「他人の幸せなど誰も望んでいない」

 あなたのその旅は、どこで終わるの?

 とある旅人に訊いた。

 その人は言う、自分では自分の旅を終わらせることなどできないのだと。

 乾ききった広大な砂原。

 さざなみが煌く青々とした海原。

 燦燦と降り注ぐ太陽の光を浴びて、緑のキャンバスに豊かな色彩を広げる野原。

 たくさんの景色を、長い時間をかけて見てきた。

 数えきれないほどの人と会って、彼らの出発を見送って来た。

 でもそれでも、長い生涯を費やしても、見て来た光景のすべてはこの世の中のほんの少しだというのだから、それを見てみたいと思うのだ。

 だから自分で旅を辞めるなんてできないんだ。

 もう何歳になっただろうとか、今年は調度何かの年だとか、ハッキリとしない諦める理由を突き付けてくる奴はたくさんいたけれど、それでも私は旅をやめることはできない。

 新しい年に入ったのなら、それだけ歳を重ねたのなら、新たな場所へ旅立つ理由としたいのだと、彼は意気揚々と、次の目的地について語るのだ。

 そんな旅人の帰りを待つようになったのは、いつの頃からだっただろうか。

 いつからか、あの人の帰りを待ち侘びるようになっていた。

 いつだって窓の外に視線を配って、旅人の影を待つようになっていた。

 自分自身で終着点を設けない。

 そう言い切った旅人の、行きついた終着点の話が聞きたかった。

 たくさんの光景とたくさんの人を取り込んだその瞳が、終着点だと決めたその場所は、きっと素敵な場所だと思うから。

 自分自身で終わらせることはできないと言ったはずの旅人が、これ以上ないと言ってしまった限界を知りたかった。

 大したものなんて求めていない。

 旅人の定めた終着点が、どれだけ醜くても構わなかった。

 ありきたりでもよかった。

 旅人を名乗る人々の誰もが絶景と謳い、すでに未開の地ですらない場所でもなんでもよかった。

 ただ聞いてみたかった。

 終わりなど定まっていない彼の旅の終わりが、どんな場所で締めくくられるのか。

 旅人の生涯をかけた旅路の果てが、どんな場所か知りたかった。

 それは万年の時を満開の花で埋め尽くす花畑か。

 波もない穏やかな海の潮騒を子守歌に、眠りへと誘われる砂浜か。

 はたまた一日の始まりを告げる日輪が、星の誕生を思わせるほど神々しく見える霊峰か。

 もっと廃れて、もっと錆び付いて、もっと汚い場所かもしれない。

 もしかしたら、旅人の終着点もまた、万人と同じようにただの墓石なのかもしれない。

 だがそれでもよかった。

 ただ旅人の旅路の果てを、彼の最期を見たかった。

 その感情を恋と呼ぶことを知った頃、運命は残酷に回り始めていた。

 嫌だ、いやだ、イヤだ。

 せめて、せめてあの人の旅路の果てを聞くまでは。

 あの旅人がまた、帰ってくるまでは。

 あの旅人に、この気持ちを伝えるまでは――

「よし、完成ダ」

 煌く星々を絡め取ったかのように輝く栗色の髪は後ろで編みこまれ、太陽のように温かな橙色のリボンで結ばれている。

 ウエディングドレスというよりはワンピースに近い形状の真白のドレスには桜色のラインが腰から数本、デザインとして刻まれており、通気性に強い素材となっている。

 今の今までお日さまの下で干されていたかのような柔らかなドレスの裾は、シルクのように柔らかく、指先でつまむだけの力で簡単に持ち上がるほど軽い。

 そして花嫁衣裳としては珍しく、ドレスの下は白に桜色の紐が入ったロングブーツだった。

 最後に琥珀色のウエディングベールで頭の上を覆われた花嫁は、端から端まで舐めるように自分を見下ろしてくる男の人に若干の恐怖を憶える。

 思えば、何故自分はこんなところにいて、何故花嫁衣裳を着せられているのか、一切を思い出せなかった。

「さて、準備はいいかネ? おまえはこれから、異国の王子と結婚する。幸せになれ、だなんて言わないヨ。他人の幸せだなんて、誰も望んじゃいないもんダ。少なくとも、私はそういう人間だからネェ」

