「毒になれるのなら薬にもなれる」

 ホムンクルスは劣化をしない。

 平たく言うと、成長をしない。

 精神的成長はあるのかもしれないが、肉体的成長はない。

 それはホムンクルスを作る者が、永遠に要求される課題である。

 かの外道魔術師とて、未だ解決の糸口さえ見つかっていない超難問。

 ホムンクルス――個体名、黒髪はその課題を解決するために作られた試作品だった。

 人間と同じ成長をし、衰え、老衰の果てに死んでいく。それを目的とした人間の一般常識に寄り添った形の新型ホムンクルスとして、博士の手によって作られた。

 そもそもホムンクルスが肉体的成長をしないのは、そう作れないからである。

 成長に必要なホルモンを分泌させる器官の創造に、成功した者が未だいないのだ。

 大抵の場合は成長ホルモンの分泌がうまくいかなくなり、過剰成長の果てに細胞が壊死、もしくは肥大化した細胞が破裂して死んでしまう。

 ある一定の年齢の肉体を作ること自体は、そう難しいことではない。

 そこから肉体を人間と同じ速度で成長させることが難しく、未だ成功させた者がいない。

 博士はその前人未到の領域に挑み、黒髪を作った。

 彼女の体には成長ホルモンを分泌するのと同時、成長ホルモンの過剰分泌を防ぐための成分――簡単に言えば、毒素が分泌される器官が埋め込まれている。

 それによって肉体の過剰成長を抑制し、人間と同じ速度の成長を見込めるという発想の元で作られた。

 だがその結果、副作用が生じた。

 成長ホルモンを殺す毒素は、何種類かの毒性生物の毒袋と薬品から作った人工器官から分泌されているのだが、言ってしまえばそれは数種類に及ぶ生物の毒を同時に投与したのと同じ。

 それによってあらゆる毒が彼女の体内で作られ、彼女を毒性生物にしてしまった。

 皮膚の表皮には常に毒の膜が張られており、触れただけで体を汚染される猛毒を発している。

 わずかな接触程度ならば低温火傷のような症状が出る程度だが、長時間の接触は呼吸困難や意識喪失、場合によっては命に係わる。

 さらに毒は彼女自身をも蝕み、体内の毒が交わって新たな毒が生まれる度に体は毒に犯されて彼女の意識を奪う。

 今回も新たな毒の発生により黒髪が倒れてしまったため、博士は解毒剤の作成に取り掛かる。

 しかしその間の治療も行わなければならないため、博士と繋がりのある医者のいる病院に入院させることとなっており、その病院が裁縫の都に存在する、というわけである。

「黒髪さんの体に毒があるなんて、知りませんでした」

「本人もあまり言いたがらないからね。あの子に触らないでって言ったのは、そういうこと。ちょっとなら大したことないけど、何度も触ってるとこっちにも毒が回って来ちゃうから。昔は大変だったよ。僕も赤髪も程度がわからないから、よく博士に怒られたものさ。『おまえらの解毒剤を作っている暇はないんだヨ!』ってね」

 博士と繋がりのある医者、と柔い言い方をしたが、要はその人も裏の人間だ。

 医者として病院を構えているが、裏の世界ではホムンクルスや精霊族などの人外を診察する反面、研究する闇医者としての側面を持つ。

 そのため黒髪のいる病棟と一般病棟は分かれており、二人が入った病棟はどこか血の気が多い雰囲気。

 何せ人外の掛かる病や受けた毒は現代医学でも完治が難しく、廊下で血を吐いて死んでいるなど日常茶飯事。

 故に医者は彼らの体で研究をし、病の完治や毒の完全解毒を目指しているとのことらしい。

 黒髪もまた体内で生成される毒素を調べ、新たな薬の作成や解毒剤の作成のために入院させることを許されている。

「黒髪、入るよ!」

 扉をノックして、黒髪が入院している個室に入る。

 清潔とは言い難く、彼女の猛毒を放つ皮膚を覆えるよう、処理も施されていないモンスターの毛皮が彼女の体を包んでいるため、部屋は獣臭で満ちている。

 病院特有の簡素な作りの衣服も色あせて、裾の方は赤褐色の何かで汚れている。

 本来ならば、とても病人に着せていいような代物とは言えないだろう。

 それでも黒髪の体質を思えば、わざわざモンスターの毛皮まで引っ張り出してもらっている時点で優遇されていると言っていい。

 だから青髪に一切の文句はなく、苦しそうな顔もせずに涼し気な顔で寝ている黒髪の顔を見て、ただ安堵した。

 締め切られていたカーテンと窓を開け、眠っている黒髪の顔をタオルで拭う。

 無論、タオルにも毒が染み込むこととなるため、あらかじめ消毒剤が塗られているタオルだ。

 ただしその消毒剤も、黒髪が苦しんでいる要因となっている新たな毒に対応できているかわからないため、黒髪の顔を拭く青髪は直接触れぬように細心の注意を払っている。

 オレンジも黒髪の見舞いに来たものの、彼女に触れることは許されておらず、部屋を唯一彩っている花瓶の水を替えたり、戸棚の整理をしたりと黒髪に直接関わることはさせてもらえなかった。

