外道魔術師と夜行列車

「悪化であろうと、人間は進化しかしない」

 世界は九つの大陸と、八つの海で構築されている。

 均衡を保つのは、世界中から選ばれしものだけが所属を許される世界政府。

 その頂点とされるのは詳細不明の神と呼ばれる存在であり、その下には大陸から一人ずつ選ばれた世界の代表とも呼べる九人が存在する。

 詳細不明、正体も謎の神に直属で仕える彼らの悩みは尽きない。

 山賊や海賊を含む、世界を脅かすほどの影響力を持つ組織の存在はもちろんのこと、数十年に及ぶ紛争や捕まらぬ国際指名手配犯など、彼らが気にかけねばならぬ案件はいつだって山積みである。

 特に彼らを困らせているのが、国際的指名手配犯にして世界規模でも五本の指に入る、五人の魔術師の存在であった。

「本当なのか? 【外道】が北の国に現れたというのは」

「間違いない。奴のホムンクルスのせいで、五〇人を超える警備兵が殺され、死体まで持ち去られた。まさかもう一度、表舞台に戻って来るつもりでもないだろうが」

「ホムンクルスもだが、奴は強いぞ。またあの惨劇を繰り返すわけにはいかん。奴に関する情報を、徹底的に掻き集めねばなるまい」

 九人全員が集まる機会は、半年に一度開かれる会合以外には滅多にない。

 故に会ったときには持ちうるすべての情報を共有し、対策を講じる必要があった。

 このときもまた、集結できた四人だけで話し合う。と言ってもうち一人はその場にはおらず、映像通信による通話である。

 通話で会談する長は大量のチーズがかかったピザを頬張りながら、現状で出て来ている話をすべて秘書に書記させて、それらに目を通していた。

『【外道】の事件もだが、最も懸念すべきは奴に触発されて他の魔術師が動き出さないかということだ。表舞台から姿を消したあの四人が暴れ出せば、それこそ世界に与える影響も被害も大きいぞ』

「それならすでに、【神童】が動き始めたという報告がある。霊峰の神獣たるレムナントが姿を消したと」

「レムナントだと! 世界でも危険種とされる龍種の一体を、捕獲したというのか! クソ、あの神獣コレクターめ……まだ現役だったか」

「動きを見せていない【魔導】、【不動】、【覇道】に関しても、今後監視が必要だと思われる。【不動】が動くことはないと思うが、【魔導】と【覇道】に関しては触発される可能性が高いぞ。ようやく引っ込んでくれたというのに、また暴れられてはことだ」

『すぐさまに監視部隊を派遣するべきであろうな。【不動】にも無論、監視を配置せよ。もし動けば、最も厄介なのはあいつだぞ』

「しかし監視の目を置こうにも、【外道】はどうするか。奴の所在だけ未だ不明だ。噂では空飛ぶ研究施設にいるとも言うし、ここは北の聖女を脅迫して居場所を吐かせるか」

「更なる問題を招くような発言は控え給え。【外道】が痕跡を残すような真似をするかね。それこそ何も知らないだろう。狡猾なあの男のことだからな」

「だが持ち去られた五〇人をやった怪物について、何か知っているかもしれん。奴のホムンクルスなのか、尋常ではない魔力を有した何かが暴れたのだけはわかるのだが……その正体によっては、粛清も考慮しなければ」


