」

「はい、博士。そういえば、先ほど老紳士の方が私を見かけて、姫と呼んでいました」

「老紳士? はて、誰だろうネェ。どこぞのジジィがボケただけだろ、忘れナ。ほらさっさと行った行った。私は次の実験体をどう作ろうか、考えを巡らせている最中なのだからネェ」

「はい。では、失礼しました」

 トテトテ、

 擬音として文字で現すには、これが一番最適か。

 いや、ないな。

 天才だなんだともてはやされた時代もあったが、文才はないらしいと外道の魔術師は自らを評価する。

 彼女はそんな人形じみた表現で現すには、相応しくないだろう。

 彼女はまるでガラス玉に映る虹。ガラス玉に一つ傷がつけば、光の角度が変わって虹の色彩も変わってしまう。

 美しい、と同時、儚いという表現が彼女を表すには適していると思われる。

 護ってやらねば自ら傷付いて、輝きを失ってしまう美しくも脆いガラス玉。その価値は、金額などではない別の部分で評価される。

 女性が子供を見て母性を刺激されるのと同じように、儚くか弱い少女を見た男は平等に、彼女を護りたいと思うことだろうが、生憎と彼女に流れているのは龍の血だ。そして、すでにその手で何十人と殺めている。

 そのギャップとやらに、人は恐れおののき、彼女を化け物とさえ呼ぶだろう。

 そして彼女自身、そのことを自覚していない。その無知もまた、男の心を揺さぶることだろうが、結局は同じだ。彼女の正体を知れば、罵り、逃げ出すだけである。

 故に彼女が災禍と呼ばれる怪物に興味を示し、彼もまた彼女に興味を示していることは、もしかするとまた、星や神らと同等の運命という奴が働いているのかもしれない。

 化け物の番は化け物、というのは必然か。

 いや、それこそ否定されるべきだ。

 美女と野獣などという表現があるように、美と醜の二極が両立することだって可能性としてはなくはないのだから。

 そんなカップルを今まで何組も、何組も見てきた。いや、作って来た。

「外道の魔術師殿でよろしいでしょうか」

 故にまた、この仕事もまた変わることはない。

 今までと相違などなく、異変もなく、結局はいつもと同じことだ。

 そう、同じことなのだ。

「仕事の依頼かネ?」

「はい……早急にお願いしたい事案でございます。申し訳ありませんが、王宮へご足労願えませんでしょうか。そこに馬車を用意しておりますので」

「いいだろう。ところで若いの、緋色の月は今月だったかネ?」

「え、えぇ……十年に一度の天体ショーとかで、この島が一番よく見えると、世界各国から天体観測を目的とした人達で今まで以上に賑わっております」

「正確にはいつになる」

「五日後、とのことですが……それが何か?」

「こっちの話だヨ。さて、では行こうカ」

 浜辺で休憩していた青髪は、オレンジの頭を拭きながら博士が馬車に乗っていくのを見逃さなかった。

 しかし特に追うようなことはしない。

 博士が呼ばなかったのなら、自分達は必要のない事案なのだろう。故に今は、姉妹での休暇を楽しむだけだ。

「青! あんたもうグロッキーなわけ?! 置いていくわよ!」

「さっきまで怖気づいていた奴がよく言うな」

「うるさいわね! 今度はスマートに飛んでみせるわ。銀も来なさい!」

「承知しました」

 何より、妹たちを置いてはいけない。

 血の繋がりこそないものの、自分は一番最初に作られたホムンクルス。

 彼女達が作られているときもずっと見ていたし、彼女達の手を最初に取ったのも自分だ。

 故に彼女達と一緒に共有できる時間があるのなら、同じ時間を過ごしたい。

 それは、ある日ひょっこり現れた、このオレンジ色の髪の少女も同じだ。

「オレンジはちょっと休んでな。僕らと違って人なんだから、少し休まないと」

「はい、ありがとうございます」

 もしも今、拭いている小さな頭に角が生えたとしても、例え自分を仰ぐ目が龍の眼となってしまっても、この子はもう自分の妹。

 故に青髪の手は優しく、弾ける水気を拭いとる。大切な妹のオレンジ色の髪を、それこそ宝物のように。

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