「信じるものを諦める理由にしない」

 夜空に尾を引き、一瞬の煌きを見せた流星は、すでに輝きを失っていた。

 見るも無残とまでは言わないが、しかし今オレンジの目の前に横たわっているそれは、単なる巨大な岩となんら変わりなかった。

 特殊な成分すら入っていなかったら、例え空から降って来た石でも、博士は回収しようなどとはしなかっただろう。目の前の石と、先ほど夜空に輝いていた流星を同じものと思えないオレンジは思う。

「手を休めるんじゃあないヨ。働き給え」

 と、オレンジは初めて使う器具に悪戦苦闘しながら、隕石を砕く。

 金槌を振るい、たがねを打ちこむ。

 オレンジの細腕には力がなく、なかなか砕けない。隕石はまだ火照るように熱く、オレンジの全身から汗が噴き出す。

 周囲のホムンクルスが、涼しい顔でひたすらに、鏨を打ち込んでいる姿を見て、オレンジもまた汗を拭いながらひたすらに打つ。

 周囲の火災は治まっていたものの、体感温度は四十度近い。

 大規模な火災によって大気が温められため、とても短い豪雨が降った直後だったが、真昼に打ち水をした直射日光の照りつける昼間の如く、蒸発した水が湿度を上げて体感温度を著しく上げていた。