  ▼  ▼  ▼  ▼  ▼


 かつての懐かしき戦場のようだったと、博士は語る。

 立ち上る硝煙の臭い。

 舞い上がる戦塵。

 阿鼻叫喚にも勝る絶叫。

 勝利の美学と敗走の惨劇が入り混じった戦場を思い起こし、博士は昔を懐かしむ。

 戦争の後に作られた七人のホムンクルスを含め、オレンジは戦争を見たことがないために理解し切ることはできない。

 ホムンクルスは素材集めのため、ダンジョンのモンスターと戦うことはあるものの、大人数の人間と死闘を繰り広げた経験はなく、戦争を理解するには経験が乏しい。

 ならば少女にも理解など不可能であるだろうと、その結論に至れるのは数日前までの話。

 博士が懐かしむかつての戦場を想起させる戦いをしてしまったのが、他でもない彼女である以上、これが戦場なのだと理解することができてしまえるのだった。

 彼女は憶えていた。

 彼女の聴覚が、腕の筋肉が、瞳を作り上げる視細胞のすべてが、戦場の光景すべてを記憶していた。

 砕ける骨の音。

 燃え盛る肉の臭い。

 敵を屠る際に振った剣の感触。

 死屍累々。

 血に塗れた死体。焼け焦げた死体。体の一部を失った死体。

 死という概念そのものが少女の周囲に散らかり、広がっている惨状。

 血に塗れた髪はベットリと顔に引っ付いて、雨に濡れれば剥ぎ落とされた血が洗い流され、足元に溜まっていく。

 ただ夢中で剣を振り、襲い掛かって来るすべてを払い除けた結果、彼女は何も得なかったどころか、何も失わなかった。

 強いて言うのなら、命をこそ失わなかったというだけで、彼女は何も取捨することなく血に塗れた姿で施設に戻った。

 最初こそ恐ろしかった。

 少女を代用の利くホムンクルスだと思い込んでいた警備兵は、一切の躊躇なく剣を抜いた少女を殺しにかかって来た。

 恐怖に抗おうと、死に抗おうと、少女は刃もついていない剣を必死に振るって抵抗しようとした。

 だが覚えて数日の道場剣術など大人の力に敵うはずもなく、ましてや殺傷能力など皆無の剣で相手を斬り伏せることもできるわけもなく、抵抗も虚しく容赦のない攻撃を受けた。

 剣で斬られ、魔術の炎弾で焼かれ、博士と会った森で負った傷よりも酷い生傷を体中に受けて――

 殺されると思った。

 ここで死んでしまうのだと、命を諦めた。

 それこそ最後に少女の首を両断せんと、振りかぶられた剣を見たときに、すべてを諦めた。

「死ね」

 もしも少女がホムンクルスでないとわかれば、彼らは後悔するのだろうか。

 それとも博士の手下を殺したとして、今首を刎ねるこの青年に、武勲が立てられるのだろうか。

 少女はわからない。

 何も理解などできない。

 ただひたすらに、自身の命の価値を考えようとして、結局わからなくてやめるだけ。

(私の命の、価値って……)