「毒が気化する、といったことはないのですか?」

「博士はその可能性もあるって言ってたけど、今のところはないかな。その場合は多分、この部屋に入れさせて貰えなかったと思う。お医者さんがそう言わなかったってことは、今度もその心配はないってことかな」

「そう、ですか」

 ふと頭によぎった不安が消える。

 オレンジがその発想に至ったことに、青髪は少し驚いていた。

 今までの彼女ならば、毒の揮発性など気にも留めなかっただろう。毒についての知識が、圧倒的に不足しているからだ。

 そもそも一般常識すら異常と呼べるほど欠けていた彼女が、そんな発想に至れるのは、以前資料集めのために訪れた魔導図書館で得た知識のせいだろう。

 自分の名前も一般常識も何も知らない彼女の頭は、それこそスポンジのようにあらゆる知識を吸収していく。

 元々あった勘の鋭さも相まって、彼女は今、とにかく細かいことに気付く繊細な感覚の持ち主となりつつあった。

 それこそ災害レキエムと語り合い、彼を理解しようと思えるほどに。

 そう思うと、青髪はわずかばかりの嫉妬心すら抱きそうになる。肉体的成長をしないホムンクルスにとって、成長する生物は何よりも羨ましい。

 あらかじめある程度の知識を与えられているため、初めて物事を知るという感覚もあまりにも少なく、感動も薄い。

 故にオレンジの果てしない成長が疎ましく、羨ましく、嬉しくもあった。

 そういう意味合いで見れば、成長の可能性のあるホムンクルスである黒髪もまた、青髪には羨ましく映る。

 例え何度自分の猛毒に冒されてしまうとしても、そこに人間と同じ成長があるのなら、代償を支払ってでも得られるのならば、青髪は容赦なく代償を支払う覚悟すらあった。

 その羨みは、果たして人間への憧れか。

 それとも旧式が故の嫉妬か。

「そういえば、他のホムンクルスさん達はどちらに?」

「あぁ、裁縫師さんのところに行ってる」

「裁縫師……?」

「服を縫う職業の人達だよ。ここは一応、裁縫の都だしね。あとでちゃんと都を見てみようよ。綺麗なのとか可愛いのとか、たくさんの服があるよ?」

「服を作ってもらうのですか?」

「そ、いつも花嫁に着せてるウエディングドレス。あれいつもオーダーメイドなんだけど、それを毎回作ってくれる裁縫師さんがいて、元々今日が受け取りの日だったんだ。四人で今行ってるはずだよ」

「四人……?」

「あぁ、赤髪だけダンジョンでモンスター狩り。あの子、時々服燃やしちゃうから、博士が二度と持つなって。赤髪もエニックくんとの結婚式でウエディングドレス着たいから、結構ショック受けてたよ」

(あんた! 余計なこと言ってんじゃないわよ!)

 隣にいれば、赤髪がそう訴えてくる光景が安易に想像できる。

 赤髪と精霊族の王子エニックの恋模様は、未だ熱く燃えているようだ。

 彼から送られる手紙を見て、表情を綻ばせる赤髪の姿を度々目にしている。

 精霊族は移動民族なので公共の機関に頼んでも手紙が届くことはないのだが、二人は文通で通じ合っていた。

 きっと、二人だけの秘密のやり取りなのだろう。

 オレンジは偶然その場に出くわしてしまったが、赤髪は誰もいない部屋の片隅でコッソリと手紙の封を切って、誰にも邪魔されないよう気を配っていた彼女の様子を見る限り、きっと彼女だけに向けられた愛の囁きが綴られているに違いない。

