外道魔術師と北の聖女
「美と醜悪は両立している」
藍色の空は淀んだ雲に覆われて、今日は地上から星空を仰ぐことはできない。
この日、星を展望できたのは、雲の上を行く彼の研究施設だけだった。
橙髪の少女は星空を仰ぐ。
息が凍って真白に色づくほど、夜の空は寒い。
だが今日は、年に一度の流星群が流れる日。年に一度の天体ショーは、身に沁みる寒さにも耐えてみる価値はある。
さらにいえば今日に至っては、地上の人々はこの天体ショーを見ることは適わない。
目の前に広がる空のすべてを自分達だけのものとできる今日この
「お待たせぇ」
色彩豊かな、七色の髪を持つ七体のホムンクルス。
獣の毛皮を被って寒さを凌いでいた少女オレンジと比べて、彼女達は普段着で現れた。軽装というわけではないが、しかし寒いだろうとは思われる程度の薄着だ。
「はい、どうぞ」
青い髪の青年――青髪は温かい飲み物をオレンジに持って来てくれた。
体を温めるという効能のある薬草をすり潰した、ジュースのように甘い飲み物だった。
つい今の今まで温められていたのだろう。一息に飲める熱さではなくて、オレンジは凍り付く息を吹きかける。
それでも舌を火傷してしまいそうになるほど暑い飲み物は、少女の体を内側から火照らせた。
「知ってる? オレンジ。流れ星が消えちゃう前に三回お願い事を言うと、そのお願いが叶うんだって」
「お願いが……?」
「ありきたりよねぇ。そんなの出来るはずもないのに」
「赤髪! 雰囲気壊さないで!」
「だって、物理的に無理でしょう?」
「困ったものだな、赤髪は。現実主義なのは別に構わないが、他人にまでそれを強要するのはよくない」
「今どきメルヘンな女なんてモテないわ。下手に夢見せるより、ずっとマシだと思うけど?」
「しかしだなぁ……」
赤髪と緑髪の言い合いは、もはやオレンジの中でも定番となっていた。
最初こそどうしたらいいのか戸惑ったものだが、施設に来てもう三週間。さすがに慣れた。
周囲もそうで、二人のことは放っておいて流星群を待ち焦がれる。
特に金髪は屋上に上がってからずっと星空を見上げていて、相変わらず甲冑の下にある表情は読めなかったが、流星群に乗せて叶えたい願いがありそうな雰囲気を、オレンジは察した。
逆に紫髪はずっと俯いており、フードの下でコクリ、コクリと頷き続けている。
相当に眠い様子だ。おまけに流星群に興味はないと思われる。きっと青髪が「みんなで見ようよぉ」とか言って、紫髪も無理矢理連れて来られたに違いない。
銀髪と黒髪は熱心に星空を眺めており、今か今かと流星群を待っている。
金髪と違って、ただ単に流星群という現象が見てみたい子供のようだ。願いが叶うという逸話も、成功しないところでなんとも思わないだろう。
「なんだい、おまえ達。こんな時間にこんなところで、何をしているのかネ」
と、ここで思わぬ珍客。いや、博士が来た。
普段通り白衣に身を包み、オレンジと同じように白い息を吐いていた。
一週間まえくらいからずっと巻いている生地の厚いマフラーに、首を埋めている。
ずっと昔に赤髪が狩って来た獣の皮を、青髪が編んでプレゼントしたマフラーなのだそうだ。
博士はこの頃研究に忙しいとかで、ずっと研究室から出て来ていなかった。オレンジもここ一週間は、実験のための採血と輸血を行ったときしか会っていなかった。
それは皆も同じようで、特に青髪は博士が不意にやって来たことに喜びを爆発させた。
「博士! 博士も流れ星を見に来たの?!」
「まぁネェ。どこに落ちるのかをしっかり見ておかないといけないからネェ」
「流星群も、研究の素材、に……?」
「当然だヨ」と博士は言う。
懐から小型の望遠鏡を取り出すと、誰よりも熱心に星空の中から流星を探し始めた。
「宇宙というのは宝の宝庫でネェ。この星にはない希少な物質が、宇宙にはゴロゴロ漂っているのサ。それを使い、研究することは、博士の称号を持たぬものとて、魔術師と名乗る者なら誰もが描く理想なのだヨ」
