外道魔術師と魔蟲の姫君

「命に平等など存在しない」

 世界は新たな年を迎えた。

 世界全土を揺るがしたミズガルドの巨人兵進撃事件はまだ人々の記憶に新しく、前年最後にして最大の事件として、未だ滅んだ国の人々を追悼する動きが未だ続いていた。

 だが命を尊ぶ彼らでも奴隷を飼い、人権を奪っていると言うのはなんとも矛盾した話。

 奴隷は今日も人々にこき使われ、買われ、死んでいる。

 そのことに疑問を持ち、奴隷を廃した国も、時代の流行と共にいることは確かだが、未だ根強く奴隷文化が残り、奴隷を飼い続ける国も存在する。

 つまりはその国に売るため、奴隷を狩って来る国も存在するわけで――

「そぉらそっちに追い込んだぞ! 挟み込め!」

 ダンジョン、見捨てられた樹海。

 神話時代に神々と獣人が住んでいたが、人間によって追い出され、以降神の加護を失ったと伝えられる森。

 針葉樹が多く自生し、冬には大量の氷柱を下げる白銀世界へと変わる。

 未だ、獣人族が住むこの森は、度々人間が入り込んでは彼らを捕らえ、奴隷として連れ攫って行く。

「獲物は脚を怪我してる。そう速くは走れんぞ、必ず捕らえろ!」

 馬の蹄が、凍り付いた森を駆け抜ける。

 蹄鉄が地面を蹴る音から人間との距離を感じ、焦りから全力で走るが、かれこれ数キロの距離を全力疾走し続けて、子供にはもう体力がない。

 脚の銃創から血を噴き出し、ボタボタと血の跡を残しながら走る彼女を追う人間は、もう片方の脚も撃ってやろうと、馬の手綱から手を離して銃を握る。

「両脚使えないんじゃ、商品として価値が下がるぞ!」

「そこまでの深手は、負わせねぇ、よ!」

 残酷無比な冷徹なる銃弾が、少女の脚を撃ち抜いた。

 両脚を撃ち抜かれた少女にはもう逃げる術がなく、その場で倒せ伏す。

 馬から降りた人間は、ここまで手こずらされた腹いせに、商品であることを忘れて頭を踏み付けた。

「ったく、獣人の癖によぉ」

「おいおい、大事な商品だ。丁重に扱えよ。ま、さすがに俺達も一発ヤってから売るけどなぁ」「出たぁ、先輩のロリコン発言。こんな胸も膨らんでない女の子でシコシコして楽しいんですかねぇ」

