「人の代わりは人では務まらない」

 とある王国の貴族の家。

 博士は紅茶を啜っていた。

 二人の分の茶も出されていて、紅茶自体は高級な茶葉を使ったものなのだが、同行しているオレンジと青髪に、博士は飲むなと告げて自分だけ飲んでいた。

 貴族の名はクロムウェル。

 王国を形成する王宮貴族の一角を担う高級貴族であり、代々魔術師の家系だそうだ。

 依頼人はその家の家主で、キース・クロムウェル。

 王国の宮廷魔術師で、世界でも有数の大魔術師の称号を持つ男だ。

 彼の場合、先祖代々の血筋がその地位にまで上げた節が大きい。

「しかし何度会っても鳥肌が立ちます。まさか世界でも五本の指に入る魔術師と、こうして会えるとは」

「何を言っているのだネ。おまえの母親がその世界でも五本の指に入る魔術師ではないかネ」

「お恥ずかしながら、母とはソリが合わないもので」

(まぁあの女で、この愚息ではネェ……)

 さすがに博士と言えど、その場の空気というものは読む。

 同じ五本の指に入る魔術師として、彼の母親については彼以上に知っているが故、依頼人として数度交わした会話から、彼が母親に嫌われていることは察していた。

 オレンジと青髪にもそのことは伝えており、母親の話題は口止めを命じられていた。

 依頼人と無駄にいざこざを起こして、キャンセルなどされては博士の逆鱗に触れる。

 依頼人の母親をあまり良くは知らない二人は、とにかく博士の怒りに触れることのないようにと、博士の言いつけを守っていた。

「それはともかく、娘の蘇生の進捗は」

「肉体自体の構築は完了しているヨ。あとは脳の記憶を司る部分から情報を抜き出し、記憶と知識を与えてやれば終わりさネ。二日後には届けておいてやるヨ」

「ありがたい。これで結婚にこぎつける」

「この国も安泰、というわけだネェ。近々、この国は戦争をすると聞いている。そのための防衛処置というわけかネ?」

「某国と同盟が結べれば、かの国など恐れるに足りぬ。我が王国の魔術と某国の兵力を合わせれば、袋叩きも容易い……娘一人差し出すだけで国が守れるのだ、安いものですよ。だから是非ともよろしくお願いしますよ?」

「私を誰だと思っているのかネ。依頼された花嫁は用意する、後は好きにするがいいサ。では、私はこれにて失礼するヨ。いくよおまえ達」

 花嫁を求める家は、どこも王族や貴族ばかりだ。

 花嫁そのものにかかる値段を考えれば、一般市民では手を出せないことは確かだが、もう一つ理由を挙げるとすれば、貴族や王族の方が、花嫁を求めているからだろう。

 政略結婚。

 国政に係わる結婚を前に死んでしまった花嫁を取り戻し、なんとか政略結婚を成立させようと、貴族や王族は大枚をはたいて、花嫁を手に入れる。

 今回の依頼人の言うように、娘一人の結婚で国が救われるのなら、総合的に見て安い犠牲なのかもしれない。

 だがオレンジ個人の感想を言えば、死んでしまったというのに蘇生までさせられて、無理矢理結婚させられてしまうというのは酷い話のような気がして、博士の依頼について行って依頼人を見る度に、その気持ちは強まっていた。

