「私が戦う理由」
北欧のミズガルドと言えば、神話の時代より語り継がれる伝説の国。
絶海の孤島状態の島国は絶えず深い霧がかかり、観測することは適わない。
ごく稀に、その国より大陸へと来訪者が現れる。
大陸の現存種を遙かに超えた、山よりも頭一つ飛び出た大きさの、巨人族が。
「止まれ! ここは王国の入り口である! 止まるのだ、そこの巨人!」
脚にでも耳がついていないと聞こえそうにないほど、巨人の頭は空を突き抜けて見える。
国土を丸々取り囲むアクロポリスの王国の入り口に差し掛かった巨人は、足下の、自身からしてみればごま粒程度にしか見えないだろう人間を見下ろす。
聞こえているようだが、脚に耳があるわけではない。
聴覚を含めた巨人族の身体能力が、高い証拠だ。
「ここから先は王国の入り口である! 迂回せよ、巨人族!」
彼らの住むミズガルドが、果たしてどれだけ巨大な島なのか、人類に想像する余地はない。
彼と同じ大きさの巨人が、何千人も住んでいるミズガルドの大きさは、島国などという規模で収まるものでは決してないだろう。
海を歩き、島を抜けてくる巨人は数年おきの頻度でいるが、抜け出てくる理由は様々である。
外界と隔たれたミズガルドの情報は、あまりにも古い。
時に数十年前の迷信を未だ信じて、出てくる巨人がいるほどだ。
そして今回、この巨人が島を出て来た理由こそ、その迷信だった。
「精霊を喰うとよ、不死身になれるんだとさ。だから、なりに来た!」
巨人の皮膚は、巨人族がそもそも人間という種族から、突然変異で巨大化したものとされる説を、定説にし得ない要因でもあるほど硬い。
鎧じみた装甲をまとわずとも、振り下ろされる拳は岩板を砕く。
銃火器や、中規模以下の魔術攻撃すらも耐えうるため、巨人は魔術を必要としない。
遥か太古に存在したレッドハンドと呼ばれる巨人種のみが、魔術を習得していたという伝説はあるものの、本陸の巨人もミズガルドの巨人も、現存する巨人は誰も魔術を使えない。
ただし彼らは魔術を必要とすることがなく、例にもれず、その巨人も持ち前の怪力だけで、アクロポリスを形成する王国の防壁を破壊した。
巨人は防壁を乗り越え、人々も家屋も構うことなく進撃し、踏み潰していく。
「精霊族はどこだ! 精霊の王を喰えば、俺は不死となり、全世界の巨人の、王となれるのさ!!!」
巨人の進撃は、一つの王国を滅亡へと導いた。
世界を横断する巨人の進撃と、彼の狙いが精霊族であることは瞬く間に全世界に伝わり、虹の架け橋の精霊族にも、その噂は伝わっていた。
結界をより強固に張り直し、世界中に散らばる精霊族に招集をかける。
魔法の使い手であり、世界に名を馳せる実力者達。
同胞にはもちろんのこと、他種族の魔術師からも尊敬の念を集める精霊が集結し、巨人を倒すため知恵を出し合う会議が開かれた。
取引のためにまだ博士とオレンジ、赤髪はいたが取引は完全に中断され、ジュリエットも巨人対策会議に駆り出されていた。
息子のエニックも、見聞を広めるため旅に出ていた若い精霊達をまとめるために尽力していて、赤髪はらしくもなく黄昏るばかり。
「巨人如き、私が燃やし尽くしてやるわ!」などと言い放ちそうなものを、赤髪は実に大人しいもので、博士曰く、雨に濡れる捨て犬よりも大人しくて気持ち悪いらしい。
博士は取引が中断されたことに憤慨し、ひたすら機嫌が悪かった。
煙管は吸わないが、赤髪同様に、自身の気持ちとは正反対に清々しく晴渡る空を見て黄昏る。
「博士。王子様は大丈夫なのでしょうか」
「私がそんなこと知るわけがないだろう。すべては奴らの実力次第さネ」
「巨人とは、そんなに強い種族なのですか?」
「ミズガルドの巨人が別格なだけだヨ。神話にも登場する巨人王、ロキの末裔一族。魔術なしでは最強の種族だろう。今では島に籠る世間知らずの一族だが、一匹出て来た程度でこの始末サ」
オレンジは心配だった。
巨人の噂は届いている限りでも、三つの王国を踏み潰し、億を超える人々を殺し、家畜を喰らっていると聞く。
