「龍の頭は龍の尾」

 北の大地に、聖女と呼ばれる女性がいる。

 千年間続いた植民地の奴隷制度を撤廃するために戦い、解放した人だ。

 元は彼女自身も奴隷であり、彼女を救い出してくれた人に憧れて戦ったのだと、彼女は語る。

 現在、彼女は自身が解放した元植民地を領土とする貴族の家に次期当主として迎えられ、元々一人娘だった彼女に、五人もの兄弟姉妹ができたらしい。

 今回の依頼人は、その聖女様だった。

 名を、サン・ミカエロ・ヴェルサイユ。

 サンは養子に入った貴族一家の名である。

 博士一行が仕事依頼の話し合いの場として呼ばれたのは、サン家の敷地内にある庭園のような場所だった。

 流星群の夜にも負けない星空を仰げるガラス天井の下で、博士は出された茶を啜る。目の前にかの聖女が座っているというのに、遠慮はない。

「して、受けてくれるだろうか」

 白銀の鎧に身を包んだ、星空のような瞳を持った美しい女性だった。

 奴隷解放のために戦った彼女を憎み、命を狙う国は少なくない。故に彼女は常時鎧をまとい、身を護っている。

 しかし彼女に臆する気は微塵もなく、甲冑の代わりにティアラの形をした装飾で頭を飾っていたり、戦闘用の剣と一緒に儀式用の装飾が施された剣を携えていたりと、ある程度の精神的ゆとりが見られた。

 実に大人びた落ち着きを見せ、まだ一九の未成年だとはとても思えなかった。

「破格の依頼報酬だと、思うのだが」

「私が報酬の内容で仕事を決める人間だと、思っているのかネ?」

「失礼、いつもの癖が。あなたと違って、汚い大人を相手にばかりしているといけない」

「随分と大きな口を叩く。まさか聖女だと思って、ふんぞり返っているわけではあるまい」

「重ねて失礼。ただの子供では誰も相手にしてくれなくてね。誰にでも大きく出られる度胸と個性が必要だった故、この口調なわけだ。許して欲しい」

「まぁ、そうだろうネェ。奴隷解放の英雄とて、ただの子供なんてコケにされるからネェ。おまえも見習いナ」

 聖女と違って命が狙われる可能性もないというのに、全身を鎧と甲冑で包んだ金髪を差す。

 青髪と共に交渉の場に現れた彼女は無言を貫いているが、何か言いたそうな雰囲気を醸し出していた。

 聖女が視線を配ると、彼女は体をピクリと震わせて息を呑む。

「その子もホムンクルスか」

「こいつはやれないヨ。他所にはやれない失敗作だからネェ」

「そこの青髪の彼女も?」

「僕は博士のお気に入りだから、どこにも行けないんだぁ!」

「誤解を招く言い方をするんじゃあないヨ。おまえみたいな無能者、他所様にくれてやれるわけがないだろう」

「酷い……」

 青髪が落ち込む様を見て、聖女様はクスリと柔らかな微笑を湛える。

 それを見た金髪から一瞬だけ、深く息を吸いこむような声が聞こえたが、博士も聖女も反応しなかった。

 もしも反応したら、彼女が今以上に委縮することを博士は無論、出会って一時間経っていない聖女もわかっていた。

「それで、引き受けてくださるのだろうか。我が妹、フィエルの蘇生の件」

「無論、それが今の私の仕事だからネェ。断る理由もない。それで、死体はどこに?」

「我が家専用の墓地がある。そこに」

「おいおい、私に犯罪を犯せというのかネ? 墓荒しなど今どき流行らない」

「だが、得意分野だろう?」

 博士は表情一つ変えない。だがその手は背後の二人を治めていた。

 聖女は臆することなく、また怯みもせず、今までの経験則通りに強気の姿勢で続ける。

「二年前の帝国婦女誘拐事件、五三件。北東の王国での墓荒らし事件、一〇六件。王宮内の倉庫物色及び盗難事件、二二件。あなたを検挙する事案は、いくらでもあるのだが」

「私を、捕らえると?」

 この会合は極秘のもの。

 聖女を護るため、彼女の家が雇っている兵士達が庭園の周囲を十人弱程度、囲っている。

 彼らが一斉に、機械的に博士と二人のホムンクルスに一瞥を向けた。

 青髪と金髪が身構えるが、博士は悠々と茶を啜り、それどころか給仕に茶の代わりをも所望した。

「子供が大人の真似して、下手な脅しなんてするんじゃあないヨ。たかだか数十人程度で、私を捕らえられると思っているのかネ?」

 と、博士は茶を啜りながら。

「舐めるなヨ、ガキが」

 次の瞬間、博士の握るカップが割れた。

 だがカップの中の茶が浮遊し、蛇のようにくねり、くびれ、宙を舞う。

 博士がピンと立てた人差し指に擦りつくと、それこそ蛇のように聖女に牙を剥く。

 たかだか水を操っているだけだと思うことなかれ、下に水を一滴も垂らさず、尚且つ生き物のように動かすことがどれだけ難易度の高いことか。

 そして、それだけでは博士の魔術は治まらない。

 周囲の水分を吸って肥大化した蛇は翼を宿し、猛毒を滴らせる印象を抱かせる蛇の顎を見せつけて音なく吠えた。

 周囲の水分を掻き集め、生物を造り上げるそれは、いわゆる高等技術である。

 少なくとも、聖女の知る限りでそんなことができるのは数が少なく、博士のそれと同じだけ動かせる魔術師ともなれば世界で五本の指に入ると言われる五人の魔術師しかいないだろう。