 そうか、私は結婚

 運命からは、逃れられなかったのか。

 自ら命まで絶とうとしたのに、拒絶し切れなかったのか。

 結局、運命からは逃げられないのか。

「何を泣いているのかネ」

 花嫁は泣いていた。

 ボロボロと大粒の涙を流し、終いに泣きじゃくる。

「あ、博士泣かせたぁ!」という野次が隣から飛んで来たが、博士はそれをうるさいの一言で一蹴する。

「フン、そんなに結婚がイヤだったのか。ま、当然だろうがネェ」

「隣国の王子って何、そんな嫌な奴なの?」

「容姿は父親の甘い汁を吸いに吸って肥えた豚のよう。性格もひねくれたものサ。今まで五人の奴隷を孕ませた挙句殺処分にしては、また次の奴隷を飼う悪趣味な奴さネ」

「死体でホムンクルス作る博士が言う?」

 青い髪の青年に、博士の鉄拳が落ちる。

 青髪は涙目で痛いと訴えるが、博士はまるで動じる様子はない。

「私は玩具に堕ちた生物と交わる趣味はない。何よりただで殺すものかネ! 腹の中の胎児のDNAが採取可能になったら取り出して、臓器の隅から隅まで培養して使ってやるさネ」

「うわぁ! さすが外道! 博士、外道! あ痛!」

 再び落とされる鉄拳。

 漫才どころか笑えない冗談とも思えないことを言う博士に、花嫁は怯え切っていた。

 花嫁は比較的背が高い体躯だったが、博士はそれをも悠々と飲み込む上から、言い聞かせるのではなく言いくるめるように指で指して告げる。

「まぁ、理由はそれだけではないのだろう? 惚れた男でもいたかネ? だが残念、おまえは皇子と結婚してもらう。それが私の今回の仕事だからネェ」

「私の意思は……関係ないのですか……」

「関係ないヨ。花嫁の私情など一々挟めるかネ。依頼人はあくまでおまえの父親であって、おまえではないのだヨ」

「やはり父ですか……そう、ですか」

 花嫁は突然駆け出した。

 青髪が思わずどいてしまうほどの勢いで、部屋を飛び出して走っていく。

 博士はとくに追いかける様子もなく、しばらく固まって考え込むと、後ろでどうしようかと迷っている青髪の頭に鉄拳を落とした。

「何をしているのだネ。さっさと追わないか! この駄作!」

「酷い! さすがに駄作は酷いよ博士! 作ったのは博士なのに!」

「いい出来で生まれなかった、おまえが悪い!」

「そんな理不尽な!」

「口答えする暇があるのなら、さっさと行けぇ!」

 とうとうケツを蹴り飛ばされて部屋を追い出された青髪は、渋々花嫁を追いかける。

 だがそもそも施設は遥か上空。雲海の中を進む孤島状態。

 空を飛ぶ術を持たない花嫁が逃げられるはずはなく、青髪はそれこそ急ぐ必要はないと思ったのだが、それはほんのわずかな間だけのこと。

 花嫁が、今回の結婚に反対する意志を示すために自決したのだと思いだせば、この施設から飛び降りて自殺してしまう可能性を思い起こして、青髪はそれこそ顔面蒼白で焦り始めた。

