「いつかあなたの隣を、勝ち取る日まで」
初めて彼女と出会ったとき、まだ幼さを残す少女を相手に、エニックは恐怖にも似た感情を抱いていた。
なんて荒々しく、禍々しい炎をその身に宿しているのだろう。
少女はまだ作られたばかり――いや、生まれたばかりというが、同じホムンクルスを見て、少女と同じ存在だとは思えなかった。
すでに少女はそこらの精霊よりも数倍、数十倍の時間を生きていたかのように悟った表情をして、酷く沈み切っていた。
自己否定の末、自分が心底嫌いになったのだと、同じく自己嫌悪の癖が抜けないことを自覚しているエニックは悟った。
故に彼女の宿す炎に恐怖を感じつつも、放っておくこともできず、同じ自己嫌悪に呑まれる仲間として、エニックは少女を気遣い始めた。
「お嬢さん、私と一緒に散歩でもしませんか」
初めて散歩に誘ったのは、少女が少女と呼ばれる姿から青年へと成長する過程の途中にあった頃。
精霊族と人間の肉体の成長速度は違うし、王と魔術師の取引の際にしか会わないため、二、三度会っただけで、すでに彼女は大人びていたように思える。
それ故か、魔術師の側を離れることを許されたのか、そのとき少女は一人だったため、誘うことを決めた。
一定の期間を過ごせば、住む場所を変える精霊族。
二人の散歩コースは、毎度違う風景の中だった。
緑もない岩肌の山脈地帯の次は、赤、青、黄と色鮮やかな色彩で彩られた山道だったこともあったし、湖の畔を歩いた次は、穏やかに流れる川の隣だったりもした。
花の匂い。
水の香り。
植物が風に吹かれる様。
動物が駆け回る様。
モンスターの咆哮すらも、二人の散歩にとっては一風景に過ぎない。
何度も二人で歩きに出て、同じ風景を見て、同じ匂いを嗅ぎ、同じ風に吹かれる。
二度、三度、四度――回数を重ねるごと、二人の歩幅と歩速は、少しずつだが揃っていった。
隣り合う距離は少しずつ、互いに惹かれるごと、縮まっていく。
休憩のときに肩を寄せ合うようになるまで、長い時間は必要なかった。
弛まない歩み寄りによる功績だった。
時々しか会えないという状況すら、会えない時間が二人に、互いを思う時間を与える。
互いに互いを思い続け、自己嫌悪のために燃えていた炎は、互いへの恋心のために燃えるため、
燃え上がる情炎は絶えず、今も尚燃え続ける。
時間が経つほどにより熱く、荒々しく。
さながら、神代。神話の時代に神祖と謳われた精霊が宿す、炎のように。
▼ ▼ ▼ ▼ ▼
「うわぁ、巨人だよ巨人! 見てみて緑髪!」
「あぁ、わかっている。そこの山より頭の方が近いとは、呼吸できているのか、あれは」
空を飛ぶ施設から、ホムンクルス達は巨人を見下ろす。
手を上へと伸ばして来れば、届きそうとさえ思えるほど、巨人の大きさは上空からでも視認できた。
無論、そうならないほどの高さを保ってはいるので、心配する必要性のない杞憂なのだが。
「みんな、大丈夫かなぁ」
「取引の中止は聞いているが、あの男が手を貸すとも思えん。取引は未だ、成立していないだろうからな」
緑髪の慧眼通り、取引の成立していない博士が精霊族に手を貸す可能性はゼロに等しい。
現に博士は巨人を見据えていながら、未だ動こうという気配が見られない。
手を貸さないだけならまだしも、逃げ出そうともしない。
巨人を迎え撃つために出ていった仲間達を見送ったジュリエットは、神殿の階段で座り込む博士より上段から、巨人の膝頭を見つめて吐息を漏らす。
「仲間のことが心配かネ?」
「……あなたには、心配すべき仲間はいないのですか?」
「足手纏い、の間違いではないかネ。私がそんなものを作ると思っているのかい? 私も見くびられたものだネェ」
精霊族の攻撃が始まったようだ。
雷撃の魔法で動きを麻痺させ、光の槍と炎熱で攻め立てる。
しかし巨人の強靭な肉体は、ダメージを負っていると言えるまでの傷を早々受けるものでもない。
巨人は精霊に気付くとすぐさま反撃し、巨山よりも高い位置から隕石並みの巨拳を振り下ろして、潰しにかかる。
巨人の体勢が前のめりになったのを見計らって、飛行能力を持った精霊が飛び上がり、目玉を狙う。
だが巨人は対策としてゴーグルを付けており、精霊らは標的を変更せざるを得なかった。
同時に精霊族の守護兵、スプリガンが巨人の足を狙う。
魔力で泥と岩を捏ねて造ったモンスターの振るう巨岩の斧は、虹の架け橋に来る冒険者がまとう装甲をいとも容易く粉砕し、血肉を断つ。
だが、巨人の皮膚は一般の冒険者がまとう装甲よりも硬く、斧が入っても、人間にとって蚊に刺された痒み程度にしか感じず、巨人は一歩踏み出すだけで潰していく。
「精霊……精霊……! 俺は、おまえらを喰って不死に……?!」
突如、襲い掛かる炎熱。
最長で五百年生きる巨人族。
彼が今日までにどれだけの年月を生きたのかはわからないが、彼は生涯で最も熱く、最も痛い火柱の中で焼かれていることは間違いない。
現代に生きる