 もっともその一人が今、彼女の目の前にいる博士その人なのだが。

「陳謝する。今のは確かに失言だった。依頼先の相手に失礼だったな」

「フン。下手な脅しをしようとするからだヨ。おまえ、まさか私を無償で働かせる気だったのかネ?」

「まさか。ただ自覚はあるかと思っただけだとも。あなたが外道と呼ばれる原因を」

「陳謝すると言うのは言葉だけかネ」

「墓荒らしも盗難も犯罪だ。私は今、この国の警察組織でも上位の位置にいる。本来ならば、あなたがここに来た時点で、捕縛、逮捕するために動かなければいけないのだが、今は依頼人。私も苦渋の決断をしているのだと、理解していただきたい」

 数秒の沈黙。

 博士は龍へと昇華した蛇を飛ばし、草の生い茂るところで散らす。

 新たなカップを受け取って茶をそそがせると、再び静かに口をつけた。

「では依頼の報酬としては、おまえの捕縛網から一ヶ月逃げられる猶予期間というのが、妥当かネェ」

「あぁ、それが妥当だな。それ以上は逃がせない」

「ならば上質のものを造ってやらねばネェ、おい」

「はいはぁい」

 と、青髪はズボンのポケットから細い管状のカプセルを取り出した。

 中で赤い液体が気泡を立てており、その中心で骨と思われる欠片が浮いていた。

「この国の単位はなんだったかネェ」

「サンだ。我が貴族がこの国を統べているのだからな」

「それは失敬、失念していたヨ。では五千万サンで売ろう」

「それは……」

 それが何かはまだ、聖女にはわからない。

 だが五千万サンという金額は、国家予算並の金額に相当する。

 都市一つを破壊できる魔導兵器が買える値段である。赤い液体の中身が、それほどの価値とは思えなかった。

 だがそれは、もしもこの場にいなければだ。

 外道と呼ばれる男だが、研究と仕事に対しては非常に律儀な男だ。金が欲しいがために言っている金額ではないだろうことは、聖女も理解していた。

「これはとある海溝の底にのみ潜む、ナイトアンモナイトという貝のモンスターから採取した髄液ダ。貝類の中でもひときわ頭のいいこいつの髄液を取り込むと、知能が上がるなどという迷信もあるが、実際にこれを脳に取り込むことで、学習能力を上げる」

「それを使えば、妹は……フィエルは蘇るのか」

「おまえの妹は死んで一年以上経っていたネ。土の中の死体は不敗し、鮮度がいまいちダ。だからこいつを使って、ある程度の知識を叩き込む。だがこいつは希少価値の高い代物でネェ。ナイトアンモナイトは海溝からまったく上がってこないため、採取が難しい。それがこの値段というわけダ」

「それを使わないと、どうなる」

「妹は蘇らない。そこには妹の皮を被った別の何かが存在するだけダ。おまえのことも家族のことも、世界の常識すらも知らない少女。おまえが欲しいのは、化学薬品で培養した人工皮膚を被った、単価二億サンの化け物では、ないだろう?」

 このとき聖女は、依頼に生じる実際の金額を初めて知った。

 すでに代金は支払済だったが、そこまでの金額は求められていなかった。

 モンスターの髄液を買ったとて、それでも二億という金額の半分も払っていなかった。

 最初に金額を知ってからだったら、怪しんでしまっただろう。

 それが博士の優しさなのか、必要以上の金はいらないということなのか、それとも素材はまたどこかからか盗んでくるというだけの話だということなのか。

「竜頭蛇尾、なんて言葉が東方にあったネ。最初がよければ後もおのずと良くなるという言葉だったと思うが? しかし私からしてみれば、最後の締まりのないなんて適当仕事をする奴は、実直に仕事に向かっていない証拠だとしか言えないネェ。龍の頭は龍の尾で締まらなければおかしい。私はそんなチンケな生物を作る気は、さらさらないんだヨ」

 ここまで強気の姿勢を貫いて来た聖女が、完全に押し黙った。

 無論そこにあるのは、金額の問題。五千万という額が自分の懐だけで治まらないことを自覚していた。

 だがしかし、彼女にとってそれだけのことだった。

 自分の中で踏ん切りがつくと、彼女はこれまでの姿勢から一転、腰に差していた装飾剣を外し、それを差し出しながら首を垂れた。

「五千万には及ばないが、売れば相当の金額になる。残りは後日払うということで、手を打ってはもらえないだろうか……」

 深々と頭を下げる。

 聖女の下がった頭など、滅多に見れるものではないだろう。

 だが博士は同情などしない。冷ややかに見下ろすと金髪に剣を受け取らせ、一瞥だけ配る。

「では後の代金は二ヶ月後。それ以上は待たないヨ。花嫁には自立崩壊術式を組み込んでおく。耳を揃えて持って来なければ、わかるネ?」

 これが大人の本当の脅しだと言わんばかりに、博士は言い切った。

 その先を敢えて言わない恐怖が、幾重もの修羅場をくぐって来た聖女を戦慄させた。

 こうして、博士と聖女の商談は成立した。

 施設に戻った博士は何を思ったか、部屋で寝ていたオレンジを叩き起こした。

 そして聖女より預かった装飾剣を持たせ、オレンジを連れて再び施設から下界へと降りていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る