性格は荒々しく、血の気が多い。
人と呼ぶよりは獣に近く、本能に忠実。
精霊を喰らい、不死になると言っているようだが、すでに精霊の何体かは餌食になっているような気がしてならない。
「精霊を食べると不死になる、って、なんで言われているんですか?」
「古代の大戦にて、精霊族との戦いになった人は、精霊を喰えば不死になるというデマを流すことで、他種族にも精霊を襲う様仕向けたのだヨ。実際、精霊は全種族の中でも頭一つ飛び出て長寿だからネ。人々には、永遠の存在に見えたのだろう」
「では、本当に嘘なのですね……」
「今となっては、誰もが嘘だと知っているはずの迷信サ。だというのに、ミズガルドの巨人は知能指数の低いことだヨ。巨人族の皆が揃いも揃って低能ということはなかろうが、ミズガルドは世界との隔たりが深いからネェ」
人が一度ついた、敵を倒すための嘘。
それもまた、自分の仲間や同胞や、愛する人を守るための嘘だったのだろう。
その嘘が、何十年も先に自分の末裔を滅ぼす凶器となって降り注ぐことになるなどと、当時の彼らは知りもしなかったはず。
因果という言葉を知らないオレンジだが、しかしそれに似た運命的なものを感じてしまってならない。
守るための嘘が、巡り巡って自分達を傷付ける。
愛ゆえの行動が、護りたかったはずの繁栄を破壊する。
いや、破壊してしまった。
人々は後悔することもなく、ただ嘆くばかり。
その嘘によって二度も命を狙われる、他種族のことを思う者は、余りにも少ない。
「ミズガルドの巨人は特に氷の魔術に耐性がある。我ら
「しかし、それではこの森に被害が及ぶ。仮初とはいえ、今は我らが故郷だ。自然と共存する我ら精霊が、それを疎かにするとはいかがなものか」
「勝利のために犠牲はつきものと言いますが、それは人間の言い分ですからなぁ。我々を不死の霊薬などと偽った彼らと、一緒にされたくはないものです」
「しかし、多少の犠牲を認可しなければ、勝てない相手であることも事実……」
話し合いは停滞していた。
巨人のサイズが大き過ぎて、周囲への被害も少なく、犠牲もない策に絞ろうとすると、妙案どころか奇策すらも、これと呼べるものは出て来なかった。
ジュリエットもまた、出てくる策の中から選べない。
若者を束ね、彼らの意見にも耳を傾けるエニックもまた、同じ状況に立たされていた。
唯一違うのは、若い者はその若いエネルギーをそのままに、魔法の圧倒的威力で押してしまえという力任せな案ばかりが目立つことである。
巨人の身長は、推測でも百メートルを超える。
これを最小限の被害と犠牲で倒すとなれば、慎重に慎重を重ねて判断したいところ。
だが――
「我らはこの世界で最も神に近い種族! 人が巨大化しただけの巨人など、恐れるに足らず!」
「そうだ! 我らが力を信じよ! あんなもの
自分達が唯一魔法という領域に達することができる種族とあって、己の力を過信している者が多い。
自身の見聞を広めるために旅に出ている彼らだが、その多くは親に言われて無理矢理出ている者が多く、未だ精霊の力を誇示する者が多かった。
結果、若者は己の力を過信する者が大半を占めて、見聞が広まった結果、丸くなった精霊は臆病者扱いされる少数のみ。
少数の中に括られるエニックもまた、若者を束ねる役としては力不足と判断され、すでに統率する役目を、事実上降ろされている形だ。
それによってエニックを支持しない者と、支持しない者とで二分されてしまい、エニック自身は頭を抱えていた。
敵は精霊族が結集しなければ勝てない相手だというのに、年齢層で分かれるならまだしも、同年代で分裂しているようでは話にならない。
せめてエニックを支持する者が多ければ、意見を押し通すこともできたのだが。
話し合いが進まず、なかなかできなかった休憩の時間。
エニックは自室にて、比喩ではなく、本当に頭を抱えて悩んでいた。
