「百度参れど願いは一つ」

 青年、シャルル・クロフォードと彼女の出会いは唐突だった。

 カラスのような漆黒の黒髪をなびかせて、颯爽と現れた彼女の凛とした立ち姿に、祖父母からただ店番を任されただけの青年は見惚れてしまった。

 両腰に刀を差して、和装に身を包んだ彼女はこの国では珍しい出で立ちをしていたが、青年が何より奇妙と思ったのは、彼女の美しい顔だった。

 まるで陶器のように白く、人形のように整った顔立ち。

 とても人間の顔だとは、思えなかった。

「すまぬ、裁縫師の御子息か? 拙はかの外道の魔術師よりの遣いだ。依頼していたウエディングドレスを受け取りに来た次第。持ってきて頂けるだろうか」

「え、あ、は、はい! 今すぐ!」

 なんて綺麗な人なんだろう。

 なんて格好いい人なんだろう。

 凛としていて美しくて、まるで花のようでありながら、カラスのような漆黒の頭髪が肉食動物の強さをも思わせる。

 脚がもたつく。もつれて、転びそうになる。

 元々寡黙で、人付き合いが得意とは言い難い性格の青年であったが、今までに経験したことのない緊張感。

 ドキドキして、ズキズキして、焦燥にも似た感情が渦巻いて、階段を駆け上る脚を早くする。

 なんだこれ、なんだこれ、なんだこれ。

 僕は一体どうしてしまったんだ。

 僕は一体どうなってしまったんだ。

 青年の中で固定化されていたシャルル・クロフォードという人物像が、酷く歪んでいく。

 今まで以上に待たせてはいけないと思って、すぐさまドレスを見つけ出した。

 今まで以上にシワを作っちゃいけないと思って、慎重に箱に詰めた。

 今まで以上に落としちゃいけないと思って、慎重かつ迅速に運んだ。

「お、お待たせしました!」

「お、おぉ……すまない、急かしてしまったかな」

「い、いえ、そんな、ことは……」

 とはいうものの、肩で息をしている青年を見て彼女は急かしてしまったのだなと思う。

 同時、それがよく人から怖がられる自分の鋭い眼光にあると思ってしまった。

「も、申し訳ない。この眼光はその、生まれつきで。威圧的とはよく言われるのだが、その、決して高圧的な意味合いで其方を睨んでいたわけではなくて、だな……」

 急にしおらしくなってしまった彼女。

 しかし青年の胸の高鳴りは治まることを知らない。

 むしろ、凛として咲き誇っていた花弁の弱く折れそうな部分が見えて、守ってやりたいという感情が動かされた感覚で、弱弱しい彼女を見てむしろときめいてしまった。

「あ、あの――」

 そのときの自分を、青年は今でも大いに褒め称えている。

 よくぞあのとき前に出て、言ってくれたと自分を褒める。

 そうでなければあのときに、彼女とこれ以上繋がれる機会はなかったかもしれない。

「申し遅れました。僕は、シャルル。シャルル・クロフォード。ここで裁縫師の勉強をしている者です」

「これは、ご丁寧に……拙は名乗るべき名もない、博士の手によって作られた黒髪のホムンクルス。どうぞ拙のことは、黒髪と呼んでくれて構わないでござる」

「どうぞ、これからも祖父のドレスをご贔屓にしていただけたら、幸いです」

「ウム、博士によく伝えておくでござる」

 多分このときの宣伝効果があったわけではなく、単に祖父の裁縫の技術が認められたからなのだろうが、それから外道魔術師の遣いがウエディングドレスを注文し、それを受け取りに来るようになった。