 なんだろう。

 そこまで思い、考えて、少女オレンジは、考えることを、やめた。

「素晴らしイ……」

 博士がそう漏らしたとき、少女オレンジは鮮血に濡れていた。

 立ち上がる力もないほどに痛めつけられたはずなのに、少女は自分の足で立ち上がり、道場剣術からは逸脱しているくらいに大振りで、剣を振るっていた。

 刃のない儀礼用の剣で、何かを両断できるはずもない。

 だが今まさに少女の首を斬ろうとした青年は、本来あるべきはずの位置に頭がなかった。

 頭は、少女が振るった一撃によって折れた首から垂れ下がり、ほぼ逆さまの視点で少女を見据えていた。

 少女を両断するはずだった剣も首諸共に砕かれて、反撃を予期していなかったために起きた静寂の中で騒がしく落ちる。

 事態の重大さに気付いた弓兵が魔術による加工を施した矢を放つが、少女はそれを指で挟んで受け止め、その衝撃を勢いに体を回転させて投擲。

 弓兵を貫通し、その背後にいた数人の体をも投擲された矢が駆け抜けて、この投擲だけで六人を負傷。三人を絶命に追い込んだ。

 事態が把握できていない新米は、少女の変貌にひたすら驚く。

 全身から発せられる短く連続する破裂音は、電撃。

 今まで魔力など皆無に近かった少女から生じるそれは、未だ上昇を続けている。

 爪と髪が急激に伸びて、今まで見えなかった歯が八重歯のように口元から顔を出す。

 そして瞳はといえば、数人にしか表現できないものへと豹変していた。

 この時代、この世界に、龍種という神獣はあまりにも希少種過ぎる。

 少女が突如龍種と酷似した鋭く恐ろしい捕食者の眼に変貌したことで、警備兵は恐怖に襲われた。

 龍種など見たこともない若者ですら、恐怖におののき動けない。

 そして龍種とは、恐怖に怯え動けないものから先に、蹂躙していくのが筋である。

「ひぁ……っ!」と短い悲鳴を発した若者は次の瞬間、腰が抜けた。

 比喩表現ではなく実際に、オレンジの剣により腰の骨を抜き出されたのである。

 肉を避けて腰の骨が飛び出して、砕け散った瞬間に周囲は嗚咽と悲鳴とで蹂躙される。

 繰り返すようだが、龍種は恐怖する者にこそ蹂躙の矛先を向けるもの。

 故に恐怖に足を竦ませた時点で、少女オレンジの狩場は広がった。

 一方的な戦況、という言葉は変わらなかった。

 変わったのは、どちらが優勢だったか、だけである。

 博士を捕縛するために追い詰めていた警備兵も、次々と殺されていく仲間を見て応援に駆け付けるが、誰も少女一人の命に届かない。

 そこには少女が防衛のために身に着けた護身剣術など存在せず、ひたすらに命を狩り取り弱者を蹂躙する、龍の爪が如き暴力だけが存在した。

 龍の血を輸血されただけの少女一人に、一国の警備兵が蹂躙されていく様を見つめる博士はまるで、映画か演劇を見ているかのようだった。

 なんて面白いんだと、感動しているかのように見えた。

 事実、博士は感動していた。

 龍種の血を受け入れた人間が、見違えるまでに身体能力を向上させている姿を見て、何故今まで実験しなかったのだろうと後悔していた。

 これほど面白くなるのなら、もしかしたらと、計画の成功にわずかばかりの兆しを見る。

 警備兵、総勢五八人を少女が殺し尽したころには、博士は笑いが止まらなかった。

「素晴らしイ」

 感嘆の拍手が止まらなかった。

 博士の目の前で片膝をつき、指示を待つかのように停止した橙色の頭を、博士は初めて撫で回す。

「いい子だネェ……おまえは実に面白いものを見せてくれタ。おまえは今までになかった、最高の実験体だヨ」

 その後、意識を取り戻した少女は何事もなかったかのように施設に戻り、恒常の、変化のない平凡を過ごす。

 人を殺したショックを受けることもなく、かといって人を殺すことに快楽を見出したわけでもなく、一切の変化を見せなかった。

 強いて言うのならば、オレンジはよく手を洗うようになった。

 少し手が汚れただけで、すぐさま手を洗いに行く。

 しかし洗わなければ発狂するというわけでもなく、しかし放置してもいいというわけでもないようで、洗える時にはとにかく洗う。

 その様子を見て青髪は、自分達の応援が間に合わなかったことを悔いたが、博士は「何を言うのかね。奴は人類という生物の成長を見せたのだヨ? 殺人で狂おうが、あれを進化と呼ばずになんだと言うのだね?」


「悪化であろうと退化であろうと、人間は進化しかしナイ。人間は猿の頃の野生を失って貧弱になった代わりに、知恵を成長させた動物だヨ。それと同じように、オレンジも理性の代わりに力を手に入れるだけのこと。退化なものかネ」

 と、若干興奮気味に、心配する青髪に熱弁した。

 聖女と取引をして帰って来た博士は一週間ほど興奮醒めあらぬ状態で、その間一睡もせずに研究に没頭した。

 龍種の血をホムンクルスの血として、生命活動を行えるようにするのを目標に、ひたすらに研究を続ける博士の目に宿った狂気は、長年付き添って来た青髪ですら引くものがあった。

 一週間、手を洗い続ける少女と狂気的に研究に没頭する博士に、七人のホムンクルスは翻弄された。

 研究用の素材を得るためにモンスターを狩りにダンジョンへと向かう赤髪達は、博士の無茶な要求に疲弊した。

 一週間経って博士がようやく寝たときに、彼女達もようやく十分な睡眠が取れたほどだった。

 激動の一週間で、変わらなかったのは少女だけだった。

 命を奪われる恐怖から龍種の血を覚醒させたオレンジだが、変貌は一過性のもので施設に戻って来たときには元に戻っていた。

 血を浴び、血に濡れ、血に塗れ、手を染めたというのに、一週間前も後も変わらない。

 ただ手を洗う回数が増えただけ。

 強いて言うならば、退屈な少女の平凡な日々に、博士の研究室の一つであるカプセルの並ぶ部屋に通う習慣ができたくらいである。

 オレンジは静かに、悲し気な目で、カプセルの中身を見つめるのみ。

 カプセルには、新たに受けた仕事の花嫁となる少女が、静かに眠っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る