せめて自分を慕い、ついて行くと言ってくれた友たちにだけでも応えたい。
だが一体どうすれば。
いくら考えても、いい案など浮かばない。
「エニック……」
扉をノックする音と、弱弱しい声。
扉を開けると、なんともしおらしい赤髪。
部屋に入れてもらうと、赤髪は無言でエニックの肩に顔を埋めて、深く息を吐く。
「決めたわ」
「赤髪殿?」
「あんたの顔見て、決めた」
何を、と問うよりも早く、赤髪は言い切る。
「私も戦う。あんたと添い遂げる」
数日前の告白の答えなのだと、エニックが思いいたるまでには時間が必要だった。
気付くと同時に、心が満たされていく。
ほとんどの者が自身を認めてくれず、受け入れてくれない状況下、もしもこの場で彼女にまで拒絶されてしまったら、迷わず自身の喉を切っただろう。
そう考えさせるほどエニックは、自身で考えるよりもずっと追い詰められており、自身で思っているよりも、ずっとプレッシャーに弱かった。
故にここで赤髪に――最も愛する人に添い遂げるとまで言われたことは、彼の心を強く勇気づけた。
「あんた、巨人の話が出てからずっと、辛そうな顔ばかりしてるわ。人間の王国が滅んだと聞いてから、ずっと……あんたは、優しすぎるのよ」
「いえ、私はそのような、立派な存在ではありません。ただ恐ろしいだけです。滅んだ王国のように、我々も踏み潰されるのではないかと。そのためにまとまらないといけないというのに、まとめ上げることもできず、無力な自分が、許せず……自責ばかりで」
「だから、私はあんたが好きなのよ」
赤髪は覚えている。
初めて彼と会ったのは、博士の取引について行ったとき。
まだ作られて間もなく、右も左もわからない赤髪に、エニックは優しく語りかけてくれた。
精霊の寿命は長く、肉体の老化も人間の数倍遅いため、当時のエニックもまた、今の姿とまったく変わらぬ好青年であり、まだ幼かった赤髪は、彼を兄のように慕っていた。
人によって作られたホムンクルスであり、世間から見れば忌むべき存在である赤髪を、当時から面倒を見てくれた。
誰にでも優しく、心を通わせる青年だった。
その優しさに、赤髪は惹かれた。
彼の美しい容姿も憧れだったが、強く惹かれたのはその優しさを併せ持つ内面だったと、彼女自身思っている。
それが彼にあって、自分にはない強さだったからだ。
誰にでも心を通わせようと試みて、受け入れて、抱擁する優しさなど赤髪は、自分の内面をいくら探したところで見つけられなかった。
ホムンクルスを忌むべき存在としてしか見ず、神への叛逆と罵り、生物への侮辱だとまで言ってしまう潔癖症どもが、許せなくて仕方ない。
彼らを皆、この炎で燃やしてしまいたい。
自分には、そんな暴力的な炎しかないと気付くと、彼のように優しく抱擁する、太陽のような炎に焦がれ、惹かれた。
それが赤髪の恋心へと発展し、今に至る。
弱る炎を見て、黙ってなどいられなかった。
暴力性に限った荒ぶる炎でも、護れる灯火があるというのなら、護りたかった。
何より、それが自分の焦がれる、いつまでも見つめていたいと思える炎ならば、そう思えて間違いはないはずだ。
赤髪の情炎は、燃えていた。
「あんた、私を巻き込まないようにしようとしてるでしょ。見え見えなのよ、魂胆が。私が、そんなお姫様みたいなポジションで待ってると思ってた? 私は戦うわよ。あんたが好きだから。あんたにたくさん守ってもらったから。今度はその分、私があんたを守る」
「私が戦う理由は、それで充分よ」
「だからしっかり、手綱を握って頂戴。私はあんたと違って、慎重でもないし自己主張ばかりでうるさいでしょうけれど、でも、私はただ守られてるだけなんてイヤ。私の騎士になりたいなら、私の隣で、私を守りなさい」
赤髪は知らない。
自分がとても優しく笑えることを。
そのときの笑顔が、愛する人にとっての、太陽であったことを。
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