 いつも黒髪の彼女が来るわけではなかったが、しかし彼女が来たときは嬉しかった。

 ホムンクルスという存在はとても美しく作られていて、他の髪色のホムンクルスらも美しく整った顔立ちをしていたが、青年は黒髪の美しさに一番心を動かされた。

 自身でも気付かぬうちにしていた初恋の味が忘れられず、脳裏の奥に焼き付いて離れない。

 彼女と会う度、顔を合わす度、胸の高鳴りは早くなって、緊張して、汗すら掻いてしまう。

 彼女と交わす短いやり取りですら、思い出になる。

 日常会話もほとんどなく、交流などそれこそ注文か受け取りのときにしかなかったが、彼女と言葉を交わしていることだけで嬉しかった。

 だが彼女の実態を知ったのは、それから半年ばかり過ぎた頃だっただろうか。

 祖母に買い物を頼まれたシャルル青年は、帰路の途中だった。

 その途中で、一匹の猫が横たわっているのを見つけた。

 近所でも有名な野良猫で、家という家を渡り歩いて色んな名前で呼ばれているような奴だったから、ただ昼寝しているだけだろうと思ったのは最初だけ。

 猫の脚がピクピクと痙攣していることに気付いたとき、シャルルは異常を察した。

 奇病かそれとも食べた物があたったか、とにかくこのままでは死んでしまうかもしれない。

 祖母も可愛がっていたし、放っておいてそのまま死なれるのも気分が悪いと、猫を抱き上げたときに気付いた。

 彼女――黒髪が倒れて血を吐いていることに。

「黒髪さん!」

 猫と買い物袋を置いて、無我夢中で駆け寄って一先ず仰向けにした。

 タオルで口元の血を拭い、呼吸と心臓の鼓動を確認する。一先ず呼吸はしていたし、心臓もちゃんと動いていたが、肌寒い季節の中で汗が止まらない様子だった。

 医学の知識がないシャルルはどうすればいいのかわからなかったが、放ってはいけないことだけはわかっていた。当然の結論だ。

 と、黒髪が目を覚ました。

 視界が霞むのか、青年に気付くのに一拍の間を要した。

「あなたは、たしか……裁縫師の孫、殿……」

「意識が戻ったんですね、よかった。今、医者の下へ運びます。少し辛抱してください」

「だ、ダメです……!」

 彼女は必死に突き離そうとする。

 だが力の弱い彼女の抵抗を振り払っておぶることなど、このときの青年にとって簡単なことだった。それでも、黒髪は彼から下りようとする。

「拙の体からは毒が分泌されております……拙に触れただけで体は痺れ、いずれ炎症を起こし、最悪命に係わってしまう。だから拙に触れてはなりませぬ……!」

 聞けば、倒れていた猫も黒髪の頬を舐めてしまったがために一時的な麻痺に陥っているらしい。だがそんなこと、青年には関係なかった。

 長く触れてはいけないというのなら、毒が体を侵すまえに運んでしまうだけのこと。

「走ります! 辛抱してください!」

 買い物袋と猫も急いで拾い上げ、彼女を背負って青年は走った。

 学校に通っていた頃以来の全力疾走。しかも両腕には猫と荷物の入った買い物袋。背中には一人の女性。帯刀している刀も決して、軽くはないだろう。

 そもそもシャルルのがたいはよくないし、腕だって細くて華奢だ。人一人を担いだ状態で走って送るなんてしたことないし、できる自信もない。

 毒が回ることも考えれば休憩も挟めない状況も合わさり、青年の体力は削られていく一方。

 段々と脚の先が痺れてきた。腕が痺れてきた。肺に空気が上手く入らない。意識が遠のいていく。果たして酸素不足か、体力の限界か、はたまた毒が回って来たか。

「シャルル殿……拙は、大丈夫です。直に他のホムンクルスが回収に来ます、だから……」

「そんな……よ、弱弱しい声で、言われたって! お、おいて行ける、わけ、ないじゃないですか! そんな、死にそうな顔で言われても、説得力が、ないじゃないですか! 間に合います! 間に合います! だから、だからもう少しだけ……もう、少しだけ辛抱を!」

 走って、走って、走り続けて、青年は息を切らす。肩で息をしながら、とにかく走る。

 気付くと、青年はベッドにいた。

 猫は、彼女はどうなったのかがわからない。

 跳ね起きると、すぐ側でマスクをした男が本を読んでいた。青年は知らない男だ。

「あの――」

「馬鹿な奴だヨ。あと一分あいつと密着してたら、全身に毒が回って解毒の難易度が上がってた。その手足を斬り落としたくなかったら、もう二度とあいつを背負うなんてするんじゃあないヨ」

