外道魔術師と裁縫師

裁縫の都

 ラストオーダーとその周辺諸国に、静寂が取り戻されたのは一ヶ月ぐらい経った頃だっただろうか。

 とにかく、災禍と【神童】の戦いに巻き込まれた国の復興は進んでいた。

【神童】の魔術師は世界政府からの依頼とはいえ、周辺諸国への甚大なる被害を齎した罰として財産のおよそ七割を没収。周辺諸国の復興予算に充てられた。

 それ故に復興は一ヶ月という短い期間内でも大きく進み、政府派遣の魔術師らの手によって一先ず人々が最低限度の暮らしが約束される程度には回復していた。

 霊峰ラストオーダーに戻った災禍を狙うハンターは、この事件をきっかけに大きく減った。

 かの五大魔術師の一角でも落とせなかったと、皆が恐れたがためである。

 しかしそれでもゼロには至らない。

 狩れば孫の代まで一生を遊んで暮らせる財産が手に入ることに違いはなく、精霊族と違って居場所がすでに特定できていることから狙う者は少なくなったとはいえ後を絶たない。

 だが災禍の放つ瘴気を前に理性を保つことすら難しく、対峙することすらまず適わない。

 しかし遠目から望遠鏡を使って対象を確認することはできる。

 さすがに狙撃は無理だが、確認するだけならば誰でもできる場所が存在するのだ。

 故に彼らは彼女の存在に気付く。

 この一ヶ月の間に度々目にする少女の姿。瘴気を放つ災禍を目の前にわざわざシートを引き、ちょこんと正座する小さな少女は、何やら災禍と話し込んでいるように見える。

 読唇術ができるような角度と距離ではないし、災禍にはまず表情というものがないから話題を想像することもできない。

 だが彼らの雰囲気からしてみても、敵対しているようには見えなかった。

 どこぞの教室の片隅で自己紹介をし、互いの身の上話でもする新学期の学生とでも表せばいいだろうか。そんな、初々しい雰囲気が見て取れる。

 少女の存在を確認した者達は、英雄譚を語るが如く世間に広める。

 災禍レキエムと親し気に話す少女が現れた。

 彼女こそ、災禍をあの霊峰に繋ぎ止めてくれる楔なのだと。

 橙色の長髪の、白い礼装を見にまとった可憐な少女に、災禍が心を開いたのだと。

 噂は飛び交い、わずか一ヶ月で世界中に知れ渡る。

 知らないのは、当の少女本人だけだ。

「オレンジ! そろそろ帰るよ!」

「あ、はい」

「もう行ってしまうのか」

「はい、名残惜しいですが」

「そうか……」

 この一ヶ月で、お互いに自己紹介も含めて様々な話をした。

 主にレキエムが災禍となった経緯について、オレンジは彼の話をずっと聞いていた。

 スラム街にて生まれ育ち、美声による歌声で神祖として祭り上げられた挙句、疫病を退ける人柱として何重にも魔術をかけられ、作られた存在であるということ。

 オレンジは彼の話を、ずっと黙って聞いていた。

 周囲からしてみれば、淡白と映るかもしれない。

 涙も流さず励ましの微笑みも湛えず、無表情のままにただ黙って彼の話しに耳を傾ける様は、淡白と言われても仕方ないかもしれない。

 だが対しているレキエムからしてみれば、彼女の瞳が嬉しかった。

 彼女の瞳は感情こそ欠落しているものの、理解しようと努める瞳をしている。

 誰もが敵としてしか、災害としてしか、厄災としてしか見ない災禍レキエムを、理解しようとしている目だ。

 彼の立場を理解して、彼の力を理解して、自分が同じ立場だったならどうするか考える目をしている。

 理解とは興味だ。

 災禍レキエムという存在に多大なる興味を示すオレンジという存在は、この上なく大きい。

 生物にとって最大の暴力は、無関心だ。

 誰にも理解されず、彼の経歴に興味も持たれず、ただ報酬のために命を狙われる災禍という存在にとって、理解してくれる存在。あり方に興味を持ってくれる存在はこの上なく大きい。

 故に自分の話を黙って聞いているのは、理解のための時間なのだと思えば、レキエムにとってこれ以上嬉しいことはなかった。

 同時、オレンジが記憶喪失で一般常識も大きく欠落していることをレキエムも聞いていた。

 彼もまた彼女の話を黙って聞き、彼女のことを理解しようとしていた。

 一体彼女がどこの生まれで、何故自分の瘴気にすら耐えうるのか。

 レキエムの中で様々な仮説が立てられたが、どれも仮説の域を出ない。

 自分では実証する術もなく、外道の魔術師に託すしかないというのが彼の結論だった。

 本当ならば彼女のために世界中を駆け回りたいところだが、自分が一歩外に出ただけで世界は混乱と混沌に包まれる。それは望ましいものではない。

「息災でいてくれ」

「あなたも……出来ることなら、こんな寂しい場所じゃない場所で、会いたいものですが」

「ここは私のために用意された霊峰なのかもしれぬ。そんなわけはあるまいが、しかしまるで誰かが、世界そのものが私という災禍の登場を予期していたのかもしれぬ。だから私は、ここでいいのだ。また汝が会いに来てくれる時を、私は待ち続けよう」

「はい……私も、もっとあなたとお話をしてみたいです」

「そう言ってくれるのは、汝だけだ」

「ではまた、後日」

「あぁ、楽しみにしている」

 レキエムと別れたオレンジは、迎えに来てくれた青髪の相棒である翼竜の背に乗って霊峰から飛び立つ。

 青髪の背中にひしとしがみつくオレンジは、遠くなっていく霊峰の最奥を見つめていた。

「レキエムさんとはどう?」

「とても、優しい方です。お話ししているとわかります。あの方は、本当は、何も悪くないのに。でも、わかってしまいます。あの方の声が、歌が、美しいということは。それが誰かの、拠り所となっていたことは。それでも、やっぱり、あの方は……」

「可哀想?」

 青髪が代弁する。

 そうしなければ、オレンジは泣きそうですらあった。

 初めて、オレンジの無表情が崩れかけているところを見て青髪は微笑む。

 災禍に対して可哀想などと言ってしまえる存在は、きっと彼女だけだろう。一般常識が、災禍という存在への認識が欠如している彼女だからこそ、そんなことが言える。

 青髪らホムンクルスはそれこそ、一般常識を生まれてすぐさますべて叩きこまれるので、そのような発想には至れない。

 故に災禍に対して可哀想と言えるオレンジの存在はとても貴重で、希少。

 だからこそ博士も彼女とレキエムを定期的に合わせているのだろうなと、青髪は考えていた。

 もしかしたら、もしかするのかもしれない。

 そんな可能性の片鱗すら見せられる。

「とりあえず、このままちょっと都に飛ぶよ!」

「都? 施設に帰るのでは、ないのですか?」

「それがちょっと予定変更でさ! 黒髪ちゃんがちょっと……とにかく、飛ばすからしっかり掴まってて!」

「は、はい」

 手綱を握り締めた青髪に掴まって、オレンジは翼竜の背に乗って飛ぶ。

 向かうは都。山の上に聳えるように存在する、桃源郷とも呼ばれる場所。

 裁縫の都とも呼ばれる、衣服の大都市である。

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