 特に今回のクロムウェルについていえば、今までの依頼人の中でも典型的で、国のためならば自分の娘だろうとも売り飛ばす、オレンジとしては理解できない人間であった。

 博士に言われて表情には出さなかったが、その分依頼人から離れると、酷い気疲れを感じる。

「大丈夫? まだ施設にいた方がよかったんじゃない?」

 青髪は北の一件以来より、オレンジに気を使うことが増えた。

 オレンジが人を殺してからというものの、誰も気づかないくらいに静かに変貌してしまったのを察している彼女は、オレンジのことを人一倍気にかけていたのである。

 今まで以上に笑わないオレンジは「大丈夫です」と一言だけ返して気疲れした表情を見せる。

 青髪からしてみればとても大丈夫そうには見えないのだが、彼女なりに配慮してそれ以上の言及を慎んだ。

 と、三人が屋敷より出たとき、そこには老齢な男が立っていた。

 見た目から窺える年齢にしては背筋がピンと伸びており、背も高い。

 きっと若い頃は相当に女の人に言い寄られたのだろう、整った顔立ちを面影に感じさせるシワの入った老人が、三人に対して深々と頭を下げた。

「【外道】の魔術師、アヴァロン・シュタイン様とお見受けします」

 アヴァロン・シュタイン。

 初めて聞く名前に、オレンジが一瞬人違いではないかと思ったが、博士が外道魔術師と呼ばれていることを思いだす。

 もしかして、と青髪に視線を向けると、青髪は無言で頷いた。

 オレンジはここにきて初めて、博士のフルネームを知ったのだった。

 だが青髪達も呼んでいない名前だし、博士の場合その名は捨てたとかなんとか言いそうなので、今後も言及するつもりはない。

「わたくしは【不動】の魔術師、パルテナ・ウォーカー様の執事をしております、クリク・リフトと申します。我が主より、貴方様御一行をお迎えに上がるよう申し使っております」