 肌寒く、比較的動きやすい日であったはずなのに、この日オレンジは二時間の砕石作業で脱水症状を起こしかけた。

 青髪が付きっきりでタオルで煽ぎ、水を飲ませて介抱する。

「ごめんなさい、私……」

「大丈夫大丈夫! むしろ僕らに合わせようとしちゃダメだよ。僕らはホムンクルス。人間よりも暑い場所、寒い場所で動けるように作られてるんだから!」

「……そういう、ものなのですか?」

「だって、ねぇ……博士だもん」

 博士だから、などという理由は普通ならば成立しないはずだが、まぁあの博士ならば、と思えば理由になった。

 もっとも、オレンジが博士の外道と呼ばれる部分を大きく見たことはまだないので、未だにピンとは来ていない。

 しかし普段の言動からして、優しい人とは言い切れなかったのは事実である。

「博士はこういう、人間じゃ難しい素材集めをするために、僕ら七人を使ってるからね。人間をたくさん雇っても、無駄に死ぬだけだって誰も雇わない」

「……じゃあ何故、私は」

「そりゃあ、重要な実験の被験者だからじゃないかな」

「僕が頼んだっていうのもあるだろうけど!」と付け加えた青髪だったが、しかし博士が自分を置く理由など、確かにそれしかないとオレンジは納得した。

 今も尚砕石現場で直接指示を出す博士は、これ以上なく活き活きしている。しかし決して、素材集めが楽しいからではないことを、オレンジは気付いていた。

 すべては計画のため。

 オレンジは知らない誰かの願いを叶えるために、博士は尽力している。

 もはやそれ以外の生きがいも生きる意味も存在しないかのように、博士はそれのみを見続けている。

 人を見る際の、光も宿らない曇りガラスのような瞳が、果たして計画実現の日を夢見ているのかそれともそこまでの経路を探っているのか、誰にもわからない。

 わからないが、計画のことしか見ていないのはわかる。

 博士はいつだって、計画のことしか頭にない。オレンジにだってわかるのだから、青髪や他のホムンクルスにも、それは明白の事実であった。

「邪魔するわよ」

 入って来たのは、赤髪だった。

 体感四〇度近い現場にいたというのに汗すら掻いておらず、それどころかいつもの両手と腰、腹部に装甲をまとった、見るからに暑苦しそうな格好である。

 その格好を見ただけで、オレンジもまた体がカッカしそうになる。

「赤髪、脱水症状手前の人の前でその格好は控えてよ」

「いちいち脱げっていうの? 面倒くさい。なんだったらあんたも炎の魔術でも習う?」

 とは言うが、赤髪に教える気はなさそうだ。ただの冗談、と受け取る。

「赤髪さんは、魔術を嗜まれるのですか?」

「嗜むなんて程度じゃないわ。私はもう魔術師よ。世界でも稀に見る、魔術を操るホムンクルス。それが私なんだから」

「ってか僕ら七人、全員そうなんだ。博士が言うところだと、ホムンクルスは人間と魔力回路の作りが違うから、使えないのが多いんだって」

「ま、じゅつ……」

 魔術はこの世界における、人間が体得可能な神秘をそう呼ぶらしい。

 ホムンクルスの存在も知らなかったオレンジは、当然の如く魔術の存在すらも知らず、青髪からそう簡潔に説明された。

 魔術を行使するための力を魔力とし、行使する際に活発に動く心臓を魔力の発生源。全身を巡る魔力の流れを魔力回路と呼ぶ。

 全世界で最も支持されているのは、魔力は生命エネルギーであるとする説で、体力や気力に比例して上昇、減少するものだとされている。

 一方で、魔力は精神力の一種であるものとし、魔力の上限は気力次第とする説もある。

 どちらが正しいのかは未だに意見が分かれるところらしいのだが、博士からしてみればそんなものはどちらでもいいらしい。

 元宮廷魔術師とは思えない発言だったが、健全な精神に健全な肉体が宿り、さらに健全なる魔力が宿るというだけの話であり、生まれもっての気性や体力などで多少の差は付くのが当然。

 故に大事なのは何を源にしているかではなく、何に至っているかだという。そこまで至るのにどれだけの時間をかけ、どれだけの研鑽を重ねどれだけの計算をし、どれだけの努力をつぎ込んだかという話だ、と博士は言っていた。

 生命エネルギーを元とする説を信じる者は、魔術に関する才のなさを自らの体の弱さに理由付け、精神力の説を信じる者も結局、自らの精神力の無さを理由に諦めるだけだとも。

 どちらの説も有力だと言う者は、諦める理由が二通りあってさぞ気が楽だろうと、博士が嫌みを言っていた姿を今でも覚えている。

 つまり何を信じようとも、それを諦める理由にしてはならないということだ。

 オレンジは未だ、博士のように情熱を注げるものに出会ったことがないので理解はできなかったが、しかし何を言いたいのかを感じることはできた。

 それはもしもこの先に、情熱を注げる何かが見つかって、大きな障害にぶつかったそのときに理解できることなのだろう。

 オレンジはそのときのために、その言葉を胸に刻んでいた。

「私は炎の魔術師ですから? 体が耐火能力に長けているのです。もっとも、そもそも私は炎を操る目的で作られたので、常人よりも耐火能力に長けていますけれどね!」

 オレンジは最近気付いたが、赤髪は乱暴な口調の中に丁寧語を混ぜる。

 拗ねたとき、反論があるとき、怒っているときなど仕様は様々だが、大体は自分の言いたいことを通したいときだ。

 この場合は自分の能力が如何に優れているのか、オレンジに伝えたいのだろう。

「いいこと、オレンジ! 私は他のホムンクルスとは違うのよ! そう、特別なの! 戦闘特化型ホムンクルス、それが私の肩書なの、おわかり?」

 だが彼女は丁寧語を勘違いしている気がする。「ですます」を付ければ、何もかも丁寧語になるわけでもない。

 しかしあまりにも堂々と来るので、なんだか受け入れてしまいそうになる。

「せ、せんとうとっかがた、というのは、そんなにも凄いのですか」

「凄いわ」

「言い切った!」

 青髪のツッコミを無視し、赤髪は続ける。

「前にも話したでしょう? そもそもホムンクルスは戦闘兵の代用品。戦えない人の代わりに、戦うことが仕事なのよ。戦闘特化型なんて、その役目を体現した存在! つまり私が、最強にして最高のホムンクルスなのよ!」

「また言い切った!」

 確かに、赤髪は普段の遠征でも一番熾烈な戦いをしてきたのだろう。帰って来ると、衣服がところどころボロボロだし、自身の炎で燃えたかのように炭化している部分すらある。

 それだけ彼女は、自身が戦闘特化型という事実に誇りを持っているのだ。戦闘特化型だから、他の何もできない、などと落ち込んではいない。

 博士の言っていたことが、早速目の前に現れていた。

「ズルいやズルいや。僕ら七人で、最高のホムンクルスでしょ? 一人だけなんてズルいよ、赤髪」

「悔しかったら、あんたも名乗れるだけの功績を残しなさい? ま、毎回お留守番のあんたじゃ、まだまだ先の話でしょうけれど」

「うぅ……」

 と、青髪が落ち込んでいると。

「赤髪、其方砕石が全然進んでないと博士が怒っていたぞ。サボってていいのでござるか」

「げっ」

 黒髪がまるで助け舟の如く、赤髪に報告に来た。

 赤髪は力こそあるものの、ほとんど砕けない隕石にイライラしてすぐに熱で溶かしてしまうため、砕石はできていても採取ができていなかった。採取が目的なのだから、博士が怒るのも当然である。

「ヤバいわ。さすがに成果ゼロは怒られる……いい、オレンジ! 覚えておきなさい!」

「え、え?」

 なんだか赤髪は別の理由で来ていたような気がするのだが、彼女はそそくさと行ってしまった。結局何用で来たのか、話が脱線したまま終わってしまって、皆目見当もつかなかった。