「あなたは、一体……」

「あいつは私を博士、と呼んでいるかネ? それとも外道の魔術師、かネ? どちらでもいいが、私がそうだ。おまえの祖父には世話になっているヨ」

 世界で五人しかいない称号持ちの魔術師相手に、緊張を覚える。

 魔術の基礎程度しか学んでいない、魔術師とも名乗れない青年でも、彼を前にすれば緊張するのは当たり前のことだ。

 ましてや表舞台から姿を消したはずの人がいるのだから、驚くのも緊張するのも無理はない。

「まぁしかし、あいつが助かったのも事実だ。礼を言わなくてはならないネェ、見習い裁縫師」

「黒髪さんは! あの人は無事、ですか……?」

「あぁ、無事サ。すぐに解毒処置を始めたのがよかったんだろうネ。今回は解毒剤もすぐにできたヨ」

「……教えてください。何故、黒髪さんの体に毒が?」

「聞いて、後悔しないとは限らないヨ」

 深く頷いた彼に、博士は惜しみなく現実を突き付けた。

 ホムンクルスの特性と、それを克服するための実験として彼女を作ったことも包み隠さず、すべて話した。

 話を聞き終えた彼が博士に抱く感情がまず、怒りだったことは言うまでもない。

 同時、黒髪に対する憐れみと悲しみが込み上げて来て、シャルルは感情の入り混じった涙を流して泣いた。

 博士は彼を嘲る様子もなく、かといって罵る様子もなくただ本を閉じる。

 果たしてそこに感情はあったのか、感情を涙に変えてとめどなく漏らしている青年に博士の顔色がわからなかったのは、決してマスクのせいではない。

 そのとき青年に事実を告げた博士の顔に、感情など存在しなかったのだから。

「さて。見習い、決断しな」

「決断……?」

「おまえは黒髪を好いているようだが、奴はホムンクルス。しかも猛毒を持つホムンクルスだヨ。おまえが例えジジイになっていたとしても、奴はあのままの姿かもしれない。そうでなくてもおまえは一生、奴に触れられないかもしれない。それでも、おまえはあいつを選ぶのかイ? その愛が、一生続くと言う保証はあるのかイ?」