「うるせぇ、女は胸だけじゃねぇんだよ」

 両脚の痛みと過度の疲労。

 少女が立つために必要なものはすでに搾り取られて、気力さえも、彼らの会話から奪い取られる。

 自分はこれからこの人間達に犯されて、他国に売られ、そこでも一生を性奴隷として殺されるまで生きなければならない。

 そう思うと怖くて、死にたくて、消えたくて。

 なんで獣人族になんて生まれてしまったの、と己の運命を呪って、大好きなはずの父と母にさえも八つ当たりで恨む。

 奴隷にされる者、とくに獣人の少女は、こうしてまず自分を捕らえに来た人間の慰み者にされて心を壊され、完全な言いなりと化すのである。

 と、そのときだった。

「もし? そこの逞しいお方? ……もしよろしかったら、そのような少女よりも、いかがですか?」

 ふっくらと膨らんだ肉付きのいい胸と、細くくびれた腹部を見せつける意匠に身を包み、頭には真白の毛並み揃った獣の耳。

 赤い瞳は影の中で妖艶に光って、臀部から生える太い尻尾が、飼い主に懐く犬のように大きく震える。

「おいおい、獣人の娼婦かよ。こりゃあ丁度いいぜ」

「その代わり、その子を見逃して頂くことになりますが……」

「あぁ、いいぜ」

 無論、嘘だ。

 かれこれ数時間かけてようやく捕まえた獲物だ、逃すわけがない。

 女は女で楽しむだけ楽しんで、足腰立たなくなったところで少女諸共国に売ってしまう算段である。

 人間は女の体に魅了され、無警戒のままにズボンを降ろした。

 と、そのとき。

 ぶちぃぃっ、

 と、肉が裂ける音。

 見ると、女の口淫を求めて脱いだ男の局部が、筒状の口に無数の牙を持つ蟲の群れに食いちぎられていた。

 まず痛みが襲い、気色の悪い声で鳴く虫の気色悪さに恐怖で侵食される心。

 そのまま自分の体を這い上がって来ようとする虫を手で払い除け、ようやく銃を取り出して虫を殺していくが、虫は絶えず湧き出てくる。

 どこからだと元を辿ってみれば、虫が食いちぎった自身の局部があった場所から、小さな虫がぞくぞくと湧き出ているのを見て、一気に吐き気を催した。

「た、助け――!?」

 助けを求めようとして出した声は短い。

 いや、短くなってしまったというのが正しいか。

 見ると、仲間達がすでに虫の餌食となっていた。

 人間と同じサイズの蟻が、二人の仲間の頭を食いつぶして、小さな蝶が残った胴体の血を吸っていた。

「いかがです? 虫と交わる気分は」

 見ると、女を守るように這う虫、蟲、ムシ。

 彼らが捕まえた少女も巨大なカマキリがその背に乗せて、女の方に運んでいた。

「て、てめぇ……騙しやがったな」

「いつ私がお相手するなどと言いましたか? あなた方の相手など、この子達で充分です。その子達は他種族の局部を食い破って精巣に侵入し、卵を植え付けます。ものの数秒で受精、孵化し、宿主を喰らいます」

「この……獣人風情が――」

「黙れ、人間風情が。あなた達など、虫の餌で充分です」

 地獄のような光景が広がる。

 ひたすら静寂の中で響く咀嚼音。

 白銀世界に広がる血溜まりの勢いは治まらず、肉塊と化した狩人に虫という虫が喰らいつく。

 女は羽を広げて羽ばたくカマキリに乗り、少女と共にその場から飛び去った。

 少女は、両脚の痛みと助かったという安堵から、ひたすら抱かれる女の胸で泣きじゃくる。

「怖かった」と何度も繰り返す少女に、女は「大丈夫」と繰り返し応える。

「国に帰ったら、治療してあげますから。もう少し、もう少しの辛抱ですよ」

 神々に見捨てられ、人間に奪われた樹海だが、数百年もまえに獣人が取返し、一つの国を建国した。

 獣人と人獣だけが住む、針葉樹林に護られた、天然の要塞を要する世界で唯一の皇国。

 精霊族の魔法のような異能は持たないものの、飛び抜けた身体能力と野生を持つ彼らを束ねるのは、【怪物】の異名を持った狼の人獣皇帝、コルラッド。

 その血を受け継いだ狐の獣人皇女アントワネットは、今や滅亡寸前の虫使いの魔術師であると同時、その姿を見たことがない正体不明の皇女として、伝わっていた。

 彼女の姿を見た他種族は一切の例外なく、彼女の操る虫に食い殺されているからである。

 故に彼女の容姿が伝わったことはなく、未だ誰も、彼女の姿を世に伝えたことはない。

「って、すごい有名なんだよねぇ」

 と、青髪は語る。

 オレンジは表情筋こそ鈍いものの、内心はとても不安に駆られていた。

 何せ青髪が今話してくれた相手は、博士が次に取引を持ち掛けようとしている相手だからである。

「だ、大丈夫なのですか……? その、危険、では」

「大丈夫だよぉ。交渉するのは博士だしぃ、何より僕らには彼女がいるからね! ねぇ、緑髪!」

 その名の通り、緑色の頭髪。

 側頭部の代わりに上部に生えている獅子の耳。

 尾骶骨から生えるのもまた、紛れもない獅子の尾。

 神樹から作られた弓を携える、獅子の獣人との混血のホムンクルス。

 外道の魔術師に作られた緑髪は、一人落ち着いて珈琲を嗜んでいた。

「安心しろ、オレンジ。私がいる分、彼らの警戒度も下がるだろう。問題は皇女だが、私がいる限り、おまえに指一本、それこそ虫の節一つ触れさせんさ。安心しろ」

 世界から最も奴隷とされる種族が集まった国。

 そこでオレンジは、改めて知ることとなる。

 命に平等など、存在しないと言うことを。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る