 追いかけろと言われたのにろくに追いかけもせず、花嫁をみすみす死なせてしまったなんてなったなら、博士の怒りは尋常ではない。

 最悪、本当に殺される。

「ヤバいヤバいヤバい! 花嫁、どこだぁ!」

 全力疾走で、青髪は施設を駆け抜けて片っ端から空いている部屋を開けて花嫁を探す。

 研究室、実験室、手術室。花嫁が入ったら悲鳴を上げるだろう部屋は後回しに、主にホムンクルスが使う部屋を重点的に探す。

「あ、金髪!」

 部屋の片隅で眠っている金髪に声を掛けるが、熟睡している様子で起きない。

 といっても、全身甲冑と兜で覆われている彼女の表情など窺う術はないので、本当に寝ているのかそれとも答えに詰まっているだけなのか、他の人間では判別などできない。

 しかし青髪は寝ていると判断して、そのまま彼女を寝かせて部屋を出た。

 そのすぐあとにゆっくりと、金髪のクローゼットが開く。

 青髪の気配がないことを確認して、花嫁はゆっくりと長身の体で這い出てきた。

「空の上にあるだなんて……なんとか、なんとかここを抜け出さないと……」

 天空の上に存在する施設から脱する方法など、そう簡単に思いつくはずもない。

 しかし花嫁は方法を思いつくよりも早く、考えることをやめてしまった。

 何故か。それはずっと寝息を立てていた鎧騎士が、自分をジッと見つめていることに気付いたからである。

 何も言わないし、なんの反応も示さない。

 驚きもしないし騒ぎもしないし、かといって冷静に問い質すようなこともせず、ただジッと花嫁を見つめている。

 蛇に睨まれた蛙の如く、花嫁はただ見つめ続けてくる騎士の存在に固まるのみ。

 本当にただ見つめるばかりで、何もしてこないことに若干の恐怖を感じる。

 そもそも甲冑の奥底は真っ暗過ぎて表情が窺えないので、自身を視界に捉えているのかすら、花嫁はわかり切ってはいなかった。

 まさか鎧騎士が寝起き直後で、半分寝ぼけていることなどわかるはずもない。

 故に状況をまず理解したのは、鎧騎士の方だった。

 西洋甲冑の中に、その名の由来である金色の髪を仕舞いこんでいるはずの金髪は完全に目が覚め、自分が見つめられていることに気付いて急ぎ、盾の背後に隠れてしまう。

 仰々しいほどに大きな鋼の盾を軽々と持ち上げる彼女の怪力には驚くべきなのだが、花嫁はそこまでの思考回路が回っておらず、鎧騎士がさらに武装したことに一縷の恐怖を覚えると同時、隠れてしまったことにほんの少しの安堵を覚えた。

「あ、あの……」

 話掛けようと、騎士の間合いよりギリギリ外くらいかというところまで近づく。

 すると花嫁ではない、どこかか細く今にも消え入りそうなほど小さな声で、何度も自分を勇気づけようと試みる少女の声が聞こえてきた。

「大丈夫、大丈夫、大丈夫……鎧は氷山を砕き、剣は龍の牙を折り、盾はあらゆる火の粉を弾く。爆弾すら、我が武装のまえに意味を成さず……故に我、傷付けられることなし……だから、大丈夫、大丈夫……大丈夫……」

 人見知り。

 にしては異常なほど過剰だ。

 武装に身を包まなければおそらく、人前に出ることすら適わないのだろう。

 仰々しいほど巨大な盾の陰に隠れなければ、きっと自分を勇気づけることさえ適わない。

 今にも消え入りそうなか細い声は、自分を勇気づけるという言動に対してもどこか否定的で、今すぐにでも諦めてしまいそうである。

 それでも必死に自分に大丈夫と言い聞かせるのは、そんな自分をイヤだと否定し、変えたいと思う意思があるからなのだろうが、意思よりも人見知りの方が未だ強い様子である。

 花嫁は直感的に、彼女が危うい人ではないとわかったが、同時にどうしても近寄りがたい人だと言うことも理解した。

「あの、ここから地上に降りる方法を、教えて頂けませんか? 私は地上に降りなければなりません。どうか、どうか……」

 奇跡を懇願するかのように、さながら花嫁は祈るかのように言葉を積もらせる。

「どうか、どうか」と言葉を重ねるその姿は、金髪に最後の希望を託すかのようだ。

 金髪は前方を覗くために開いているわずかな隙間からその姿を覗くと、何度もどもり、詰まらせながら何か言おうとして、最終的におそるおそる出した指で、下を指すに治まった。

 指が震えるあまり、まとうガントレットもカタカタと震えている。

 恐ろしいのか、恥ずかしいのか。

 しかしそれでも親切に教えてくれた金髪に「ありがとう」と告げて、花嫁はすぐさま部屋を飛び出して行った。

 花嫁が部屋を出てから数秒の間をおいて、金髪は盾から顔を出す。

 しかしすぐさま誰かが来るとわかると、再び盾の背後に隠れようとして、その盾を取り上げられた。

 その誰か――博士は慌てふためく金髪を見下ろして、その頭に拳骨を落とす。

 だが甲冑を被っているためか勢いはなく、落ちたと言っても本当に葉が舞い落ちるかのように、静かに落とされただけだった。

「ここの出方を教えたのかネ? 金髪」

「ご、ごめん、な、さい……博士」

「ならばその責任、果たしてもらおうかネ。花嫁を追いかけナ。恋人に会いに行くようならば、殺してしまって構わナイ。容赦するんじゃあないヨ。私の面目に係わるからネェ」

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