 青年は、博士の表情が読み取れなかったと言った。

 だがこのときだけ。この問いをしたときだけ、青年は博士の眼差しから感情を見た。

 すでに答えは知っている。目の前の青年が、どう答えるかなど分かり切っている。

 この問いは、しなければならないからするだけで、目の前の青年がどう答えるかなど、博士には手に取るようにわかっていたかのようだった。

 故にもうわかり切った答えを、青年は返す。

「はい。僕とあの人の交際を認めてくださりますか?」

「ならば、私から言うことはないヨ。だがその気持ちは、まだあいつには伝えてないんだろ? さっさと行きナ。交際できるかどうかは、おまえ次第だヨ」

 それだけ言って、博士は行ってしまった。

 直後、青年も動く。

 部屋を出ると、そこには一緒に抱えてきた猫が待っていた。

 猫は青年を見上げると意図を汲み取ったのか、そそくさと歩いて行く。

 青年はただ、そのあとに着いて行った。

 一定のペースで歩く猫は、おまえのために探しておいたぞと言わんばかりに背中で語っているように見えた。

 だから部屋の前で止まったとき、青年は猫の頭を撫でる。

 猫は役目は果たしたと言わんばかりに走り去って、青年は猫の姿が見えなくなるまでその場で見届けてから、扉をノックした。

 返事が返って来たので入ると、特注なのだろうか、他のベッドとは明らかに違う質の毛布を膝までかけた状態で上半身を起こしていた。

 黒髪は青年の顔色を見てホッと、安堵した様子で胸を撫で下ろす。

「よかった……拙の毒が回ってなかったかと、心配しておりました」

「先ほど、博士とお話させて頂きました。あなたの毒のことも、聞かせて頂きました」

「そう、ですか……この度はご迷惑をお掛けして、大変申し訳ございませぬ。重ねて、お礼申し上げます」

「そんな、当然のことをしたまでです」

 彼女がなかなか下げた頭を上げてくれないので、青年は戸惑う。

 さらに顔を上げないのが、泣いている顔を見られたくないのだと気付いて、戸惑いはさらに増すばかり。

 掛ける言葉が見つからない。

「本当に、あの猫もあなた様も、ご無事でよかった……本当に……」

 相当、心配してくれていたのだろう。

 自分だって大変だったのに、運んで来た青年と猫のことを心配して涙してくれるだなんて、心根はとても優しい人なのだ。

 毒を放つ皮膚なんて、他の人の温もりも感じられない体。なりたくてなったはずはない。

 事実、あの外道魔術師の計画によって作られた被害者だ。

 自分には、彼女をただのホムンクルスとして見ることができない。

 だから自然と、指は伸びた。彼女の涙を拭うために。

「いけませぬ……! 拙に触れてはまた――」

「受け入れます。あなたの毒も、あなたの優しさもすべて。受け入れさせては、貰えませんか」

 振り払おうとした彼女の手を取って、強く握り締める。

 指先が焼けるような感覚はあったが、離す気などなかった。

「一目惚れです。黒髪さん、僕と交際していただけませんか。僕と結婚してください」

 黒髪はまた涙する。

 涙は毛皮を濡らし、同時にジュッ、と溶かしたが、それは最初だけだった。

 途中から無音の、冷たくしょっぱいだけの涙ばかりが溢れて止まらない。

「拙は、猛毒のホムンクルスです……例え実験が上手くいったとしても、貴方と同じ時を生きられないかもしれませぬ。先に毒に殺されるか、貴方様が老いて行く隣で、このままの姿で不気味に生き恥を晒し続けるかにござる……それでも、それでも拙を、番に選んでくださると?」

「僕はまだ裁縫師としても見習いで、あなたを幸せにできる力も何もない。だけどきっとそれだけの腕を身に付けて、必ずあなたを迎えに来ます。だからそのとき、僕と結婚してください。あなたが好きなんです」

「勿体ないお言葉……なんて、拙にはもったのうござる……拙は、拙は……」

 泣き続ける。泣きじゃくるせいで言葉が出てこない。

 故に先に、彼女の手が動いた。

 自分の手を取ってくれている彼の手を、そっと握り返す。

「拙のような不出来でもいいのでござるか」

「はい」

「拙のような……不気味な魔物でもよろしいと申すか」

「はい」

「拙の、ような……猛毒の獣をも愛すると、言うので、ござるか……」

「僕はあなたを愛しています。あなたが店に現れて来てくれたときから、ずっと」

「……はい。ですが、必ずこの体は治します。必ず治して、貴方と同じ時を生きるにござる。だからそれまで、待っていて頂けましょうか」

「僕も待っています。あなたが着れる素敵なドレスを作って、ずっと待っています。何年だって、百年だって待ちます」

 それ以来、青年は黒髪の解毒を待ち続け、ペダルを踏み続け、ドレスを作り続けている。

 猛毒を放つ彼女の皮膚に耐えられる素材となれば、そこらの安物では足りない。

 故に素材を選び、デザインから何からすべて一人で行い、彼女のためだけにドレスを作り続ける。

 時々他の人のドレスも作って勉強しながら、絶えずドレスを作り続けた。

 そして七年。彼は未だドレスを作り続けている。

 七年間、夜の数だけ神に祈った。

 それまで信心などなかったが、しかしそれでも知りうる限りの神々に祈りを捧げ、ドレスを作り続けている。

 百の神に祈り、百度祈ろうとも願いは同じ。願いはずっと、ただ一つ。

 七年間、ずっと同じ願いをドレスにして紡ぎ続ける。

 それがどれだけのいばらの道だとしても、彼は未だ、一つの願いを祈り続ける。

 その祈りは、この七年という歳月を経て、形になりつつあった。

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