博士の言う未知の物質というのはわからなかったし、オレンジにはその希少価値を計ることはできなかった。
だが博士が研究を中断してまで探し求めるのだから、それほどの価値だということは確かだろうことは間違いない。
「あ! 今そこで流れたでござるよ!」
「え、どこ?! どこでありますか?!」
最初に見つけたのは熱心に探していた黒髪と銀髪だった。
その流星を皮切りに、一本、また一本と白銀の流星が藍色の空に爪跡を残そうと尾を描く。
同時に降って来るようなことはなかった。必ず一本の流星が、藍色の空を駆け抜けて、消えるとまたすぐに別の流星が、それを追いかけていく。
まるで母親についていくカモの群れのように、最初の流星を子供のような小さな細い尾が次々と流れていく。
永遠に、この流れが続くかのようにも感じられた。
だが魅了され、見入っていると、年に一度の天体ショーはすぐさま閉幕したのだった。
願いを三度告げれば叶うという言い伝えなど、頭から掻き消えていた。ただ輝く星々の一瞬の煌きに、見入っていただけだった。
願いを三度も告げられるほど、余裕のある心で見られなかった。ひたすらに、すべての流星が見せるそれぞれの美しさに、感嘆の吐息を漏らすばかりで。
余裕などなかった。とにかく、余裕などなかった。
黒髪と銀髪が願いを言い切れなかったと悔むようにはいかなかったし、赤髪のように希少な天体ショーを見れたというだけでは治まらなかったし、緑髪や青髪のようにすぐさま美しさを述べることもできなかった。
三度の願いに祈りを託した金髪のように、呆然自失と言った様子で、もう流星は流れないだろう空を仰ぎ続け、何も頭に思い浮かべないということしか、できなかった。
そして何より、博士のようにすぐさま流星の流れた方向から、それが落ちたと思われる土地の場所を計算し、そこに向かおうとするほど冷静ではなかった。
「おまえ達、すぐに持ち場につきナ。今から北西の方角に舵を切るヨ。オレンジは私と共に来ナ。おまえにも仕事を与えてやル」
流星の感動に浸る間もなく、七体のホムンクルスはすぐに持ち場とやらに赴く。
オレンジも博士に着いて行く。未だ流星の衝撃が脈動を早めていたが、博士にそんなことを知る由もなく、知る気もない。
博士が連れたのは、オレンジがこれまで侵入を許されなかった部屋の一つ。青髪曰く、研究室の一つだという部屋だった。
部屋に入ると、そこには無数のカプセルが青色の液体を入れて柱のように並んでいた。
その中にはよく見ると、小さな赤い肉片のようなものが見える。調度、焼くまえのサイコロステーキのようだった。
「おまえはここを護レ。いいかい、もしも割れたり、変化があったらこの通信機で私に伝えるんダ。いいかい、すぐにだヨ」
「つ、伝えるだけ、ですか?」
「それしかできないだろう? 本当は直してほしいところだがネェ」
博士は「途中揺れるから用心しナ」とだけ付け加えて、通信機を渡すと行ってしまった。
とりあえず扉に鍵をかけて、そのドアノブに掴まることにしたオレンジは、合計三六のカプセルをボーっと見つめる。
肉片はなんの変化も示さず、オレンジも暇を持て余す。
ならば今見たばかりの流星の美しさを称えて、詩でも書いてみたい心境なのだが、ここにはペンも紙もない。あったとしても、オレンジにはそもそも詩など浮かばない。
今はそういう気分だというだけで、次の日には書いた詩など恥ずかしさのあまり捨ててしまうことだろう。その程度の、一時的な高まりであることを、オレンジはこのとき理解できていなかった。
と、施設が大きく揺れる。
扉に両手をかけて強く握り締めて堪えるオレンジは、カプセルから目を放さなかった。
何かあれば報告しろ。その命令を、託された役割を果たそうと、懸命だった。
震動があったのは二十秒ほどで、その間オレンジは扉を握り締め続けた。結果、震動が治まった頃には、オレンジの掌は真っ赤になっていた。