「やはり来たか、あの女」

 パルテナ・ウォーカー。

 この名前は、事前に調べていたお陰で知っている。

 今回の依頼人であるキース・クロムウェルの実の母であり、博士と同じ世界に名高い五人の魔術師の一人。

 主に医学に精通しており、彼女の操る治癒の魔術は、万人の病や傷を癒すのだとか。

 そして時折、博士が彼女の話題が出ると何やらいやそうな顔をする相手でもある。

「私に何か用事かネ? これでも忙しいんだが」

「お話がある、とだけ。さらに言えば、彼の言う『忙しい』は当てにならないので、強制的にでも連れて来いと命じられております」

 博士はあからさまに、隠す様子もなく舌を打つ。

 面倒過ぎると言いたげなくらいに目が死んでおり、今すぐ帰りたいと訴えているが、少し考えて大きな溜め息を吐くと、それらの目が一転、いつもの無気力なものに戻った。

 オレンジでも見逃してしまいそうになるほどの豹変ぶりだった。

「仕方ない……あれからどれだけ成長したか、見てやろうじゃないかネ」

「ではこちらに。馬車を待たせておりますので」

 クリクの操る馬車に揺られること数時間。

 到着したのは、王国でもはずれに位置する山中の、たった一本しかない山道の先にある小さな家だった。

 先ほどまでいたクロムウェル家が指定した密会場所もはずれの方だったが、それ以上に人けのない場所である。

 そもそも人など、その魔術師以外住んでないのではないだろう雰囲気を感じる。

 山の上にあるので馬車から降りると、王国を一望できる絶景であったが、博士はそんなものに一瞥もくれない。

「ウォーカー、そこにいるのはわかっているんだヨ。私を呼びつけておいて迎えに来ないとは、いい度胸をしているネェ!」

 博士の魔術か何かなのか。

 おそらくそうなのだろうが、ともかく突然家が吹き飛ぶ。

 オレンジも青髪も唐突に人様の家を破壊したことに驚いたが、その驚愕はすぐさま別の方向に向いていた。

 博士が破壊したのは、家だけではなかった。

 家が建っていた土地も空すらも、その場空間のすべてを破壊した――と見えたのは最初だけ。

 破壊した家の奥から、先ほどの貴族の屋敷とは比べ物にならないほど大きな屋敷が出て来たのである。

 庭の奥にある屋敷は大きく、庭も大きい。

 外の囲いには、防犯用のであろう魔術陣が何重にもかけられていて、にわか知識しか持たないオレンジでさえも凄いことがわかる。

 どうやら博士が破壊したのは幻術の類で、屋敷は幻影結界の中に閉じこもっていたようであると、青髪は推察する。

 わけもわからない様子のオレンジはただただ驚愕するばかりで、純粋に博士が凄いことだけを再認識していた。

「出て来な、ウォーカー。こんな幻術如き破壊できない私だと思っているのかネ。さっさと出て来ナ」

「相変わらずですね、アヴァロン」

 突如吹きつける風。

 突風にスカートを捲り上げられそうになるのを必死に押さえるオレンジは、木の葉を躍らせる風の中から悠々と現れた彼女の姿を辛うじて捉える。

 屋敷から飛行して来たのか、フワリとタンポポの綿毛のように風に身を任せる彼女はゆっくりと降りてきた。

「お元気そうで何よりです」

「おまえは少し痩せたかネ? いや、やつれたというべきか。孫が死んで、食欲不振にでもなったかネ」

「やはり相変わらずですね、アヴァロン。そうやってずけずけと人の心に土足で踏み入って来る図々しさには、厭きれを通り越して関心すらあります」

 息子がいて、孫までいるとは思えないほど若々しい婦人だった。

 顔には歳によって刻まれたシワなどまるでなく、細い肢体は子供を産んだなどとはとても思えない。

 博士と同年代の人であるなどとは思えなかった。

 もっとも、博士の方がよっぽど年齢不詳な人なのだが、とにかく婦人を基準とすれば、博士も子供がいて、結婚できる孫がいてもおかしくない年齢だということである。

 人生で一度も怒鳴ったこともなさそうなほど静かな婦人の瞳は、まるでガラス玉のように美しく、対する人々をその虹彩の中に映す。

「それで? 何用かネ。こちらも忙しいのだヨ。おまえのバカ息子のために、花嫁を作らなければならないのだからネェ」

「あなたのことです。すでに残すは起動と微小修正だけなのでしょう? でなければ忙しいあなたが、再度依頼人に顔を出すなどないでしょうから」

「フン、相変わらず嫌な女だネェ」

「まぁ立ち話もなんですから、どうぞ。あなた方もお入りになって」

 執事に案内され、婦人の屋敷へ。

 博士の研究施設程ではないにしても、彼女一人が住むにしては多過ぎる部屋の数。

 何より庭は手入れが一人では絶対に手入れできないほど広く、噴水まで存在するほどだったが、手入れはしっかり行き届いており、冬だというのに美しい花まで咲いていた。

 博士と婦人は二人きりで話がしたいとかで、オレンジと青髪は二人きりでお茶とお菓子を堪能していた。

 博士は絶対に買ってくれそうにない、高価で香り豊かな菓子と紅茶を満喫しながら、青髪は持ち帰りできそうなクッキーやマドレーヌを袋に詰める。

「みんなも食べたいだろうからねー」

「い、いいんでしょうか……」

「大丈夫大丈夫! こっそり持ってけばバレないって!」

「お二人共、こちら我が主よりお土産でございます」

 と、執事の背後を見れば、給仕が山盛りの菓子をカートに乗せていた。

 二人は一度顔を見合わせて、恥じらいを誤魔化して笑うと、青髪が率先してお菓子の山を物色し始めた。

「あの線路が見えますか?」

 調度その頃、博士と婦人は二人でテラスにいた。

 婦人の言う通り、そこから国の方を見下ろせば一本の線路が伸びているのが見える。

 王国と他国を繋ぐ機関車が走るもので、今は観光客や旅団が乗るものだが、昔は戦争の兵士が長距離移動に使っていたものらしい。

 機関車はまだ魔術という技術が存在しなかった時代から現役で、その頃より石炭を燃料に走る蒸気機関である。

 しかしそれは、あと数か月の話。

「あの線路を走る列車が、新しいものに変わるそうですよ。魔力結晶で走る新型だそうです」

「時代はいつだってそうさネ。古いものはいつしか壊れる。壊れなくとも、寿命を迎える。そしてそんなものをいつまでも置いておくほど、世間は甘くない。新しい技術が生まれれば、それに従って古いものに成り代わるものだヨ」