さらに言えば、このとき巨人が喰らっている炎の中に、一際緋色に輝いて燃える炎があった。
炎は巨人を影諸共焼き尽くし、本来燃えない骨すらも灰にし兼ねない勢いで、高々と天を突く火柱となって燃え上がる。
「効くかぁぁぁっ!!!」
「なら、熱量を上げるだけよ! エニック!」
「承知! 二人でやるぞ、赤髪殿!」
「えぇ!」
緋色の炎熱に、橙色の炎熱が加わって、巨人を焼く。
何度も炎を払い除ける巨人を、ひたすら火柱が焼き続ける。
黒い影は大陸の果てまで届きそうなほど長く細く伸びて、世界は低く呻く断末魔を、世界の終焉を示す七つの管楽器だと勘違いした。
神話には炎から生まれた巨人が登場するが、果たしてそれがこのとき皆が見た、炎に包まれ焼かれる巨人を指すのかはわからない。
しかし巨人の姿は神話のそれを彷彿とさせるほどに、世界を震撼させた。
「巨人を呑み込むほどの炎を……赤髪の娘は、本当に、我らが祖先の炎を宿しているのか」
「……あれだけのものを出せる精霊は、もういないかネ? 悲しいことだヨ。かつて最も神に近しい種族であり、神ですらあったおまえ達が、人間の作るホムンクルスに劣るとはネェ」
「あの娘、くれてやる気は無いか」
「おまえは赤髪が欲しいのかネ? 赤髪の力が欲しいのかネ? 花嫁が、欲しいのかネ? まぁどちらにせよ、くれてやるつもりはないが、花嫁の依頼だったら受け付けるヨ。仕事だから、ネェ」
痛い、痛い、痛い。
熱い、熱い、熱い。
痛い、熱い、痛い、熱い、痛い――
体が死を訴える。
皮膚が溶ける。
まとっている装甲が燃えて、今の今まで声を発していた喉が焼かれて、もう断末魔を上げることすら適わない。
不死となり巨人の王となる。
その野望のためだけにここまで出て来たが、その野望もここで潰える。
燃え尽き、灰となって消え去る。
せめて、せめて、この身を焼き尽くす精霊の姿の、一片だけでも。
戦士の矜持か陶酔している誇りか、巨人は自分を殺す者の姿を目に焼きつけようとする。
そしてその姿を見た瞬間、見ること能わずと言わんばかりに、目が蒸発して焼き消えた。
だが巨人は見た。
なんとも美しい姿だった。
赤い髪を振り撒き、番と共に炎を操る女だった。
その姿を見て巨人は思う。
その女を喰っていれば、果たして不死になれたのだろうかと。
「“
巨人が燃える。
世界を進撃し続けた、誇り高きミズガルドの巨人兵士は、世界に名を知られることなく、野望に燃え果てた。
同時、世界は巨人の代わりにとある存在を明確に認知した。
精霊を超える炎を操り、巨人をも燃やし尽くした、赤髪のホムンクルスの存在を。
▼ ▼ ▼ ▼ ▼
「ちょっと、話があるのだけれど」
巨人の襲撃から三日後の朝。
ジュリエットとの取引を終え、精霊の死体とその分だけのホムンクルス兵を交換した博士は、もう用はないと飛び立とうとしていた。
数日間待たされた老齢の狼は大あくびして、博士が乗るのを待っている。
オレンジは狼の上から、真剣な眼差しの赤髪を見下ろす。
「私、エニックの番になるわ」
「それを私が許すとでも?」
「許さないでしょうね。だから、あんたの計画が終わったらにするわ」
「何?」
「あんたが欲しいのは、目的を達成できるホムンクルス。それさえ作れれば、私達は用無し。なら、そのあと私達がどこでどうしようと、自由よね? だから戦ってあげるわよ。どんな素材でも集めてあげる。だから……目的を達成した後は、私を自由にしなさい」
妥協案、と言ったところだろう。
博士はニンマリと口角を持ち上げる。
「よろしい」
マスクによって隠れていたが、博士の口角は確実に、笑みを湛えていた。
少なくとも、オレンジはそのように博士の声を聞きとった。
「では早速、オレンジに注ぐ龍種の血を取って来ナ。昨日は好きにさせてやったんダ、その暴力的なまでの強さで、せいぜい頑張ることだネェ」
「えぇ、望むところよ。やってやるわ、外道!」
見送りはない。
精霊の皆、外道の魔術師を歓迎しているわけではないのだ。
エニックも本当ならば、見送りに来たかったことだろう。
周囲からの反対は多く、赤髪だけならまだしも、外道の魔術師見送るような真似だけは、させて貰えなかったのが見て取れる。
だがその分、赤髪は昨日、博士の言うように自由を言い渡された。
奇しくも昨日は、世間では聖夜。恋人達が寒空の下、互いの恋心を確かめ合う日。
故に赤髪も、昨日はたくさんの愛を彼に注ぎ、彼からたくさんの愛情を注がれた。
例え、今この場にいなくとも、昨日注がれた愛情が、熱となって、彼が見送ってくれていることを教えてくれる。
だから、もう少し待っていてと、赤髪は返す。
戦うから。
戦い続けるから。
だから待っていて欲しい。
いつかあなたの隣を、勝ち取る日まで。
それまでどうか、あなたの炎を、誓いを燃え上がらせていて――
――それまでずっと、私もあなたを好きでい続けるから
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