「きっと様子を見に来たんだよ。あれはあれで、オレンジのこと気にしてるんだ」

「そう、なのですか?」

「うん! 多分、きっと!」

 結局、赤髪の真意はわからなかった。

 だが青髪の言う通り、自分を心配して見に来てくれたのも、納得できる。

 彼女が一番に、博士は危険だから逃げろと言ってくれた人だったから。彼女がとても優しい人であることを、オレンジは施設に来てからの三週間で知っていた。

 博士はまだわからないが、七人のホムンクルスは皆優しい。

「オレンジ殿、お加減はいかがでございましょうか」

「はい、大分落ち着きました。ご心配をおかけして、すみません」

「いえ、そんなことはござらん。拙者もホムンクルス。哀しきかな、人間の体感するそれとは別のものを感じているため、オレンジ殿の苦痛を察することができず、無念の極みにござる」

「まぁ、七人の中じゃあ黒髪が一番人より遠いかもしれないし、仕方ないんじゃない?」

「いやいや、青髪! だからといって、他人の苦痛を理解することを諦めてはならぬでござるよ! 拙者、人と手を取り合うことはできずとも、人と近い存在に、なりたいでござる!」

 だがオレンジは未だ、黒髪と一定距離以上の距離を保つことを義務付けられ、接触などもってのほかの状況。

 他のホムンクルスも、彼女には一切触れようともしない。特にスキンシップ多めの青髪ですら、彼女には触れようともせず、一定の距離を保ち続けていた。

 その理由は、未だに教えてもらえていない。

「っと、拙者もあまりサボっていては赤髪に示しがつかぬ。ではオレンジ殿、拙者はこれにて」

「はい、ありがとうございます」

 いつしか黒髪との距離も、縮まればいいな。

 オレンジは、健気に他人との距離を詰めようとする黒髪と、仲良くなりたいと思った。そのためにも、彼女の秘密を暴かなければいけないが、それは問い詰めることでもないだろう。

 いつしか語ってくれるまで、オレンジは待とうと決めていた。

「じゃ、僕も行くね。何か欲しいもの、ある?」

「大丈夫です……青髪さんも気を付けて」

 青髪も仕事に戻っていった。

 自分だけいつまでも寝ていたのでは、博士に叱られてしまう。

 オレンジは体を起こし、立ち上がろうとしたが、脚にうまく力が入らず、ベッドに倒れてしまった。

 と、そのとき。

 こつん、と小さな音が窓を叩いた。

 見ると小石が窓に投げられている。誰かが開けろ、と訴えているかのようだ。

 そう思ったオレンジは、窓を開けて外を見下ろす。だが思って見れば、ここは一万メートルを超える上空。小石を投げるような人などいやしないはずだった。

 だがそこには人がいた。全身を甲冑で覆った騎士が、魔力を持って飛行する仮面を被った獅子――確かグリフィスという種類のモンスターだったっけ、とオレンジは記憶を探った――に乗っていた。

「そこの娘! 外道魔術師の関係者か!」

(本当に外道と……外道魔術師と通っているのですね)

「は、はい。博士に何か御用ですか?」

「仕事の話がある。二日後の深夜にここに来いと伝えろ」

 そう言って、騎士はなんと矢を射って来た。

 矢はオレンジのすぐ側を通過し、壁に突き刺さる。

 矢には文書が括り付けられていた。確かに普通に文書単品をほうったところで風に飛ばされるだけだろうが、それにしたって頭を下げさせるなりなんなりして欲しい。

 矢の腕に、相当な自信があったとしてもだ。

「確かに渡したぞ。しっかり伝えろよ、ホムンクルス」

 と、彼は手綱を引いて行ってしまった。

 彼はオレンジをホムンクルスと勘違いしていたのだ。

 ホムンクルスならば、殺したところで代わりがいるだろうと思ったのだ。

 そう思うと怖かった。彼の矢が、自分に刺さってもおかしくなかったのだと思うと、せっかく入りそうだった脚の力がまた抜けて、笑いだしたと表現するのはおかしいと思うほど、恐怖で震え出した。

 オレンジは自分の体を抱き締めて、震え続けた。

 脱水症状だったというのに、ぐっしょりと汗を掻いた。

 その五分後、忘れ物をしたという青髪が戻って来て、震えるオレンジの異常に気付いて介抱した。

 博士が診察をすると、最初こそ面倒そうな表情を浮かべていたが、オレンジの背中を見たとき「素晴らしい」とわずかに零した。

 オレンジの背中の真ん中。彼女自身の手が届かない位置に、龍種の鱗に変質しようとしていると思われる皮膚の塊が、発見されたのである。

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