「しかし惜しいとは思いませんか? 汽車は今も尚、あの線路を駆け抜けることができるというのに、ただ古いという理由で現役を降ろされるのですよ」

「惜しい、か……そう考える時点で、やはりおまえと私は相容れないヨ」

 そう吐き捨てる博士だが、婦人は少しだけ嬉しそうにはにかむ。

 何を笑っているんだと博士が睨むと、「やっぱり変わりませんね」と、婦人は微笑んだ。

「花嫁を売る不思議な魔術師がいると聞いて、どんな人かと思いましたが、あなたなら納得です。昔と変わらず、人間の道徳も何もかも無視なんですから」

「喧嘩を売っているのかネ」

「まさか。あなたに魔術で適うとは、思っていません。今でも思い出しますよ……あなたと私と、他の三人と、五人で魔術について語りあかした学生時代を。入学から卒業までの夜の数だけ、太陽を拝みましたネ」

「あの頃はよかった、などと言うつもりかネ? 歳を取ったネェ、おまえも」

「お互い様ですよ」

 フフフ、と楽しそうに笑う婦人につられるように、博士もマスクの下で笑った。

 一種の嘲笑のようにも思える鼻で笑った感じだったが、ここにきて初めて博士は笑みを浮かべたのだった。

「孫の代わりは、どうですか」

「それが本題かネ。まぁ、気になるのは当然か……自殺かネ」

「まぁ、どうしてそう思われたのですか?」

「手首を切ったようだが、二、三度躊躇ったんだろう。浅い切り傷があった。他人に斬られたり、事故で切れたんじゃああんな傷はできないヨ。原因はわかっていないのかネ」

「孫のことは息子に任せておりましたので……私が孫に最後に会ったのは、二年以上前のことでしたし、見当も付けられず。情けない話です」

「まぁ、国際指名手配犯に会おうなんて危険を冒す奴はいないからネェ……安心しな、順調だヨ。おまえの言う通り後は起動と、起動後の微小調整程度サ。すぐに会えるヨ」

「そうですか……」

 婦人が外を見下ろすと、黒い蒸気を巻き上げて、蒸気機関車が線路を駆け抜けていた。

 何を思っているのか、婦人は立ち上る黒煙を寂しそうな目で眺めている。

 寒空に溶けていく黒煙を眺める婦人に博士は何か言おうとして、やめた。

 人にものを申すのに躊躇などしそうにない男が言葉を選び、逡巡すらして、だけど慣れていないために面倒になって、結局舌を打った。

 そんな博士よりも先に、婦人は問う。

「アヴァロン。私はそのホムンクルスを、我が孫と同じように……愛せるでしょうか」

「同じようには無理だろうネェ。おまえもわかっているだろう。おまえの孫が実際に蘇るわけではないのだヨ。違う人間を別の人間と同じように愛するなんて、人にできるはずもない」

「では何故、あなたは花嫁を作るのでしょう。それこそ、代わりでは務まらない役目ではないですか」

「だから、作っているのだヨ」


「人の代わりは人では務まらない。だから私は作るのだヨ。愛する者と同じ顔、同じ声、同じ姿、同じ立ち居振る舞い。それのみを実行する人ではない別物を。彼らがそれを、実は愛することなんてできないんだと気付くより前に、気付いてしまうことを忘れるほどに美しい花嫁を、私は作る。おまえのように、すでに理解している奴には、辛いだけだろうけれどネェ」

 博士はそう言い残して、お土産を袋いっぱいに詰め込んだオレンジと青髪を連れて屋敷を出ていく。

 送り迎えを執事に任せた婦人は、再び線路を駆ける汽車が上げる汽笛に向けられたガラスのような瞳で、寒空に溶けていく真白の蒸気を見つめていた。

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