と、博士から連絡が来る。
『カプセルは無事だったかい?』
「は、はい……どこにも異常ありません」
『ならその部屋を一周して、細かく異常がないか、改めて調べナ。念には念を入れるという言葉があるからネェ。点検に点検を重ねるんだヨ』
「わかりました」
『では、終わったらまた屋上に来ナ』
博士に言われた通り、カプセルを一つ一つ確認し、異常がないことを確認してからオレンジは屋上へと向かった。
向かうとすでに博士が先にいて、下界の様子を見下ろしていた。そのとき若干、焦げ臭いにおいが鼻を突いた。
「い、異常は何もありませんでした」
「そうか、ご苦労だったネ」
博士が見下ろしている下界を、オレンジも見下ろした。
すると一か所、一万メートルを超える空の上から見ると大地の一か所だけが、赤く燃え上がっているのが見えた。高い火柱が上がっている。
「あそこに流星が落ちたようだ」
「……星が、あそこに?」
周囲は木々がなぎ倒された挙句、燃えていた。
大地に減り込んだ星の重さで、ポッカリとその部分だけに穴が開いている。
炎は先ほどまで見た流星群の輝きとは違って荒ぶる力を想起させ、オレンジに恐怖さえも憶えさせた。
「あれが、星なのです、か……?」
「星と言っても、宇宙を漂うゴミの一つサ。宇宙にしかない物質を含んでいることを除けば、これと言って美しさの欠片もない」
「でも、さっきはあんなに輝いて……とても、とても綺麗だったのに」
今のあれは、本当に先ほど見た星の子の一つなのだろうか。
オレンジの目には、光をまとって藍色の夜空を駆けた流星群と、今見下ろしている穴の中で燃え盛っている巨大な岩とが、同じものだとは思えなかった。
ましてや光の奇跡だとさえ思っていたのに、地上を燃やす光には、恐怖を感じて仕方ない。
「美と醜悪というのは両立しているのだヨ。とある一点から見れば美しい代物も、他の角度から見れば汚く見える。磨けば美しい石だって、煤に塗れている間はただの石サ」
「美と、しゅう、あく……?」
「あの星も、宇宙にある間はただのゴミだった。だがこの星に落ちるその瞬間、あれはおまえを魅了する輝きをまとった。だがその瞬間だけだ。それが終われば、あれは元の石ころに戻る。希少価値が高いというだけの、ただの石ころにね」
醜悪、という言葉が難しくてオレンジには言葉自体はわからなかったが、しかし博士の言いたいことはわかった気がした。
要は表裏。見える部分と見えない部分の話である。
博士が表の世界で外道魔術師などと呼ばれているのに、昔交わした約束のために研究に没頭し、その過程で生まれたものさえも花嫁として人々に与え、感謝の言葉を受けている人だと知った今のオレンジには、理解できる気がしていた。
あの雨の日、貴族に花嫁を送ったその日から今日までに二人。博士が依頼人に花嫁に仕立てたホムンクルスを売っているところに居合わせた。
博士の研究はきっと、表の世界では蔑まれ、非難されるべきものなのだろう。
しかし花嫁の姿を見た依頼人や、その家族は必ず言った。
美しい、と。
ホムンクルスの制作過程が如何に人徳からかけ離れた醜悪なものだったとしても、作られた花嫁は美しかった。オレンジですらそう思った。
美と醜悪の両立。
博士は難しい言葉を使ったが、その言葉の意味をオレンジは理解することができそうだった。
「じゃ、じゃあ……あのお星さまも、博士の手で綺麗になりますか? また、輝けますか?」
博士は答えなかった。
「さぁね」と濁すこともなく、「知らないよ」と否定することもなければ逆もない。
ただ一点を。星が上げる最後の煌きと暴力の炎が消える瞬間を、輝きが消えてみすぼらしい石になる瞬間を、ただひたすらに待っているようだった。
さも、これからどのような姿に変えてやろうかと、あれこれ考えているかのようだった。
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