 赤髪に絶対黙ってろと言われたオレンジは、今もその言いつけを遵守している。

 青髪も緑髪も誰も、文通など赤髪らしくないとからかうかもしれないが、馬鹿にすることはないだろうが、そういう問題ではないのだと察したからだ。

 文通など今までしたことのないオレンジだが、緑髪が貸してくれた小説や魔導図書館にあった本には、文通は直接は語れない思いをも語れる魔法のコンタクトなのだとあった。

 赤髪もきっと、普段素直になれない部分を文章にしているのだと思うと、その邪魔はできなかったし、したくもなかった。

「そうだ」

 と、青髪は思い出す。

 胸元から取り出したのが手紙だったので、赤髪の文通の件を思い出していたオレンジは何故か驚いてしまった。思わぬ形の不意打ちである。

「黒髪さんにお手紙、ですか……?」

「うん、黒髪にもいい人がいてさ。その人からの手紙が施設に来てたの、持ってきてたんだ。起きたら読んでね、きっと元気出るよ」

 黒髪が眠るベッドのすぐそばの水差しの隣に、手紙を置く。

 公共の機関に頼めば押される烙印が押されていなかったため、赤髪のときと同様に手段はわからないものの、秘密の手段を使って送られたもののようだ。

 宛名も差出人も名前はなし。

 ただし本来ならばノリで封をするところ、手紙は一本の針で封を止められていた。

 オレンジは見たことがなかったので知らないが、それは裁縫の際に仮止めで使う待ち針である。

 それが黒髪の文通相手の、無言の自己紹介だった。

「久方ぶりであります。銀髪少佐、配達任務を請け負いただいま参上致しました」

「はい、ご苦労様。銀髪ちゃん今日も綺麗ねぇ」

「お褒めにあずかり、光栄であります」

 銀髪の敬礼にも微動だにしない背中を丸めた老婆は、ニッコリと歯のない口を見せて微笑んでいる。彼女が受付をしている背後では、職人気質なのだろう老人が無言のままひたすらにミシンを動かして、今まさにドレスが作られていた。

 職人の手で作られるウエディングドレスは、豪奢に過ぎない美しさと可憐さを感じさせつつ、派手やかな装飾が施された見事な出来で、世界中の女性が憧れる純白で輝いていた。

 銀髪もホムンクルスとはいえ、一人の女性。

 軍人に憧れる少し特殊な感性の持ち主であるが、ウエディングドレスに憧れはある。

 今その瞬間に出来上がった見事な仕上がりに、銀髪は思わず息を呑んだ。

「まぁまぁだな。婆さん、ラッピングしてくれ」

「あいよ」

 ニコニコしているお婆さんと相対して、老人は少しも笑わない。

 老人が彼女に惚れる理由はわかるものの、その逆はまったく想像できないほど、老人には愛想がなかった。タバコを吹かす老人は、未だ眉間にシワを寄せている。

 ふと、受付でラッピングを待つ銀髪に気付いて、短く唸った。

「小僧のとこのホムンクルスか」

「銀髪少佐であります。ご無沙汰しておりますご老人」

「いつも小さいのがいただろ、どうした」

「今回は金髪と一緒であります。金髪の受け取る量が多く、一人では持ちきれないと判断致しました」

「そうか。ま、ゆっくりしていけ」

「お孫さんはお元気ですか?」

 老人はタバコを吹かす。

 銀髪の問いに対して、老人が返答を詰まらせたのはこのときだけだ。

 ふと二階に視線を配るが、天井に上る煙を見つめているわけではないのは、銀髪にも理解できた。

 二階からは気配も魔力も何も感じられないが、物音だけはする。

 ミシンを動かすペダルを踏む音だ。老人の踏むペダルに比べてぎこちなく、油の差されていない機械のような鈍い音が聞こえてくる。

「まだ引き籠もっとるわ。あの日からずぅっとな」

「黒髪大佐のため、でありますか」

「毒になれるのなら薬にもなれる。奴は未だに諦めておらん。その根性だけは、認めているがな……」

 毒になれるのなら薬にもなれる。

 だから彼女もきっと、素敵なドレスを着れるはず。

 その思い一つで日々、ドレスを作り続ける。彼女が彼にとって、薬だからだ。

 自分に生きる意味を与えてくれた。自分に生き続ける理由を与えてくれた特効薬。それがあの、人懐っこい黒髪の猛毒剣士だ。

 彼女のためならいつまでもミシンを動かせる。

 彼女のためなら何着でも、ドレスを作れる。

 彼女の猛毒を受けても穢れない最高のドレスを。猛毒に汚れない至高のドレスを。

 あの人のために、あの人が着れるドレスを。

 あの人が来たがっていたドレスを、自分の手で作り上げてみせる。

 父親も祖父も未だに出来ていない偉業を、自分が成し遂げてみせる。

 必ず、必ず――

 青年の部屋は薄暗く、光は窓から差し込む日光のみ。ただし手元だけは見えるよう、小さなライトだけがミシンの縫い目を照らして青年に見せている。

 部屋の奥にあるクローゼットとその周囲に置かれている箱の中には、入りきらないほど大量のウエディングドレスが入っているが、どれもこれもすでにシミがついていて薄汚れ、埃を被っているものばかりだ。

 青年はひたすら、ミシンのペダルを踏み続ける。

 狂気的に、盲目的に、熱心に、夢中でペダルを踏み続け、ドレスを作り続けている。

 作り続けて、早七年。

 未だ彼の求める物は出来たことがない。

 故にまだ、ペダルを踏み続ける。

 時折一瞥を配る先に飾ってある写真の中で、自分の隣に移る彼女のために。

 他でもない、黒髪のホムンクルスのために。

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